第7話 世紀末勇者伝説

 一時間ほど歩くと、僕にとって初めての町となるメルギードに着いた。

 この町はかなり規模の大きな城塞都市で、行き交う人の数も多く賑わっていた。


 街道からそのまま続く大通りを、僕は人波をかわすように歩いていく。

 特に当てはないが、とりあえず両替屋で金貨を一枚くずすつもりだった。

 スマホのカメラで賢者レムにポケットに入っていた金貨を見せたところ、彼女はその貨幣価値を教えてくれたのだ。


『金貨の枚数は十六枚、一枚十万ゼニーだから百六十万ゼニーだっぺ』

『その百六十万ゼニーって、僕の世界で言えばいくらぐらいに相当するの?』

『ざっくり言うと金貨一枚が百万円に相当するから、全部で千六百万円だっぺな。

 そのままじゃ使いづらいから、街に行ったら両替する方がいいっぺ』


 町に着くまで、僕はレムとそんな会話を交わしていたのだ。

 大通りに面した店の看板は、僕が全く知らない言語で書かれていたが、不思議なことにすらすらと読むことができた。

 レムが言っていた魔法の自動フィルターがかかっているらしい。


 両替屋の看板を探してぶらぶら歩いていると、大通りの向こうから、何かの危険が迫ってくるのをふいに感じた。

 目を凝らすと遠くの方では土埃が巻き上がり、重い蹄の音、逃げ惑う人たちの悲鳴が聞こえてくる。

 僕の周囲の人たちも異変に気づいたらしく、蜘蛛の子を散らすように店の中や路地へと避難していく。


 大通りの真ん中にぽつんと立ち尽くす格好になった僕に、どこかの物陰から切羽詰まった声が飛んでくる。

「あんちゃん、早く逃げな! 暴走族だよ!

 そんなとこに突っ立っていると、巻き添えを食うぞ!」


 僕は平和主義者だ。

 生まれてこの方、殴り合いの喧嘩なんかした経験はない。

 もちろん腕力にはまったく自信がないし、武術の心得もない。

 それなのに、僕はそこから動くことができなかった。


 もともと僕は視力がいい。それが恐らく魔法でさらに強化されているのだろう、遠くから近づいてくる一団の姿が、細部まではっきりと見て取れる。


 馬に乗った五人の荒くれ者。

 逞しい筋骨に包まれた身体を、袖のない革ジャケットからこれ見よがしに露出している。


 何故だか頭はみんな剃り上げ、スキンヘッドに黒い髑髏ドクロや赤いハートに矢が刺さった彫り物を入れている。

 完全なスキンヘッドもいれば、金髪モヒカンにしている者や、辮髪べんぱつのように三つ編みを垂らしている者もいる。


 彼らは馬からロープで〝あるもの〟を引きずっていた。

 ぐるぐる巻きにされた汚い毛布だ。

 誰かがいわゆる〝簀巻すまき〟状態にされて馬で引きずり回されていたのだ。


 そして僕の鋭い視力は、その埃にまみれた塊りからちらりと覗いた人間の顔を捉えていた。

 苦悶に歪む美しい顔……それは間違いなく少女のものだった。


 僕は道の真ん中で立ち尽くしながら、レムに尋ねていた。

『全然自信なんかないんだけどね……もし神様が言ったように、僕が魔法を使えるのなら、あいつらに勝てるのかな?』


 レムは即座に答えてくれた。彼女の明るい声が、骨伝導で頭の中に響き渡る。

『相手の戦闘力は二十から三十。

 はっきり言って雑魚ザコだっぺ。お前の敵じゃないっぺ』


『でも、僕……魔法の使い方はもちろん、戦い方だって知らないんだよ?』

『問題ないっぺ。ほら、もう身体が反応して必要な魔法が発動してるっぺ。


 筋力増強確認!

 反応速度増大確認!

 危機回避能力三段階アップ!

 格闘術自動発動完了!


 ――さぁ、蹴散らすだ!』


 レムの声とともに、身体中に力がみなぎりり、凄まじい筋肉の肥大パンプアップを感じる。


「何だ、てめえ?」

 騎馬の一団が立ち塞がる僕の前で急停止したのと、それは同時だった。


「兄ちゃん、そこをどかねえと怪我するぜ?」

 先頭の男がにやにやと笑い、手にしたナイフを長い舌で〝でろり〟と舐めた。


「ほぅわぁぁぁあああああーーーーーーーーっ!」


 上着を脱ぎすて、両の拳を握り仁王立ちとなった僕の口から、自分の意思とは無関係の叫びが洩れる。

 膨れ上がる筋肉がシャツを内部から破り、一瞬で黒い糸屑と化して弾け飛ぶ。


「てっ、てめえ! 何者だっ!」

 僕のいきなりの変容を目の当たりにした悪漢は、さすがに慌てた声を上げる。


 思わず僕は「ふっ」と気障きざな笑いを洩らした。


「君たちは僕のことを〝貧弱な坊や〟だと馬鹿にしていた。

 僕は筋力増強魔法を始めることにした。効果は短期間で現れ、満足できるものであった。

 今では誰でもが僕を立派な逞しい男性として見てくれる……」


 僕は高らかにそう宣言して胸を張った。

 意思に関係なく口を突いて出るこれらの言葉は、魔法の副作用なのだろうか?

 親父の持っている古い少年漫画誌に、そんな謳い文句が踊る怪しげな広告がたくさん載っていたのを思い出した。


 暴走族たちは、慌てて馬から降り、「ふざけやがって!」とわめきながら襲いかかってきた。

 僕の身体はごく自然に反応する。

 敵の拳を避け、ナイフをかわし、卑劣なフェイントをすべて見破った。


「ふぉぁたたたたたたたたたたたぁーーーーーーっ!」

 怪鳥音とともに僕の拳が高速で繰り出される。


「……勇者大漁拳!」

(おいおいおい、決め技ゼリフまで勝手に出てくるのかよ? 魔法こえーぜ!)


「きょでぶっ!」

「あべまっ!」

「おたべっ!」


 悪漢どもが次々に意味不明な悲鳴を上げて吹っ飛んだ。

 おお、強いぞ俺!


 ありがたいことに暴走族の男どもは、内部から破壊されてスプラッタな光景を見せることはなかった。

 僕だってそこまでは望んでいないから、正直ほっとした部分もある。


 一瞬で叩きのめされた男たちは、悲鳴を上げながら逃げ出そうとした。

 しかし、連中のリーダーらしいモヒカン鼻ピアスの男が一喝してそれを押しとどめる。


「馬鹿野郎! 一発殴られたくらいで狼狽うろたえるんじゃねぇ!」


「……おう、小僧。てめぇ、なかなかやるじゃねえか?

 だがな……世の中、上には上がいるんだよ!

 先生っ! お願いしゃっす!」


 モヒカンの声を待っていたかのように、どこからともなく一人の男が前に出てきた(本当に、今までどこにいたんだろう?)。

 いかにも〝騎士〟といった雰囲気を身にまとった男だった。

 だがその顔は病的なまでに痩せ、肉の落ちた顔面に大きな目だけがぎょろりと剥き出されていた。


『気をつけるっぺ!

 こいつ、今までの連中とは桁違いの手練れだっぺ。

 戦闘力はおよそ二百! 油断したら痛い目見るっぺよ!』


 脳内にレムの警告が響くが、そんなことは言われるまでもなかった。

 ひしひしと伝わってくる殺気と重圧。

 一瞬でも気を抜いたらられる……素人のはずの僕にも、それがはっきりと分かる。


「我はムロト……ムロト・ファンベーノ。

 ならず者の用心棒風情に堕落した憐れな騎士だ。

 おぬし……できるな?

 名を聞いておこう」


 頭の中でヒステリックに警告が鳴る。

『正直に名を名乗らない方がいいっぺ!

 こういう奴らに名前を知られたら、どこで闇討ちに逢うかもしれないっぺよ?

 ここは偽名を名乗っておくのが賢い男だっぺ』


 僕も同意見だった。多分、この男はわずかに残された武人としての誇りを、この戦いに賭けたかったのだろう。

 だが、そんな感傷に付き合う義理はないのだ。


「僕の名は……だだだだっ大助、そうだっ、花山大助! 天下御免の素浪人だ!」

 とっさに出た名前は、恐ろしくシンプルなものだった。やはり自分の厨房じみた名前に対するコンプレックスは隠しようがない。


「ダイスケ? 善き名ではないか。

 では、参る!」


 ムロトは無造作に距離を詰めてくる。彼は腰の剣さえ抜いていない。

 対する僕は丸腰だ。

 ええい、ままよ! 拳を構え、必殺の一撃を繰り出すのみ! 僕はそう覚悟を決めた。


 二人の姿はあっという間に重なり、交差した。


 次の瞬間、ムロトの身体が〝がくり〟と傾く。

 その手には抜身の剣が握られていた。

 一体、いつの間に抜いたのか……恐るべき抜刀術の冴えである。


 僕は僕で、額から一筋の汗が流れるのを感じていた。

 ムロトとすれ違う一瞬、確かに僕は一撃を放った。人間の頭蓋など木っ端微塵に粉砕する威力を込めたはずだった。

 しかし、その手応えがないのだ。


「かわされた?」

 この神速の一撃を、人間がかわすのか?

 僕が冷や汗をかいたのも無理がないだろう。

 だが、だからといって、こちらが〝斬られた〟という感覚もない。


 僕は思わず、すれ違ったムロトを振り返った。

 彼はがくりと膝を地面に突いている。

 次の瞬間だった。


「ぶっしゃぁーーーーっ!」

 ムロトの首筋辺りから、派手な音を立てて真っ赤な梨汁、いや血しぶきが噴き出したのだ。


 僕の拳圧が頸動脈を切断したのか?

 それにしたって、人間がこれほどの血を噴き出すものなのか?


 身体中に浴びた血潮で身体を濡らし、僕は呆然として立ち尽くしていた。

 気がつくと、暴走族どもの姿がどこにもなかった。

 それどころか、血しぶきを上げて倒れたはずのムロトの姿さえ、忽然と消えうせていたのだ。


『……レム。

 一体何が起こったんだ?』


『ムロトはすれ違った瞬間、騎龍にとてもかなわいないと覚ったようだっぺ。

 身体に仕込んでいた血糊袋とポンプを使って頸動脈を斬られたと偽装して、血しぶきを隠れ蓑にして雑魚ザコともども逃げ出したっぺよ。

 奴らの生体反応はもう一キロ以上離れて、なおも時速三十キロで逃走中だっぺ』


『そうだったのか……。

 その血しぶき隠れの技も魔法なのかな?』


『魔法とは別物、ある種のトリックのようなものだっぺ。

 この世界では〝忍術〟と呼ばれているっぺ』


『分かった。

 とにかく、あいつらが逃げ出したっていうならそれでいいや。

 それより、彼女を助けなくっちゃ!』

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