第5話 黒き香り(その2)

「あれは、僕が中学一年生の夏のことでした……」


 いつの間にか目を覚ました三毛猫が、膝の上に乗って僕の顔を覗き込み、頭を首筋にぐりぐりこすりつけながら〝ごろごろ〟と喉を鳴らしている。


「学校は夏休みで、僕は母に言いつけられた買い物してスーパーから帰る途中でした。

 とても暑い日だったので、僕はお駄賃で買うことを許されたアイスを早く食べたくて、できるだけ近道をしたんです。

 その経路に、麻宮の家がありました」


 気がつくと、目の前のコタツの天板にアイスクリームが置かれていた。

 ロゴを見ると「レ〇ィ・〇ーデン」と書かれている。

 神様は、まるで小さなバケツみたいなアイスの容器を抱えてスプーンでほじくっては口に運んでいた。

 どう見ても一リットルはありそうだったが、そんな商品ラインナップがあったのだろうか?


「麻宮にはまだ幼稚園の、歳の離れた弟がいました。

 彼女は庭に広げられたビニールプールで、弟に水遊びをさせていたのです。

 弟は水着でしたが、彼女はもちろん服を着ていました。

 薄い水色の、とても涼しそうなサマードレスでした」


 僕はふっと目を閉じた。あの、奇跡のような光景は五年経った今でも鮮明に思い起こすことができるのだ。


「彼女はゴムホースから流れる水を弟に浴びせかけ、笑顔で遊んでいました。

 僕は思わず足を止め、その姿を鉄柵ごしに見つめていました。

 その時ふいに少し強い風が吹き、彼女はホースから手を放して、かぶっていた麦わら帽子が飛ばされないよう両手で押さえたのです」


「僕が呆然として見惚みとれていると、彼女は僕に気づき、にっこりと笑ってくれました。

 僕は『やあ』と言って頭を下げ、『気持ちよさそうだね』とだけ言って慌ててその場を立ち去りました」


「でも、その時僕は、この目に彼女の姿を焼きつけたのです」


「ノースリーブのサマードレス。

 麦わら帽子を押さえた両手。

 僕の方に向けられた剥き出しの白いわきの下。

 そこには何の処理もされていない、ささやかなにこが確かに生えていたのです!」


 気がつくと、僕はいつの間にか神様の両肩を掴んで、その場に押し倒していた。

「はぁはぁ」と荒い息をつく僕に組み敷かれた神様は、長い髭にアイスのついたスプーンをぽとりと落とし、口をぱくぱくさせていた。


 僕は我に返り、慌てて神様を抱き起した。

「す、済みません! つまり……その時、僕は彼女をたまらなく尊い存在だと意識するようになったのです!」


「なっ、なるほどのぉ……。

 それがおぬしの『ヰタ・セクスアリス』だったということか」

「何ですそれ? 〝痛い性癖有り〟ってことですか?

 ――まぁそう言われても仕方ないですね……」


「でも、僕は彼女への気持ちがうまく分析できなかったんです。

 僕は本当に彼女が好きなのか? それとも〝わき〟が好きなのか? はたまた〝わきの毛〟が好きなのか……」

「ふっ、深い話じゃのぅ」


「はい、まったくです。

 その答えが出たのは去年、高校一年の春のことでした……」


      *       *


 神様はごくりと唾を呑んだ。

「ひょっとしてまだ〝わき〟の話が続くのか?」


「いけませんか?」

 僕がじろりと睨むと、神様はぶんぶんと首を振った。


「いっ、いや構わんぞ。思う存分語るがよい!」


「高校ではクラス担任のほかに副担任の先生がいます。

 一年の時の担任は脂ギッシュな中年の社会科教師で、あまり人気はありませんでした。

 その代わり、副担任は〝黒城香くろきかおり先生〟と言って、三十歳手前の凄い美人だったんです!」


「ほう、それはラッキーじゃの」

「そうなんです!

 彼女は巨乳でスタイルがよく、いつもひざ丈の黒いタイトスカートにぴちぴちのダサいワンピースという、全国女教師の模範として標本にしたくなるような先生なんです!」


「あー……。なんかあったな、そんなマンガ。『すげこまくん!』じゃったかの?」


「そうなんですか?

 とにかく、彼女は生徒には大人気でした。

 実は既婚者で、二人の子持ちだということが分かっても、その人気が衰えることはありませんでした。

 僕ももちろん、その魅力の虜となったのです」


「男子高校生なら、まぁ無理はあるまいの」


「ただ、周囲の男子たちは、先生のはちきれんばかりの胸とか、くびれたウエストとか、細い足首とか、とにかくそんところばかりにハァハァしていたんです」


 キラリ! と神様の目が光った。

「おぬしは――違うと?」


「当然です!」

 神様の問いに僕は胸を張った。


「僕が注目したのは、その艶やかで豊かな黒髪でした。

 毛量が多く、髪質も太くてしっかりしていたのです。

 眉はかなり抜いて整えていましたが、本来は太くてしっかりしたものだと、僕は睨んでいます」


「それは……女性としては少し複雑ではないのかな?」

「ええ、実際先生が女生徒相手に髪質についてこぼしていたのを聞いたことがあります。

 それはさて置き、僕はどうにかして憧れの先生ともっと言葉を交わしたいと思っていました。

 そして、彼女が囲碁部の顧問をしているという話を聞き付け、迷うことなく入部したのです」


「おぬし……童貞で女子に話しかけることもできないとか言っておらなんだか?

 ずいぶんと積極的ではないか」


 僕は皮肉を無視して話を続けた。

「週に二回の部活ですが、黒城先生は囲碁の経験はなく、実際に教えてくれるのは段持ちの教頭先生でした。

 だから残念ながら、顧問といってもあまり先生との接触は多くはなかったんです。

 ――あれは昨年の五月だったと思います。

 部活の後、僕は碁盤や碁石の片づけを手伝っていました。用具室の扉や棚の鍵は黒城先生が管理していましたから、その後をついていくような感じです。

 いつも部員三人で運ぶのですが、その日はみんな用事があって早く帰ってしまったので、僕一人で運ぶことになったんです。

 それで、先生もさすがに気の毒に思ったのか、少しですが運ぶのを手伝ってくれました。

 五月にしては暑い日で、全部片づけ終わると結構汗が出ていました。

 西日の射しこむ狭い部室で僕は制服のブレザーを脱いで、ばたばたと身体をあおいでいました。

 先生も着ていたカーディガンを脱いで、ハンカチで首筋の汗を拭っていました」


 神様はごくりと喉を鳴らした。

「まさか、先生のカーディガンの下とは……」


「そうです。さすがにノースリーブではありませんでしたが、短い半袖のブラウスでした。

 その格好で腕を上げ、汗を拭っていたのです!」


「何が……見えた?」


 神様が思わず声をひそめる。

 僕もつられてささやき声となる。


「それはもう、見事なまでに青々としたわきの下でした!

 例えて言うなら、髭剃り後半日を経過した尾崎紀世彦の顎のようだったのです!!」

「おおっ、それは……また逢う日まで忘れらぬ光景じゃの!」

「はいっ! 油断した毛深い女性の生えかけのわき!

 これが〝ご褒美〟でなくて何と呼べばいいのでしょう?」


 僕は涙のにじんだ目を閉じ、天を仰いだ。

「その時、僕は確信したのです!

 これは運命の女神が僕に与えたもうた至高の性癖であると!!

 立てよ国民!

 わきこそ選ばれた民に許された、高尚を極めた煩悩なりっ!

 ジーク・アッセルわきの下!」


「わっ、分かるぞ! おぬしが変態であることはもちろんじゃが、その類い稀な情熱――わしにもよっく分かったぞ!」


 神様と僕はがっちりと固い握手を交わした。


「神様、僕はあるとあらゆる種族の〝わき美人〟を集めて、理想のハーレムを創ってみせます!

 処理済み、生えかけ、剛毛、どんな状態であろうと、どんな匂いであろうと、一切の差別なく、わきの理想郷を実現させて見せます!」

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