第7話 滅びよ魔族

 宿に五日ほど逗留してさまざまな準備をした後、俺は馬を二頭購入し、街を出て西へ向かった。

 乗馬など初めてだが、魔法がそれを補ってくれる。

 マヤは農場の娘なので、当たり前のように馬に乗っていた。


 スキットイドの街からおよそ三十キロほども進むと、俺たちは兵士によって行く手を遮られた。

 この先は魔族との戦いの最前線となっていて、一般人は立ち入り禁止だというのだ。


 俺はマヤの方を振り返った。

「君の実家はまだ先なのか?」


 彼女はうなずいた。その顔色は青ざめていた。

「はい。まだ五十キロはあるはずです。

 ……魔族たちは、もうここまで攻め込んでいたのですね」


 俺は馬を降りて、兵士に尋ねた。

「戦況はどうなんだ?」


 それと意識することで、俺の言葉には一定の強制力を付与することができた。

 兵士はまるで上官に問われたように、すらすらと答える。

「芳しくありません。

 正直、防衛線にあちこち空いた穴を塞ぎながら、どうにか持ちこたえているといった状況です」


「魔族軍の規模は?」

「およそ一万二千。対するわが騎士団は八千人です。

 よく耐えているとしか言えません」


「分かった。

 そこをどけ」

 俺は馬をひいて徒歩で進む。

 マヤはその後を少し怯えながら付いてきた。


 たちまち別の兵士が咎めようと寄ってきたが、もういちいち話すのも面倒だった。

「風よ、俺たちを守れ」


 俺が小声で命じると、二人の周囲に目に見えない空気の壁が出現した。

 近づこうとした兵士たちは、圧縮された空気の壁で押し返され、何が起こったのかも分からずにきょとんとしている。


 余談だが、魔法には地火風水、それに光と闇という六系統があるらしい。

 俺は特に風魔法との相性がよいらしく、使う魔法も自然とそれ系が多くなる。


 モーゼが海を渡るように、騎士団の人波を割って俺たちは前へ進む。

 やがて軍団の最前列に達すると、そこには長大な土塁が築かれており、その内側にいくつもの矢倉が立っていた。


 俺はその中でもひときわ大きく高い矢倉のもとに近づくと、マヤを下に残して木の梯子を登った。

 矢倉の上には、いかにも指揮官らしい軍服を着た男が、土塁の外側に広がる魔族軍の配置を見ながら、数人の部隊長にあれこれと指示を出していた。


 そのうちの一人が、登ってきた俺に気づいた。

「何だ貴様は!

 その格好……民間人か?

 まったく、警備の兵は何をしておるんだ」


 彼はそう言ってずかずかと近づいてきたが、たちまち空気の壁に押し返される。

「なっ!

 貴様っ、何をした?」


 すでに楼上の全員がこちらに気づいて身構える。

 俺は下に向かって声を上げた。

「マヤ、大丈夫だから登っておいで。

 君にいいものを見せてやろう」


 下から彼女の可愛らしい声で返事があったのを確認すると、俺は防御に使っていた風魔法を解いた。

 そして指揮官の傍らに立って、土塁の先に拡がる光景を見渡した。


 元は広大な小麦畑だったのだろう。

 それは無残に踏み荒らされ、だだっ広い荒野へと変貌していた。

 そして地面を埋め尽くす魔物の群れが、整然とした隊列を組んでいる。

 魔族だというのに見事な布陣だった。よほど指揮官である魔王は有能なのだろう。


「あなたが騎士団の司令官か?」

 俺は言霊に魔力をこめ、指揮官らしい男に問いかける。


「クリムゾン王国騎士団長、オリバー・ウェンデル・デニソン中将だ。

 君は何者かね?」

 男は落ち着いた態度で答えた。さすがに一軍の将といった威厳がある。


「俺か?

 名前は高山昇太……そうだな、この地に降臨した〝勇者〟だと思ってくれればいい」


 〝勇者〟という言葉に、周囲の部隊長たちがざわめき出した。

 デニソン中将もさすがに目を見開いている。


「もし君が本当に勇者なら、ひざまずいて神に感謝するところだが……。

 もちろん、君はその証拠を見せてくれるのだろうな?

 ――ん? その令嬢は、君の連れか?」


 梯子を登ってきたマヤは、俺の腕をしっかりと抱え込み、ぴたりと身体をつけていた。

 布地数枚を隔てているとはいえ、俺の二の腕に彼女のぷっくりとしたパフィーニップルが押しつけられている。


 俺の全身には、溶岩のような熱い魔力がふつふつと湧きあがり、今この瞬間、俺は神であろうと圧倒する自信があった。


「彼女はこの先にある、西部開拓農民の生き残りだ。

 魔族によって家族は皆殺しにされ、農場は潰れた。

 彼女自身も一時は奴隷として売り飛ばされた」


 それを聞いた騎士団長はぐっと息を呑んでうめいた。

 そしていきなりマヤに向かって片膝をつき、頭を垂れたのだった。


「われらの力が足りぬばかりに、辛い目に遭われたのか……。

 申し訳ない。騎士団を代表して、このとおりお詫び申し上げる」


 予想外の出来事に、マヤの方が慌てた。

 彼女はいっそう俺の腕を強く抱きながら、騎士団長に頭を上げてくれと懇願した。


 立ち上がったデニソン中将に目をやった俺は、少し感心していた。

『何だ、こいつ案外いい奴だな』


 俺は咳ばらいをして、彼に答えた。

「俺はこの国の行く末には興味がない。

 だが、マヤの家族を殺し、彼女をどん底に突き落とした魔族どもは一人たりとも許さん。

 この場の魔族を皆殺しにしたら、俺が勇者だという証明になるのか?」


「それはもちろんだが、さすがに一人で敵を全滅させることなど不可能だろう。

 せめて敵軍の数を一割でも減らしてくれるなら、この防衛線も一息つける。

 今は藁にもすがりたいのだ。頼めるか?」


 俺は黙ってうなずいた。

「騎士団長、土塁の外に出陣している部隊はいるのか?

 もしそうなら撤収させろ。巻き添えを喰うぞ」


 中将はすかさず部隊長の一人に怒鳴った。

「おい! 二時間前に出した強襲偵察部隊はどうした?」


 問われた男は直立不動で即答する。

「はっ、先ほど戻りました。

 帰還したのは八名のみであります!」


 デニソン中将は唇を噛んだ。

「出したのは三個小隊三十二名だぞ?

 八名しか戻れなかったのか……!」


 彼の嘆きも後悔も、俺には関係のないことだった。

「ならば、土塁の外は魔族だけだな?

 ――マヤ、見ていてくれ。

 まずは手始めに、君の家族を襲った魔族を一掃してやろう」


 俺はそう言うと、騎士団長を押しのけて仁王立ちになった。

 そして魔法で増幅した大音声だいおんじょうを張り上げた。


「吹けよ風!

 呼べよ嵐!

 黒き呪術師アブドルの名において命じる――アシッド・レイン!!」


 俺の叫びは、八千騎の騎士団の鼓膜を破るような轟音となって響き渡った。

 同時にマヤの乳輪の力を得て、体内で暴発しそうなレベルに蓄積された魔力を全開放したのだ。


 晴れ渡っていた上空に一瞬で暗雲が出現し、雷鳴がとどろく。

 突然に凄まじい強風が吹き荒れ、やがてその風は一つの巨大な渦となって魔物の大軍を包み込んだ。


 一匹たりとも逃がしはしない!

 俺の決意は風の檻となって魔物たちを閉じ込めた。


 何が起こったのか、事態を把握できずにうろたえている魔物の頭上に、ばたばたと大粒の水滴が降り注いだ。

 それは透明な液体ではなく、オレンジ色をしていた。

 降り出した雨は、数秒で凄まじい豪雨となった。

 車軸を流すような――そんな表現がぴったりするような集中豪雨で空気は煙り、泥が跳ね上がって視界が極端に悪化した。


 それでも矢倉の上からは、魔物たちが身体を掻きむしり、のたうち回っている姿が確認できた。

 その身体からは白い煙が上がっている。


 彼らの頭上から降ってくる雨は、 濃塩酸と濃硝酸の混合液――いわゆる王水おうすいだった。

 強烈な酸は、魔物の分厚い皮膚を溶かし、目を潰し、喉を焼いた。

 のたうち回る魔族たちは、苦しみのあまり絶叫しているはずだったが、叩きつける王水の雨の轟音はすべてかき消してしまう。


「このくらいでいいか……」

 俺はそうつぶやいて術の一部を解く。

 黒雲は消え去り、オレンジ色をした王水の雨は消えうせた。


 地面に転がっている魔物たちは、半ば身体が溶けて骨が剥き出しになっている者が多かった。

 それでも、わずかに動いている魔物がそこかしこで確認できた。

 よほど分厚い外皮を持った種族なのか、もともと酸に対する抵抗力を持っているのかもしれない。


「ふん、存外しぶといな……」

 俺は凄惨な笑みを浮かべ、マヤがすがっていない方の腕を前に突き出した。


「仕上げだ。

 出でよゴーレム!」


 俺の呼びかけに応じて、土塁の前の地面がぼこぼこと盛り上がり、ぶかっこうな土饅頭が十数個出現する。

 それぞれが高さ五、六メートルもあり、おまけに幼児の落書きなような目鼻、そして大きな口がついていた。


 俺は息を大きく吸い込むと、再び叫んだ。

ぎ払え!」


 土人形ゴーレムの頭部が「おおおおおおーーーんっ!」という鳴き声を上げて、一斉に巨大な口を開いた。

 そしてその口から〝シャッ!〟という音とともに、まばゆい光が放たれ、倒れている魔物の大軍団を放射状に薙ぎ払った。


 たちまちあたりは炎と爆発に包まれ、地獄絵図そのものとなった。

 強烈な酸が有機物と化合すると可燃性ガスを発生させ、場合によっては爆発性を帯びる。

 ゴーレムの放った超高温の火線が、その反応を引き出したのだ。


 有毒ガスは魔物を閉じ込めている巨大なつむじ風によって上空に巻き上げられ、騎士団には被害を及ぼさない。

 その風の檻は、炎もガスも吸い上げながら次第に範囲を狭めていき、やがてすべての火災が収まった。


 酸っぱい臭いを放つ煙がくすぶる荒野には、無数の〝黒い染み〟が広がっていた。

 それは酸で溶かされた上に、超高温の炎で焼かれた魔族軍のなれの果てだった。

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