第9話 花嫁の味見(ブライド・テイスティング)
ハンジは完璧な仕事をしてくれた。
彼は両替を済ますと、その足でこの町一番の宿屋で二部屋を確保してくれた。
一部屋は貴人でなければ宿泊を断られるような豪華なスイートルーム。もう一部屋は、自分用の安くて狭い個室であった。
それでも「雑魚寝の大部屋よりはましでやんすよ」と、彼は笑って答えた。
予約を終えて戻ってきたハンジは、僕とセリシアを宿に連れて行く前に、婦人服屋に寄ってくれた。
セリシアのローブの下はすっぽんぽんで、彼女は心細い思いをしていたから、その心遣いはありがたいものだった。
服は当然として、下着も選ばなければならないから、僕とハンジは気を遣って店の外で待つことにした。
「旦那、女の
ここはひとつ、一杯ひっかけて暇を潰しやしょう!」
僕は当惑した声で答える。
「だけど僕は未成年だし……お酒はまずいよ。
ハンジだってまだ十九歳なんだろう?」
ハンジはきょとんとした声を出した。
「へ? 旦那はいくつなんですかい?」
「僕はまだ十六だよ。君より年下なんだから、〝旦那〟は止めてくれ。
ただの騎龍でいいよ」
「なら、キリューの旦那だ!
いや、十六歳なら何も問題ありやせんぜ?
この国は十五歳で成人ですから、酒だって飲み放題です。
今は五月ですから、子どもの日で酒が飲めますぜ」
「六月は?」
「田植えで酒が飲めやす。
七月は……」
「いや、いい」
僕は手を出して遮った。違法ではないのなら、飲酒も経験のうちだろう。
たまたま婦人服店の向かいが居酒屋だったこともあり、僕らは女性店員に『向かいの店で待っているから、買い物が終わったら呼びに来てくれ』と声をかけて、居酒屋の
「へい、らっしゃい!」
元気のいい声が飛んできて、元気の良さそうな女の子がお盆を胸に抱いてやってくる。
「とりあえず酒を二本だ!
おいらは焼き鳥の盛り合わせを貰おうか。
キリューの旦那は何にしやす?」
僕は少し考え込んだ。何しろこっちは高校生だ。居酒屋なんて入ったことがない。
「それじゃあ……〝おから〟はあるかな?」
店の女の子は首を捻った。
「〝おから〟って……何ですか?」
しまった。つい自分の好物を口走ってしまったが、ここは異世界なのだ。
「豆腐の搾りかすみたいなもんだけど……ごめん、そんなのがあるわけないよね」
「ああ、〝
もちろんありますよ。うちの卯の花の味付けは甘くないですけど、大丈夫ですか?」
嬉しそうな顔をする少女につられて、こちらも笑顔になる。
「ああそうか、卯の花とも言うよね! うん、しょっぱい方が好みだよ。
そうかぁ、おからがあるなんて、この店はきっと繁盛するよ!」
「かしこまりぃ~!
三番テーブルさん、お酒二本に焼き鳥、卯の花一丁!」
元気よく復唱して少女がぱたぱたと去っていく。
「へえ~、キリューの旦那。酒の
おからっていう言い方は、風流でやんすね。あっしも昔聞いたことがありますぜ。
何でも遊女に振られたプロレスラーが故郷に帰って豆腐屋を開くって
「そっ、そうなの? その話は知らないなぁ」
「そうっすか?
落ちぶれた遊女が豆腐屋におからを恵んでくれと頼んだが断られ、絶望して井戸に身を投げるって有名な話なんですけど……」
そのとたんに、どこからか小さな
札を拾い上げてみると、案の定「ちはやふる」だった。
僕は札を握り潰してじっと耐えた。不条理なボケに突っ込んだら負けなのだ。
* *
酒(と言っても当然日本酒ではなく、焼酎みたいなものだった)を二本と数品のつまみを食べている間に、セシリアの買い物が終わったという知らせがきた。
服の山を抱えたハンジを従え、僕たちは上機嫌のセシリアとともに宿に入った。
スイートルームはさすがに豪華で、二つ並んだベッドも大きく、ふかふかの羽毛布団は快適だった。
入浴してさっぱりしたセシリアはますます上機嫌で、ベッドの上に買い込んだ衣装を広げ、次々に着替えては僕の感想を求めてきた。
夕食は宿の食堂で済ませたが、かなり豪勢で味も悪くない。
ハンジからはこの地方の町や村の噂話、セシリアからは暴虐の魔王の脅威と、それに対抗する騎士団の活躍の話をゆっくりと聞くことができた。
多分、賢者タイムアプリのレムに尋ねても、同様の情報は得られるのだろう。
だが、実際にその目で見聞きし、肌で感じ取った者の言葉は臨場感が違う。
つい半日前まで、僕にはハーレムを創ろうという漠然とした希望はあったものの、具体的な行動の指針は何もなかった。
それが今はどうだろう。セシリアとハンジという二人の仲間を得て、暴虐の魔王を倒そうという確固たる目標ができたのだ。
食事は美味しく、お喋りはもっと楽しかった。
宿の従業員がお茶を注ぎながら、やんわりと注意を促したことで、僕らは三時間以上も話し込んでいたことに気づいた。
もう部屋に戻らなくてはならない。
そして、あの確認を行わなくては……。
* *
部屋に戻るなり、セシリアはベッドにぼふんと飛び込み、大げさに手足を伸ばした。
夕食のワインを飲み過ぎたのかもしれない。
僕はといえば、居酒屋でもそうだったがほとんど酔わなかった。
レムが教えてくれたが、僕は知らずに毒物を摂取しても、解毒魔法が自動発動してあらゆる毒を分解してしまうらしい。
酒も人体にとっては一種の毒だと判定されるらしい。
そのため、僕にとっては初めてに近い飲酒でも(もちろん悪戯で口にしたことが皆無だとは言わない)、多少気分がよくなる程度で、ほとんど変化を感じなかったのだ。
大の字で仰向けになっているセリシアの隣りに座ると、途端に彼女の身体が強張るのが伝わってくる。
僕は彼女の身体に覆いかぶさるようにして、耳元に
「君に魔王を倒して村を救うという目的があるように、僕にもこの世界で実現させようという夢があるんだ」
セシリアはかすれた声で問い返した。
「それは……何なのかしら?」
「ハーレムだ」
僕は正直に答える。
「…………」
無言になったエルフの少女に、僕は追い打ちをかけた。
「
別に否定はしない。これは僕のどうしようもない欲望なんだ。
この世界から、僕の理想の女性を集める。それは僕の花嫁候補たちだ。
僕は彼女たちを平等に扱うことを誓おう。
そしてハーレムが完成した暁には……」
「どう……されるのですか?」
セシリアはようやく口を開いた。
「僕の理想の花嫁を一人だけ選ぶ……。
そして彼女と永遠の愛を誓い、この身を捧げて守り抜く!
そのためのハーレムなんだ」
「まぁ……!」
彼女の頬が赤く染まる。それは明らかに酔いのためではない。
「だからこれから、君が花嫁候補たり得るか、僕は確かめなくちゃならないんだ。
繰り返すけど、もしそうでなくても、君との旅は続けるし、魔王を倒すための助力は惜しまない。
それは約束しよう」
僕は投げ出された彼女の手首を握った。
ぴくんと彼女が反応する。
「分かったわ。
でもお願い……!
……私、初めてなの。だから……痛くしないで? 優しくしてね」
「え゛………?」
僕は焦った。何だ、今のセリフは?
目を閉じてかすかに唇を尖らせるセシリアを見下ろし、僕は慌ててアプリに助けを求めた。
『おい、レム! 今のセシリアの発言はどういう意味だっ!』
軽蔑しきった冷たいレムの言葉が返ってくる。
『童貞は犬に喰われろ! だっぺ。
今のは
そんなことも分からないから、いつまでも童貞のままだっぺ!
もう知らないっぺ!』
ぶつりとアプリとの通信が切断された。
「ままままま、待ってくれセシリア!
僕はそんな男じゃない!
真実の花嫁が決まるまでは、君に手を出すわけがないだろう!」
セシリアはぱちりと目を開けた。
その表情には明らかに失望と不満と怒りが混じっている。
童貞の僕にも分かる。これはまずい。非常にまずい!
ままよ! こうなったからには、多少強引でも目的を果たすのみ!
僕は握っていた彼女の手首をぐいと上に差し上げる。
「えっ?」
驚く彼女に構わず、僕は彼女の身体にのしかかった。
* *
そこには白く輝く桃源郷があった。
僕の目の前には、腕を差し上げられたセシリアの眩しいような白いわきが露わとなっていたのだ。
彼女のわきに生えかけの無精髭のようなわき毛や、濃密な匂いを振りまく濃いわき毛がないことに、僕は失望しなかった。
そんなことは大通りで彼女を一糸まとわぬ姿にした際に、すばやく確認済みだった。
しかし、改めて目の当たりにした彼女のわきはどうだろう!
まるで大理石のようにすべすべした美しい肌!
剃毛や脱毛の痕跡を
まるで二次性徴を迎える前の少女、いや幼女のわきと言っても過言ではない。
これはすべすべ系わきの下の、理想とも言える状態ではなかろうか?
僕は感涙にむせびながらも、自らを
まだだ! 慌てるな聖護院騎龍よ、まだ結論を出すには早すぎるぞ!
ゆっくりとセシリアの白いわきに鼻先を近づける。
最初は十センチほど離して、ほのかに漂う芳香を確かめる。
かすかに柑橘系の香り。続いてハチミツのような甘さと同時に、若草の青々とした爽やかさが感じられる。
うん、最初の印象は悪くない。
僕はおもむろに鼻を近づける。わずか数センチを隔てた距離で、心を沈め、大きく空気を吸い込む。
最初に感じられたのは、やはり柑橘系――フレッシュなレモンの酸味とわずかな苦みを伴った香りだ。
続いてハチミツの甘さに加えて、濃密なバニラのような重厚な甘味が迫ってくる。
わずかに遅れてカラメルのような苦みを伴う甘さ――すばらしい甘味の複雑な重層構造だ。
僕は大いに満足して、次のテイスティングに移る。
舌を伸ばし、ねっとりとセシリアのわきを舐め取る。
「あんっ!」
惑わされてはいけない。エルフの官能的な呻き声は、正確な評価を狂わせる誘惑だ。
僕は意識をしっかりと保って、冷静に味蕾を刺激する成分を分析する。
最初の柑橘系の香りに加えて、今度は若草に替わって青りんごの風味が香る。
そして熟した桃の甘さ。あと少しで腐ってしまう直前で踏み止まった、
カラメルのような苦みは、コーヒーを思わせるものに変化して、その存在を高らかに主張している。
しかし、何よりも驚くべきことに、これらの甘味や苦みの要素を頭から追い出すと、その奥底に隠れた第三の味わいが待っていたのだ。
これは……潮の香りだ!
少しヨード香を含んだしょっぱい潮の香りが、はっきりと味蕾に吸収され、旨味となってこの味を完成させている。
それは生命の根源につながる、母なる海の味だった。
完璧な香り!
完全無欠の味わい!!
これを〝至高のわき〟と言わずして、何をもって究極を語る?
僕は呆然として、しばらく言葉を失っていた。
そして彼女を拘束していた手を放し、熱をもったセシリアの頬を両手で包んだ。
「キリュー……あなた、もしかして……泣いているの?」
セシリアの頬に、僕の涙がぽたぽたと
僕は彼女の背に腕を回し、抱きしめずにはいられなかった。
「ああ、ああ……!
セシリア、君は合格だ! 君こそは僕が求めて止まなかった花嫁候補の一人だ。
ありがとう――ありがとう!」
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