第12話 略奪された三人目の花嫁

「勇者よ!」


 ここはアスラン王国の謁見の間。僕たちは膝をついて王の前で頭を下げていた。


「苦しゅうない、頭を上げよ」

 威厳に満ちた王の声が響き、僕は顔を上げた。


 声の主は、肩まで伸び外カールをした白い長髪に王冠を戴き、やはり真っ白で見事なカイゼル髭を口元に蓄えている。

 まさしくそれは王の風貌だった――というより、トランプのキングそのままである。


 王は僕と目が合うと、厳しい表情で口を開いた。

「死んでしまうとは何事だ!」


「うっ!」

 いきなりのことに僕は絶句してしまった。

 なぜ、この王様は僕が別の世界で死んだ〝転生者〟だということを知っているのだろう?

 見た目はトランプだが、油断はできない……!


 黙り込んだ僕の側に、大臣らしい太ったおじさんが〝さささっ〟とゴキブリのように這い寄って耳元でささやく。


『勇者さまっ!

 せっかく王様がボケておられるのです。

 ここは突っ込むところですぞ!』


 ――えっ! 今のはボケだったの?

 僕は仕方なく答えた。

「なっ、何でやねん、まだ生きとるやないか!」


 ああ、情けなくて涙が出てくる。

 しかし、王様は僕の返しに大いに満足したように相好を崩した。


「そなたが暴虐の魔王を倒し、姫を救いにきたという話は聞いておる。

 実に天晴れな覚悟である! 期待しておるぞ。

 ちなみにわしがこの国の王、オーダ・ジーマHeyヘイ! 八世である!」


「はぁ……お名前は分かりますが、〝Heyヘイ!〟って何ですか?」

「わしがオダジーマHeyヘイ! 八世である!」


「だっ、だから――」

「オダジマHeyヘイ! 八世である!」


 さっきの大臣が僕の袖を引っ張る。

「勇者さまっ、王がああ言ったら謁見は終了なのです!

 詳しい話は別の間で……」


 僕らは止む無く一礼をして謁見の間を辞したのである。


      *       *


「ちょっと待て!」

 僕はスマホを取り出してレムに怒鳴った。


「何でいきなりアスラン王国で王様に会ってるんだよ!

 獣人族のビーバー族長との会見は?

 どうやってアスラン王国に入国したの?

 何でお姫さまを救う話になってんの?」


 スマホのスピーカーからレムの面倒くさそうな声が返ってくる。

「うるさいっぺ!

 尺の問題だっぺよ」


「しゃくぅ? 尺って何だよ? 仔山羊の上でアルプス音頭でも踊るのかよ?」

「話がややこしくなるから変なボケを挟むんじゃないっぺ!

 大体『アルプス一万尺ヤンキードゥードゥル』なら、仔山羊こやぎじゃなくて〝こやり〟の上だっぺ」


「いいけ? この話はもともと十話くらいでさくっと終わって、次の第二部に進むはずだったっぺ。

 それを作者がずっと長編ばっかり書いてた癖でついつい話を引き延ばした揚句、十話を超えても予定の半分も消化していなっぺ!

 だから〝巻き〟が入っているっぺ。少しくらいの省略は我慢するっぺ!」


      *       *


 以下はこの後に大臣から聞いた話である。


 アスラン王国はこの辺り一帯を治める由緒ある王家であった。

 王国の北部は荒涼とした山岳地帯であったが、十年前、その高山の一つに突如として暴虐の魔王を名乗る魔物が棲みついたのだ。


 始めのうちこそ、猟師や山仕事をする麓の民が魔物に襲われる程度の被害であったが、数年も経つと魔物の数がどんどん増え始め、徐々に人里にまで魔物が出没するようになった。


 見かねた王は騎士団や冒険者を募って魔物の討伐に向かわせた。

 一、二年はそれでどうにか被害を食い留めていたが、近年は魔物の勢力が強大となり、王国ばかりか周辺の森林に暮らす獣人族やエルフ族にも被害が出るようになったのだ。


 もちろん王も座視していたわけではない。

 より大規模な騎士団を動員し、必死で魔物の壊滅に努めたが、もはやそれは〝遠征軍〟ではなく〝防衛軍〟に過ぎなくなっていたのだ。


 そんな中、幼いころから武芸を愛し、自ら騎士となった王の長女キュア姫が出陣することとなった。

 王と王妃が止めるのを振り切って魔物の群れに挑んだキュア姫だったが、武運つたなく騎士団は敗れ、姫は魔王の捕虜となってしまったのである。


      *       *


「なるほどね~」

 僕は溜め息をついた。


「いや、どうせ暴虐の魔王は倒すつもりだったし、姫さまが拉致されたというのなら、勇者として救わないわけにはいかないか……」

 僕はもっともらしくそうつぶやいた。


 だが本心はまったく違うことを考えていたのだ。


『囚われの姫君を勇者が救うというのは王道じゃないか!

 何と言っても本物の〝プリンセス〟だぞ?

 それが魔物に捕らわれてしまったんだ。

 きっと死ぬほど恥ずかしい目にあっているに違いない!

 例えば岩壁に鉄の鎖で吊り下げられて、美しいわきを露わにされ、少しずつ伸びるわき毛を、大勢の魔物たちに見つめられていたとしたらどうだ?

 魔物の子どもが『わき毛観察日記』を夏休みの宿題にされ、姫君のわきを絵入りで記録していたとしたら……。

 あああああああーーーーーっ! 考えただけで脳がっ、ふ・る・え・るぅ~っ!』


 僕は自分の妄想に慄然とした。

『はっ、いかん! いかんぞ!

 そんな羨ましいことを僕以外の者が堪能しているとしたら……とても辛抱たまらんっ!

 もうこのシチュエーションは運命と言ってよい!

 そう、プリンセスもハーレム要員花嫁候補の一人に間違いないのだ!!』


 勝手な思い込みは、怒りの炎となって燃え上がる。

『僕の花嫁を略奪するとは……天が許しても、この聖護院騎龍が断じて許さん!』


 自らの妄想に捉われて無言となった僕を、セシリアとリーニャが心配そうに見つめていた。

「大丈夫ですか? 魔王軍は今や一万を超す軍勢だと聞いております。いくらキリューでもそんな大軍を一人では……」


「そうだにゃ! しかも魔王軍には四天王と呼ばれる手強い魔将軍がいるという話だにゃ」


「まぁ、できるだけのことはしてみるさ。

 そろそろ神様の言っていた第七水準レベルの魔法も試してみたいしね」


 僕の言葉にセシリアの表情が一瞬で凍りついた。

「キリュー! あなた、まさか第七水準レベルの魔法が使えるの?」


 何を彼女がそこまで恐れているのかも知らず、僕はあっさりとうなずいた。

「そうみたいだよ。

 まだ使ったことはないけど、神様が無敵だって言ってたから、多分魔王軍相手でもどうにかなるんじゃないかな?」


「いけません、キリュー!

 そんな魔法を使っては!」


 僕は首をかしげた。


 セシリアは身震いし、がちがちと歯を鳴らしながら訴える。

「世界が――滅びます!」


      *       *


 翌日、早朝だというのに王城に早馬が急を知らせてきた。

 魔王軍およそ一万の軍勢が、王都を目指して進撃を開始したというのだ。


 僕は当たり前のように出陣することになった。

 と言っても、剣も鎧もない。相変わらずの徒手空拳である。


 王国騎士団は千二百人の兵を出してくれた。

 一万の軍勢を相手にするにはまったく足りないが、悲しいことに精鋭を誇った王国騎士団も、今やそれが精一杯の動員だったのだ。


 決戦の場は王国北方の大城壁。

 魔王の降臨に伴って、三年の月日をかけて急遽築かれた長城である。

 ここを突破されれば、人間の住む市街地も農地も蹂躙され、王国は城の陥落を待つまでもなく崩壊する。


 僕らは大城壁の正門の上に立って眼下に広がる荒野を見渡していた。

 そこはかつて、葡萄畑や小麦畑が広がる豊かな農地だったそうだ。

 それが今や魔物の侵攻で焼き払われ、草一本生えぬ荒れ地と化していた。


 そしてその地面の色さえ確認できぬほどの軍勢が、びっしりと地を覆い尽くしている。

 早馬が継げた「魔王軍一万」というのは、決して大げさではなかった。

 むしろもっと多いかもしれない。


 オークやゴブリンといったお馴染みの雑魚キャラから、ガーゴイルやハーピーといった空を飛ぶ異形、巨人族ジャイアントや亜龍の類まで混じっている。


 一万を超す魔族の軍勢は、土埃をあげて迫ってくる。その足音は雷鳴のように轟き、大地は地震のように揺れた。


「さすがに迫力あるなぁ~」

 僕は正直な感想を漏らした。


「何でえ、何でえ、キリューの旦那! こんな有象無象、得意の魔法でぱぱーっと片付けちまいましょうよ!」


 調子のいいハンジの声に、僕も笑顔で応じる。

「そうだね。もったいつけてもしょうがないもん。

 もし駄目だったら、全力で逃げよう!」


 さて、そうは言うものの、これだけの大軍勢を相手にする魔法って、どうイメージしたらいいのだろう。

 きっとそれはセシリアが怯えるように、恐ろしい魔法に違いない。

 例えて言えば、この世に現れた地獄――そうか! これだ!


      *       *


 僕の家の近所には禅良寺というボロ寺がある。

 住職は嫁さんに逃げられたという噂の生臭坊主で、その無駄に広い境内は僕が小さいころ、悪ガキどものいい遊び場だった。

 禅良寺には寺宝と呼ばれる絵図があり、年に一度の御開帳の日には近所の婆さん連中が集まり、ありがたがって拝んでいたものだ。


 婆さんたちは、その御開帳日に僕ら悪ガキ連中を必ず連れて行った。

 僕らは泣きわめいて抵抗したが、大人は誰も助けてはくれなかった。


 年に一度公開されたのは、「六道絵図」と呼ばれるものだった。

 一般的には「地獄図」とか「地獄絵図」と言われ、地獄で鬼の責め苦に遭う亡者たちを毒々しい極彩色で描いた絵図である。

 あれは少年の僕にとって、まさにトラウマとなるものだった。


 炎に焼かれながら、情け容赦のない鬼に舌を抜かれ、釜の油で煮られ、針の山に追い立てられる亡者――血と炎の赤に塗りたくられた、悪夢のような光景が迫ってくるのである。


      *       *


「これだ!」

 僕は自分のイメージに自信を持ち、眼下の地獄のような荒野に炎を現出させ、魔物を焼き尽くす魔法を望んだのだ。


地獄の業火ヘル・ファイア!」

 そう叫んだ僕に、顔を蒼白にしたセシリアが叫ぶ。


「駄目っ、キリュー! その魔法は!」


 同時に脳内にレムの怒号がけたたたましい警報音とともに鳴り響いた。

『何やってるっぺ!

 それは第六水準レベルの爆炎魔法! こんなところで使ったら!!』


 しかし遅かった。

 すでに魔法は発動してしまったのだ。

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