第13話 魔将軍ブラックタイガー

 僕がイメージしたのは、魔物たちがひしめく荒野に広範囲の炎を現出させ、敵を焼死させる魔法だった。

 しかし、実際に発動した魔法はそんなレベルではなかったのだ。


 いきなり大地がぜた――としか言いようがない。


 魔物たちの足元の地面が膨張し、魔物ごと大地がぶわりと浮き上がったのだ。

 そして、空中に浮遊した全ての物体が一瞬で蒸発した。


 消えたのではない。固体が凄まじい熱量により、いきなり気体化したのだ。

 土や岩石が、溶岩という液状化のプロセスを省略して気体化するという、常識外の現象が起こったのである。

 魔物とはいえ、生物である彼らがどうなったのかは言うまでもない。


 いきなり直径一㎞に及ぶ範囲で、地獄の業火ヘル・ファイアは全てを消滅させた。

 その犠牲となった魔物たちは幸運であった。彼らは何が起きたのかも理解しないまま、苦痛を感じる間もなく魂を天に召されたからである。


 悲惨だったのは魔法の範囲外にいて即死を免れた魔物たちであった。

 数万度というありえない熱風が彼らを襲い、わずか数秒ではあったが、魔物たちは地獄の責苦がどれほど苛烈であるかを身をもって体験することとなった。


 眼球が蒸発し、口も鼻も喉も、粘膜という粘膜が泡を吹いて焼けただれた。

 皮膚も肉も臓物も、さらには骨までも炭化し、彼らは悲鳴を上げることすら許されずに灰になった。


 僕が地獄の業火ヘル・ファイアと唱えてから五秒後、見渡す限りの荒野にひしめき合っていた一万余の魔物はすべて消え去っていた。


      *       *


 あまりの光景に呆然とする僕を、賢者タイムアプリのレムがヒステリックに怒鳴りつけた。


『何をやってるっぺ!

 熱風がこっちに向かってるっぺ!

 このままだと味方全員、魔物と同じ目に遭うっぺよ!』


 はっと我に返った僕は夢中で叫んだ。

砂の嵐サンドストーム!」


 魔法知識のない僕が魔法を使用するには、発動の鍵となるイメージを想起しなければならない――そのことはもう十分理解していた。

 ただ、とっさに思い浮かべるイメージが、泉のように湧いて出るわけではないのだ。

 それは記憶の中にある無数のかけらの中から、望みに適った一片を釣り上げる行為に等しい。


 情けないことに僕の場合、幼いころから偏った趣味の親父に見せられた古いアニメや特撮作品がそれであった。

 今まさに僕が描いたのは、アニメで見た〝バベルの塔〟を守る竜巻のような砂嵐であった。


 大城壁で魔物の軍勢を待ち受けていた僕たちと騎士団の周囲に、たちまち凄まじい竜巻が巻き起こった。

 それは砂どころか土砂や岩石まで巻き上げ、天に向かって吹き上げていく。

 爆心地から津波のように襲ってきた目に見えない熱風は、その渦に巻き取られて上空高く吸い上げられていった。


『危ないところだったっぺ!

 お前が使った地獄の業火ヘル・ファイアは、始原の古代龍のみが行使するという第六水準レベルの魔法だっぺ。

 かつて古代龍はこの魔法で先史文明を滅ぼしたと言われるっぺ。

 世界を滅亡させるまでたった一週間しかかからなかったという話だっぺよ』


『それって……まさか』

『そうだっぺ。〝火の一週間〟だっぺ!』


 僕が危ういことをしでかしたということは身に染みた。

「あれ? 僕、また何かやっちゃいました?」

 などという台詞セリフを世界が滅んだ後で言っても、誰も突っ込んでくれる人はいないのだ。

 過度に強烈なイメージを描くと大変なことになる――それは十分に心に刻み込んだ。


      *       *


 やり過ぎたとは言え、とりあえず魔物の軍団は一掃できた。

 普通は一万を超す死体が転がっていると埋葬が間に合わず、悪臭や伝染病が蔓延して大変な事態となるのだが、最新の火葬炉でも実現できないような見事な焼却も完了している。


「セシリア姉さんは悲鳴を上げていやしたが、結果オーライでしたね、キリューの旦那」

 能天気にハンジが笑ってくれたが、僕も同感だ。

 結果よければすべてよし、人間万事斎王は伊勢の巫女みこなのだ。


 僕は騎士団に城壁内で警戒を続けるように命じ、騎馬で門を出た。従うのはエルフのセシリア、獣人のリーニャ、そしてハンジの三人だけである。

 彼らだけなら守るのは簡単だ。それは騎士団を残した理由でもあった。


 大城壁の先は焼け焦げた正真正銘の荒野になっていた。魔物は一匹も見当たらない。

 これなら魔王が巣食うという山までは楽に進める――そう思ったのは甘かった。

 魔王軍は壊滅したはずだったのに、僕らの行く手を遮る人影があったのだ。


 あの爆発と熱風の中で生き延びた者がいる?

 それともまったく新たに出現した魔物なのか?

 僕は三人の仲間に下がっているようにと伝えると、正体不明の人影に近づいた。


「何者だ! 名を名乗れ!」

 厳しい口調で呼びかけると、返ってきたのは意外なことに女の笑い声であった。


「くくくくくく……。さすがは勇者よ。

 有象無象の雑兵どもではひとたまりもなかったか。

 ――だが、私はそうはいかんぞ!

 我こそは魔王四天王が一人、魔将軍ブラックタイガーなり!」


 巻きが入っているだけにさすがに展開が早い。もう四天王が出てきた。


「清浄なれ!」


 僕が腕を横に払うと、熱気が消え去って周囲に新鮮な空気が満ちた。

 蜃気楼のように揺らめいていた視界も同時に晴れる。


「え?………」

 僕は驚きのあまり一瞬言葉を失った。


 魔将軍は僕の表情を誤解したのか、甲高い笑いを響かせた。

「どうした坊や? 恐ろしさで小便でもチビったか?

 無理もあるまい……。私の姿を見て、生きて帰った人間はいないのだからな!」


「いや、エビ」

「何だと?」


「だから、あんたエビ……いや、ザリガニか?」


 僕は魔将軍が〝ブラックタイガー〟と名乗ったのを聞いて、てっきり虎の獣人を想像していたのだ。

 しかし、目の前に立っていたのはどうみてもエビのかぶりものをした、戦隊モノに出てきそうな怪人(変態)だった。


 頭部は無駄にリアルなエビそのもの、両手の先がカニのハサミのようになっているので、むしろザリガニっぽい。

 それなのに身体の方は、黒のボンテージ風衣装の巨乳むちむち女である。

 ひょとしたら中身は悪の女幹部にありがちな元AV女優かもしれない。


「きっ、貴様ぁ! 言うてはならんことを……!」

 怒りのあまり、女将軍の黒いエビ頭が赤くなった。


「あ、ちょっと待ってね」


 僕はそう断って、後方で待っているハンジたちの方に戻った。


「ねえセシリア。君、風魔法は使える?」

 エルフの娘はこくんとうなずいた。


「ハンジ、確かお昼ご飯用に城の食糧庫から小麦粉と卵をもらってたよね?」

「へえ、パンケーキでも作ろうかと思って……」

「よし、それを出してくれ」


 ハンジが荷物の中から小麦粉の袋と、数個の卵を出して差し出した。

 僕はそれを受け取って小麦粉をセシリアに渡し、リーニャには卵を渡した。

 不思議そうにしている二人に僕は簡単な指示を出した。


「僕が合図を出したら、リーニャはあいつに卵を投げつけてくれ」

「分かったにゃ」


「リーニャが卵をぶつけたら、セシリアは風魔法を唱えて、その小麦粉をあいつに向けて吹きつけてくれ」

「そのくらいなら簡単だけど……そんなことをしてどうするの?」


「まぁ、僕に任せてよ」

 そう言うと、僕は再びブラックタイガーの前に立つ。


「待たせたなブラックエビゲルゲ!」

「誰がドルゲ魔人じゃ! 私はブラックタイガーだ、断じてエビ怪人ではない!」


 いきり立った魔将軍の隙をついて、僕はさっと右手を上げる。

 すかさずリーニャが大きく振りかぶった。


「ジャコビニ流星投法にゃ!」


 獣人が振り下ろした手からは、同時に十個の卵が矢のように放たれた。

 決して大きいとは言えない肉球のついたリーニャの手で、どうやって十個の卵が持てたのかは謎である。

 とにかく、突発的な大流星群を思わせる卵が、百六十㎞を超える速度でブラックタイガーを襲ったのだ。


 卵は全て命中して殻が砕け散り、黄身が潰れ、女魔将軍の全身をドロドロにする。

「うわっ! 何だこれは?」

 うろたえる彼女に、セシリアの風魔法に乗った大量の小麦粉が襲う。

「うえっ、ぺっ! きひゃま、にゃにを……!」


 魔将軍は卵でコーティングされた身体に小麦粉を吹きつけられ、真っ白になった。頃はよしである。

 僕は情け容赦のない言葉を発した。


女殺油地獄おんなごろしあぶらのじごく!」


 途端に敵の立つ地面から、まるで間欠泉のように勢いよく液体が噴き出し、女将軍の全身を包み込んだ。

「うぎゃっ、何だこれはっ! うおぁっ、ああああ熱い! 熱いぞぉーーーーーっ!!」


 その液体は温泉ではなかった。油である。しかも純度百%のラードだ。

 油は球状となって空中で女将軍を閉じ込め、ぐるぐると対流しながらどんどん温度を上げていった。


 あまり温度を上げ過ぎてはいけない。百八十度から百九十度――そのあたりが適温である。

 僕は頭の中で、カラっと上がる天ぷらをイメージしながら慎重に温度を制御した。

 全身が黒っぽかったブラックタイガー将軍の身体は、みるみるうちに赤く染まっていく。


 全身にまとった卵と小麦粉が、まるで花が咲いたように見事な黄金色になったのを確認して、僕は魔法を解除した。

 一体どこに吸い込まれたのか、油は一滴残さず消滅した。

 魔法とは便利なものである。揚げ物後の油の処理が不要と知ったら、全世界の主婦たちが感涙にむせぶだろう。


 そこに残っていたのは、見事に揚がったエビの天ぷらだけであった。

 僕は笑顔で振り返った。


「さあ、お腹もすいたし、そろそろお昼にしようよ!」

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