第6話 うるさいアプリ

 気がつくと僕は異世界に放り出されていた。


 天界で見せられたとおりの光景が周囲に拡がっている。

 僕は起き上がり、ぱんぱんと服の埃を払ってから、ポケットを探ってみた。


 左のポケットには小さな革袋が入っていた。

 引っ張り出して中を確かめると、金貨が十数枚入っている。

 当座の支度金といったところだろうか、神様というのはなかなかに面倒見がいい。


 次に右のポケットを上から叩いてみると、何か平べったい固いものが入っている。

「ビスケットかな? 叩いたから二つに増えているかもしれないぞ」

 そう思って手を突っ込んでみると、馴染みのある手触りがあった。


「スマホだ……」


 しかも取り出してみると自分の持っていた機種ではない。

 こんな異世界でスマホがあったって、電波が届くはずはないし、充電もできない。

 神様は何を考えているのだろう……。


 そうは思うものの、一応電源を入れてみるのは、僕も一応は今どきの若者ということなのだろう。

 電源は問題なく入り、画面がすぐに明るくなって起動した。

「へえ、ずいぶんレスポンスがいいな。メーカー名は……なしか。まぁ当然かな」


 画面に表示されているアイコンはやけに少ない。

 しかも何のアプリなのか見当もつかなかった。かろうじて分かるのは電話のマークだけだ。

 そのスマホが、突然「ピリリリリリリ……」と鳴った。


 僕は慌てて画面を見た。表示されているのは番号ではなく「非通知」の文字だ。

 取りあえずスマホを耳に当てて出てみると、案の定声の主は神様だった。


「あー、忘れておったがな。

 おぬしの服にスマホを入れておいた」

「分かってますよ。今話しているんですから」


「ああ、それもそうじゃな。

 そのスマホは基本的に通話もネットもできん」

「そりゃそうでしょうね」

「ただし、充電は必要ない。

 自動で周囲の静電気を取り込んで充電されるようになっておるから、バッテリーの心配はいらんぞ」


「それは助かりますが……これ、何かの役に立つんですか?」

「当たり前じゃ! おぬしのために役に立つアプリを入れておいてやったぞ。

 黄色い地に黒い縞柄のアイコンがあるじゃろう?」


「はいはい、ありますね。

 これ何のアプリですか?」


 スマホの音声が、いかにも得意げな声を伝えてくる。

「聞いて驚け、それはわしが開発したアプリ〝賢者タイム〟よ!」

「なっ、なんだってぇーーーーっ!」


「ふぉっふぉっふぉ……」


「いや、あの……ついノリで驚いちゃいましたけど〝賢者タイム〟って何ですか?

 すごくいかがわしい響きがあるんですけど」


「何じゃ、知らんで驚いちょったのか。

 まぁ、おぬしに分かりやすいように説明すると、グーグル先生みたいなもんじゃよ。

 聞かれたことには賢者が何でも答えてくれるし、ちゃんと検索結果を音声読み上げしてくれるぞ。

 AIを搭載しておるから会話もできるし、スタンドアローンじゃからネット接続も関係ないというスグレものじゃ」


「賢者はアイテム鑑定から未知の魔法の判定、敵の戦力分析まで、ありとあらゆる事象を解説してくれる。

 この世界にまだうといおぬしにとって、心強い味方となってくれるじゃろう。

 ――それでは、これで必要なことは伝えたからの。おぬしとの連絡はこれが最後じゃ。

 実を言うと、天界と地上間の通信は基本的にご法度なのじゃ。

 ほかに分からぬことがあった場合は、アプリの賢者に聞くがよい。

 では元気でな……ああ、この通信アプリは、今の音声データを含めて自動的に消滅するぞい」


 「ぶつり」と音声が途絶えた。

 僕はスマホを耳から離し、画面を見つめる。

 受話器をかたどった古典的なアイコンが、突然しゅうしゅうという音とともに白い煙を吹き上げ、「ぼんっ」という小さな爆発音を残して消滅した。


 大丈夫なのか今の?


 それにしても何でスマホなんだろうなぁ……。

 何かこんなのを持って異世界をうろうろしていたら、〝ス〇ホ太郎2世〟とか言われて馬鹿にされそうな気がして、何となく嫌だ。


 どうせだったら、ゴーグルタイプでLCDの文字が浮かんで情報を表示するとかだったらカッコいいのに……。

 『何っ! 奴の戦闘力は9000だと?』……とかってね。


 でも、せっかく神様が造ってくれたものなんだし、文句を言ったら罰が当たるな。

 とりあえず、〝賢者タイム〟っていうアプリを試してみよう。

 どれどれ……。


 僕はスマホ画面を覗き込み、黄色に黒い縞のアイコンをしげしげと見つめた。

 よく見ると、アイコンの下に小さな文字で〝REM〟と表示されている。


 何かの略なのかな? 〝レム〟……って読むんだよね。

 まぁいい、とにかく起動だ。


「ポチっとな!」


 神様は音声読み上げ機能があるって言っていたから、多分対話型のデバイスなんだろう。

 僕は何となく、Siriシリのような機械的音声を相手にすることになるのだろうと思っていた。


 どうやらアプリが起動したようだ。


「やあ、こんにちは。僕は聖護院騎龍。よろしくね、賢者さん」

 スマホの画面に向かってとりあえず挨拶をしてみた。

 いや、最初の呼びかけはやっぱり『オッケー賢者!』じゃないといけなかったのか?


「オラ、レムだっぺ」


 スマホから返ってきた音声は、実に人間臭く、とても機械合成とは思えない自然な女性の(しかも可愛い)声だったが……。

「……だっぺ?」


「レムだっぺ」


「……えーと……ひょっとして、それってラ……」

ム! だっぺ!

 お前、秘密組織〝J〟に命を狙われたいのけ?

 あれは恐ろしい連中だっぺ。著作権に抵触すると尻の毛までむしり取られるっていう、もっぱらの評判だっぺ!

 いったい何のためにオラが東北弁を喋っていると思ってるっぺ!」


「いやいやいや、わっ、分かりました!

 レムっていうのは、何かの頭文字を取った略称なのかな?」


「そのとおりだっぺ。

 オラの正式名称は〝Recommender《レコメンダー》・Educational《エデュケーショナル》・Mechanism《メカニズム》〟――頭文字を取ってREM《レム》だっぺ」

「えー……僕、あんまり英語は得意じゃないですけど、その名称って……英語としてすごく怪しくありませんか?」


「男が細かいことを気にするもんじゃないっぺ!

 お前はオラに何か聞きたいことがあって呼び出したんじゃないのけ?」


「えっ? あっ、ああ、そうですね。

 僕、この世界が初めてで、いきなりこんな場所に放り出されたんですけど……どこに行ったらいいんだろうね?」


「それなら任せるっぺ。

 お前の右手の方を見てみるっぺ。

 遠くの方に街がみえるっぺ。まずはそこに行くのがいいっぺ」


 言われてみると、僕の右手の方にはぼんやりと霞んだ街並みらしきものが見えている。

 そうか、まずは宿を取る必要があるし、食事だってしたい。

 まずはそこを目指そう。


「ねえ、レム?」

「なんだっぺ?」


「街に行ったとして、異世界人と言葉が通じるのかな?

 僕は日本語以外に話せないんだけど……」

 レムは基本的に明るい性格らしい。笑って請け合ってくれた。


「心配いらないっぺ。

 この世界ではあらゆる種族が単一言語を話すっぺ。

 お前の言葉は自動発動される魔法によって翻訳されるし、聞こえてくる言葉も同様だっぺ。

 文字も魔法によってフィルターがかかるから、普通に読み書きできるはずだっぺ」


「へえ……。それは便利だねぇ」

「何言ってるっぺ。こんなの異世界転生の基礎中の基礎だっぺ。

 言語の問題を真面目に解決しろなんていわれたら、なろう作家で屍の山ができるっぺ。

 考えただけでも恐ろしいっぺ」


「そっ、それもそうだよね……」

 この問題は深く追求しない方がいい。僕の頭の中で警報が鳴っていた。


「あの街なんだけど……」

「メルギードのことけ?」

「へえ、メルギードっていうのか……ん?

 まさか、ゴーレムが門番してるとか言わないよね?」


「そんなわけないっぺ。もしいたとしてもホラ貝を吹けば楽勝で倒せるっぺ!」


 僕は溜め息をついて立ち上がった。そりゃ妖〇の笛だよ……。

 とにかく〝はじめての町〟を目指そう。


「そういえば……」

 その時、僕はスマホをポケットの中に入れたことを忘れ、うっかり話しかけてしまった。それほどレムとの会話は自然で(方言は不自然だったが)、まるで隣に彼女がいるような錯覚に陥っていたのだ。


『なんだっぺ?』

 即座にレムの声が頭の中に響く。


「あ……れ? なんで頭の中で声がするんだろう?」

『シークレット・モードだっぺ』


「どういうことか説明してくれる?」

 僕は再び取り出したスマホを見つめながら尋ねる。

 明らかにレムの声は、スマホのスピーカーからではなく、直接僕の脳内にアクセスしてきている。


『簡単だっぺ。デバイスが多少離れていても、オラたちはちゃんと会話ができるようになってるっぺ。スマホから音声は出ないから、他人に聞かれたり気づかれたりすることもない、便利な機能だっぺ。

  むしろ常時起動させておいて、普段からこのモードで会話した方がいいと思うっぺ』


「なるほど、超能力、いや魔法を使ったテレパシーみたいなもんだね?」


『ブルートゥースだっぺ』

「え?」


『だから、ブルートゥースだっぺ。

 神様がお前の内耳に骨伝導スピーカーを手術で埋め込んだっぺよ。

 それがスマホ本体とブルートゥースでつながってるっぺ』


 あのじじい! 人の身体を勝手に改造しやがって……よく脳が無事だったな。

 僕が内心に怒りをふつふつとたぎらせていると、レムが律義に尋ねてくる。


『それよりお前、さっきオラに何か聞きかけたっぺ。

 オラはお前の疑問に答えるためだけに存在するアプリだっぺ。

 とっとと質問するがいいっぺ!』


「え? あ、ああ……そうだったね。

 いや、大したことじゃないんだ。

 君、ひょっとして電撃を出せるのかなぁ……って、おわぁあああああああーーーーっ!

 何さらすんじゃあ! このアマぁっ!」


 いきなり全身に走った電気ショックに、僕は白煙に包まれ、髪は芸人コントのようにアフロになっていた。


『論より証拠、実際に試した方がわかりやすいっぺ。

 オラは科学の子だから、パワーは十万ボルトだっぺ!』


 僕はその場にがくりと膝をついて呻いた。

「レム……それはボルトじゃなくて馬力だよ。……いや、黄色いネズミさんの方なのかな?」

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