第2話 山のあなた

 俺は少しの間考えた。


 ラノベやアニメは、俺のようなデザイナー業界では基本的な教養と見なされているから、それなりの知識がある。

 こうした異世界転生では、チートな能力を与えられた主人公が好き放題の無双をするのがお約束である。


「そうだなぁ……。戦闘や出世は興味がないが、ハーレムっていうのは魅力的だ」

 ぼそりと答えた俺に、神はぽんと手を打って「なるほど!」とうなずいた。

 実に軽い奴だ。


「うむ、男子として実に健全な目的じゃの。

 ああ、皆まで言うな。

 お主の趣味はすでに調べがついておる。

 巨乳・爆乳の女たちを周りにはべらせたいのであろう?

 よいよい、それでこそ男というものじゃ」


 俺は深い溜め息をついた。

「神って奴はのぞき見をするのか?

 しかもその結果が間違っている……最悪だな」


 老人はいかにも〝心外だ〟という表情をして口を尖らせた。

「いや、わしは基本的に人間には干渉せんぞ。

 たまたまお主が手違いで死んでしまったから、わざわざ情報を集めただけじゃ。

 お主がしょっちゅうレンタル屋で巨乳DVDを借りているのは調べがついておる。

 男同士じゃ、そう恥ずかしがらなくてもよいだろう」


「だから違うと言っている!

 俺は別に巨乳好きではないんだ」


 神は不思議そうな表情を浮かべた。

「はて?

 巨乳好きではないのだとしたら、なぜあのようなアダルト作品を好んで借りておるのかの?」


 俺はぼりぼりと頭を掻いた。

 お約束とは言え、神を相手に俺は何の話をしているのだ?

 面倒くさくなった俺は、投げやりな態度で説明をした。


「いいか?

 俺が好きなのは乳輪だ」


「にゅうりんじゃと?」

 きょとんとした顔で神が聞き返す。


「そうだ。乳首の周りに拡がる色素沈着――乳輪だ。

 それが大きければ大きいほどいい。

 俺は大乳輪マニアなんだ。

 借りているDVDが巨乳モノなのは、えてして大乳輪の持ち主が巨乳であることが多いという結果論に過ぎない。

 むしろ貧乳・微乳で大乳輪!

 それこそが俺の求める究極の女だ」


 俺は目を閉じ、ある有名な詩の一節を口ずさんだ。

「巨乳のあなたの空遠く大乳輪ありと人の言う……。

 嗚呼、誰か知ろう百尺下の魚の心。

 四十有余年のこの人生、求めても求めても我が理想の乳輪についぞ出会うこともなく、トラック君の魔の手にかかり死んでしまうとは……情けない。

 思えば思えば、エエ恨めしい、一念通さで置くべきか!」


「う……うわぁ!

 前回も酷かったが、今回も屈折した変態じゃのう……」


「何だ? 何か言ったか?」

 全部聞こえていたが、俺はわざとらしく問う。

 神は揉み手をして愛想笑いを浮かべた。


「いやいや、こっちの話じゃよ。

 しかしデカ乳輪が好みだと言うのなら、妊娠した女がよいのではないのか?」


「ちっちっち……」

 俺は人差し指を立てて左右に振った。


「妊娠・授乳期の大乳輪は、乳輪マニアにとっては外道だよ。

 岸壁で釣り上げるフグみたいなもんだ。

 確かにメラニン色素の沈着によって黒変した大乳輪にはそれなりの趣がある。

 だが、それは一過性のものに過ぎない。

 真の大乳輪とはとても呼べないな」


 俺は胡坐あぐらを解いて正座で座り直し、上半身をぐいと前に乗り出した。

「いいか爺さん。

 正統的な乳輪マニアにとって、妊婦乳輪の格付けはせいぜい五番がいいところだ」


「げ、外道という割には上位じゃのう?」


「ああ、大乳輪自体が希少だから仕方がないんだ。

 妊婦乳輪の上が俺がレンタル屋で借りていたAV女優のような連中だ。

 巨乳の大乳輪、ただし撮影技術かメイクなのかは知らないが、色がきれいなピンクであるのは高評価だな」


「で、では……さらにその上があるのじゃな?」


 神の問いに俺は大いにうなずいた。

 普段、こんな趣味の話は堂々とはできないだけに、俺の弁舌には自然と熱がこもる。


「うん、三番手としては、〝パフィーニップル〟だ」


「ぱふぃい? 蟹を食いに行くのか?」


「誰がメリケン波止場でソワソワするんだ!

 そうじゃない、乳輪部分がふっくらと盛り上がっているのをパフィーニップルと言うんだよ!

 神のくせにそんなことも知らんのか?」


「いや、普通は知らんと思うぞ?」


「とにかく!

 ピンクか薄い褐色の大乳輪でしかもパフィーニップル。

 これが三大美乳輪の第三位なのだ!」


「なっ、なるほど。

 ……それでは第二位とは?」


「処女だ」


「はい?」


「だから処女の大乳輪だよ!」


 神の顔に明らかな失望と侮蔑の表情が浮かぶ。

「わりと普通いうか……。

 今どき処女性にあれこれこだわるのは幻想ではないのかの?」


「馬鹿を言うな」

 俺はドスの利いた低い声を出した。


「いいか、江戸時代の庶民は女房を質に出してでも初ガツオを買い求めたという」


「お、おう。聞いたことがあるわい」

 老人がごくりと唾を呑み込む。


「〝初物七十五日〟という諺もあってな、初物を食べると七十五日の寿命が延びるとされている。

 花街では〝水揚げ〟と言って、初めて客を取る遊女は特別高価な料金を払わねばならない」


「ましてや!」

 俺がいきなり大声を出したので、神はびくっと身体をすくませた。


「処女の大乳輪ともなればその価値は無限大!

 明和年間にかの碩学せきがく西原易軒が著した奇書『椿説乳輪譚』によれば、『未通女おぼこの乳輪を口に含みし者、霊気をまといて黄金の桃源郷に降り立つべし』(民明書房刊『完訳・椿説乳輪譚』より)と書かれているくらいなのだ!」


「よ、よく分からんが、すごい自信じゃ」

 神は僕の勢いにすっかりビビっている。


「そしてそれを超える堂々の第一位が、さっき俺が言った微乳、あるいは貧乳の処女大乳輪なのだ!

 俺はこの目でその伝説とも言える乳輪を拝み、しゃぶりつくせるのなら、悪魔に魂を売り渡してもいい」


 圧倒された神はしばらく呆然としていたが、しばらくしてようやく我に返った。

「ま、まぁ話は分かった。

 つまりお主は、この異世界で理想の乳輪を持つ女たちを手に入れたいと言うのじゃな?」


 俺はうなずいた。

「そういうことだ。

 ただ、それがどんなに難しいことかも自覚している。

 いくら神の力を持とうとも、出会ったそばからあらゆる女性を裸にむいて、乳輪の大きさを確かめるわけにはいかないだろう。

 こう見えても俺は常識人だ。

 社会人として人に後ろ指をさされるような生き方はしたくない」


「なるほどのぉ……。

 ならば心配はいらんぞ。

 特別ボーナスじゃ、お主に大乳輪アンテナを付けてやろう」


「大乳輪アンテナ?」


 神は笑顔で大きくうなずく。

「そうじゃ。

 近くに大乳輪の持ち主が現れた場合、お主の髪の毛がアンテナのようにピンと立ち上がるようにしてやろう。

 さすれば服を脱がさずとも、お主が求める大乳輪かどうかが分かるじゃろう。

 さすがに処女かどうかとか、巨乳・貧乳の区別まではつかんがの。

 お主には自動発動する魅了魔法チャームが備わっておる。

 狙って近づけば大概の女は簡単に落とせるじゃろうて」


「そっ、そんな便利な設定があるのか……?」

「何せお主がこれから向かう世界は、わしが創造した趣味の世界じゃからな。

 その程度はお茶の子さいさいじゃ」


 俺の身体の奥底から、ふつふつとした喜びが湧きあがってくる。

「ふっふっふっ……越後屋、お主も悪よのぉ」


 神も調子を合わせてにやりと笑う。

「お代官様こそ……」


 俺はふと気がついて神に訊ねた。

「その、俺の転生先ってのは、やっぱり中世ヨ-ロッパ的な世界なのか?」

「ああ、そうじゃ。

 もっと具体的に言えば〝ナーロッパ〟と言われる極めて都合のいい世界じゃよ。

 それがどうかしたのか?」


「いや、どうせなら日本的な世界観で、キモノの帯を引っ張ってくるくる回すのを一度やってみたかった」


「アホなことを言っとらんで、もっと真面目にやれ~!」

 神様に四畳半を叩き出された俺は、異世界へと飛ばされていった。

 そして俺は生き返った。

 なぜか頭の中には般若心経が流れていた。

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