第5話 奴隷マヤ

 巨乳美少女(しかも処女!)の登場によって、会場のボルテージは一気に上昇した。

 観客の歓声に負けまいと、競売人もさらに声を張り上げる。


「乳首まわりの色と形がやや残念ですが、それ以外はまぎれもない極上品、開始値は銀貨八十枚でお願いします!」


 観客からどっと驚きの声が上がる。銀貨八十枚なら、かなりの上玉の落札値である。

 そこからせりを開始しようというのだ。奴隷商人側の強気な姿勢が窺える。


「銀貨九十枚!」

 いきなり怒鳴り声が響き渡ったが、すぐそれにかぶさるように別の声が追いかける。


「銀貨九十五枚!」

「銀貨九十八枚!」

「金貨一枚!」


 開始して一分も経たないうちに本日二人目の〝金貨級奴隷〟が誕生したのである。

 さすがに金貨一枚(百万円にあたる)を超すと、挙がる手がぐっと少なくなってくる。

 それでも何人かの男たちが、銀貨を追加五枚、十枚と値を釣り上げていく。


「金貨三枚」

 俺は手をまっすぐに挙げて静かに告げる。


 素早く俺の方を振り返った競売人が、「あれ?」という顔をする。

「すみません、ええと鑑札番号三十五番のお客さん、よく聞こえませんでしたが……」


「耳糞が詰まったか? 金貨三枚だと言った」

 俺は少し声を張って繰り返した。


「えっと、あの……お客さん、いま金貨一枚と銀貨三十枚が最高値ですよ?」

 競売人がそう聞き返すと、周囲の観客も俺の値付けに気づいてどよめいた。


「しつこいぞ! 金貨三枚に不満でもあるのか?

 さっさとせりを進めろ!」


 競売人は、はっと我に返ったように周囲を見回す。

「たった今、金貨三枚の値が付きました!

 これ以上というお客様はいらっしゃいますか?」


 しんとした会場に、一人の手が挙がる。

 さっき金貨超えの奴隷を落札した鑑札番号八番だった。

 男の声は、ぶるぶると震えている。


「金貨三枚に……銀貨十枚を追加――」

「金貨五枚だ」


 八番の言葉が終わらぬうちに、俺の冷徹な声がかぶさる。

「きっ……金貨五枚が出ました!

 八番のお客様、もう一声ありますか?」


 男はうつむいて首を振った。

 競売人は手にした小槌で演台を激しく叩いて絶叫する。


「ついに出ました!

 私の知る限り、奴隷落札額の最高記録!

 三十五番のお客様のものでございます!」


 会場からまばらな拍手が起きる。

 常識を逸した値付けに、半ば呆れているのであろう。

 俺の両脇には、即座に用心棒らしいガタイのいい男が二人、ぴたりと側についてささやいてきた。


「お客さん、奥の方で手続きをお願いします。

 まさかとは思いますが、おふざけになった場合は――どうなるかお分かりですね」


 俺は有無を言わさずに奥へ引っ張り込まれる。

 張られた幕の奥には、空になった檻が散乱していた。

 すぐに競売人をはじめとする商人たちが、俺の周囲を取り囲んだ。


 競売人が揉み手をしながら油断のない目線で、俺を値踏みするようにめつけた。

「お客さん、太っ腹ですね~。

 それで……さっそくお支払いの件ですが」


「手を出せ」

 俺は不機嫌そうに命じた。

 きょとんとした競売人は、素直に両手を出す。


 俺は無造作に服のポケットから革袋を取り出すと、手を突っこんだ。

 そして競売人の手の平に、握った拳から一枚ずつ金貨を落としてやる。

 五枚の金貨を落とすと、競売人は目を丸くしたが、すぐに一枚を摘まんで振り返った。


「おい!」

 別の商人が即座にそれを受け取って奥のテーブルに向かう。

 そこには細かい目盛りのついた細長いビーカーが置かれ、水が入っていた。

 男はその中に金貨を入れ、片目に拡大鏡のようなものを当てて覗き込んだ。

 そして、振り返って競売人にうなずいてみせる。


 金貨の真贋を見極めるために比重を量ったのだろう。

 途端に俺を取り囲んでいた者たちが、吐息を洩らして離れていく。

 競売人もさらに愛想がよくなった。


 彼は一枚の羊皮紙を俺に差し出した。

「これが奴隷の売買証明書でございます。

 娘の首枷はそれ自体が奴隷の身分を証明しますから、外さないようお願いします。

 もし抱き心地の関係で、どうしても外したい場合は、焼印を入れることでも代用できます。

 せっかくのきれいな肌を焼け爛れさせるのは、お勧めしませんがね」


 俺が羊皮紙を丸めて懐に入れると、競売人は娘を連れてきた。

 全裸だった娘には、灰色の粗末なローブがかぶせられていた。

 落札されると同時に、奴隷は買い手の私有物となる。他人にその裸を見せてやるわけにはいかないのだ。


 競売人は娘の首枷につながった鎖の端を俺に握らせた。

「お買い上げいただいたサービスです。

 お宅まで用心棒を無料でお付けしますが、いかがなさいます」


「いらん」

 ぶっきらぼうに答えた俺は、娘の鎖を手にして外へと出て行った。

 その背中を押すように、競売人の声が投げかけられる。


「それでは、くれぐれもお帰りはお気をつけて!」


      *       *


 市場から離れると、俺は周囲を油断なく観察しながら歩いて行った。

 そして人通りが途切れた瞬間、娘の身体を抱きかかえるようにして薄暗い小路に飛び込む。


 ローブの上から抱いた娘の身体は、細かく震えている。手の感触で、彼女はローブを一枚羽織っているだけで、全裸のままであることが感じられた。

「痛くはしないから、少しじっとしていてくれ」


 俺はそう言って、娘の鉄の首枷に手をかけた。

 細いが十分な厚みがあり、溶接されているので切断は容易ではなさそうだった。

 俺は親指と人差し指で首輪を摘まむと、指先に魔力を集中させた。


 首枷はすぐに〝ぱきん〟という音を立てて折れた。

 同じことを輪の反対側でも行い、俺は首枷を鎖ごと小路の隅に放り投げた。

 かわいそうに、娘の首元には金属で擦れた跡が赤く残っている。


「あの……何を?」

 どうやら裸をまさぐられるのではないようだ――娘は少し安心したような声で聞いてきた。


「あの首輪がなければ、奴隷だとは分からないのだろう?

 ならばあんなものを付けている必要はない。

 俺は昇太しょうた。高山昇太という。

 君の名前を教えてくれ」


「あの……私は奴隷ですから、名前はご主人さまが自由にお付けになる決まりでございます」


 俺は溜め息をつき、娘を安心させるように精一杯の笑みを浮かべた。

「だから君はもう奴隷ではない。

 君だって生まれた時から奴隷だったわけではないだろう。

 奴隷にされる前の名前を教えてはくれないか?」


 彼女は不安そうに小さな声で答えた。

「マヤ……マヤ・ホーリーと申します」


 俺は目を細めてもう一度笑った。

「そうか。マヤ――いい名前だ。

 俺のことは昇太と呼んでくれ。

 それじゃ、一度宿に戻ろう」


 俺はマヤの手を軽く握ると、再び明るい大通りへと戻っていった。


      *       *


 宿に戻ると、俺は亭主に部屋替えを要求した。

「一人部屋から二人部屋へ、それもこの宿で一番上等の部屋にしてくれ。

 宿代は前金で三日分払おう。

 これは余計な手間をかける手間賃だ」


 俺はそう言うと、亭主の手に銀貨を五枚握らせた。

 亭主は俺が連れてきた粗末なローブに身を包み、フードを目深に下げた女に不審の目を注いでいたが、態度を一変させてすっ飛んでいった。


 とりあえず、宿の洗い場でマヤにシャワーを使わせる。

 彼女は身体に香油が塗られたままだったので、それを落とさせるためだ。

 俺はマヤが石鹸で身体を洗っている間に、宿の女中に金を握らせ、洗濯済みであることを確かめて、女中の清潔な下着と衣服を強引に買い取った。


 俺は大きなタオルで身体を包んだアンナに再びローブをかけ、元から滞在していた部屋に連れ帰った。


 用意した下着と衣服をつけさせると、下着もブラウスもスカートもサイズは全く合わないし、地味で粗末なものだった。

 若く美しい彼女にはまったく似合わない。

 それでも物乞いのような汚いローブ姿よりは、よほどましだった。


「すまないがちょっとの間だけ、それで我慢してくれ。

 それじゃ、服を買いに行こう」


      *       *


 俺は高級そうな婦人服の店にマヤを連れて行った。

 女の買い物は長い。ましてや下着から普段着までを一式揃えるのは大事業だった。


 接客に出てきた女主人は、俺とマヤの風体を見ると顔をしかめたが、俺が革袋から金貨を数枚取り出して見せびらかすと、途端にとろけるような笑顔を浮かべた。


「金に糸目はつけん。

 彼女を誰もが振り返るようなレディに仕上げてくれ」


 店の奥に拉致されていったマヤを見送ると、俺は近くの喫茶店でコーヒーを注文した。

 ついでに俺たちを尾行してきたらしい、数人の集団も片付けた。

 彼らの存在は、奴隷市場を出た瞬間から気づいていた。


 大方、俺から金かマヤ、あるいはその両方を奪おうとたくらんだ馬鹿者なのだろう。

 実に鬱陶しかったので、ちょうどよかった。

 彼女の見ている前で処分をするのはさすがに気が引けるからだ。


 俺は建物の陰でこちらを窺っている男たちの方にちらりと目を向け、小さくつぶやいた。

「愚か者が……ゲヘナの炎にかれてしまえ!」


 それでしまいだった。

 彼らが真っ黒な球体に包まれ、一瞬で消え去ったことに気づいた者はいない。

 人の大乳輪に手を出そうなどと考える馬鹿は、骨すらも残さずに、地獄の業火に焼き尽くされるのがお似合いなのだ。


 人を――それも二人も殺したのは、もちろん生まれて初めてだったが、不思議と俺は冷静だった。

 罪悪感など微塵も感じない。

 思い返せば俺はもうこの時、すでに壊れていたのかもしれない……。


      *       *


 俺はゆったりとした気分で香り高いコーヒーを啜っていた。

 時間はたっぷりありそうなので、懐から受け取った羊皮紙を取り出し、よくよく読んでみる。


 厚手の羊皮紙には、細かい文字でさまざまな情報がびっしりと書き込まれていた。

 その中には奴隷の来歴書もあった。もちろん異世界の知らない文字だが、魔法の力によって何の問題もなく読むことができる。


 それによると、マヤはクリムゾン王国の西部出身で、開拓地で羊を飼っている農場の長女だった。

 それが半年前、この地方を侵略してきた〝独善の魔王〟配下の魔物の襲撃を受け、農場は家畜もろとも全滅した。

 家畜だけではなく、両親と三人の弟も虐殺されたのである。

 マヤはその日たまたま両親の使いで町に出かけていたため、危うく難を逃れたのだ。


 開拓に当たって両親はかなりの額の借金をしていた。

 その年の春に購入した家畜や種籾の代金もまだ未払いだった。


 当然農場は破産し、なお残る借金を十八歳になったばかりのマヤが返せるはずもなかった。

 そのため、債権者たちは唯一残された〝売れそうな財産〟である彼女を、奴隷として売り払ったのである。


「そうか、やはりこの世界には〝魔王〟がいるのだな……。

 とことんお約束というやつだ」


 ぼんやりと俺はそんなことを思った。

 この時には、まさかその独善の魔王が、俺の運命を狂わせる張本人だとは知らなかったのだ。

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