第4話 黒き香り(その1)
「それで……?」
神様の反応は予想外のものだった。僕のあまりに下劣な願いに、彼がもっと驚くと思っていたからだ。
「え? それでって……どういう意味でしょう?」
「はぁ……」
白髪白髭の老人は溜め息をつく。
「よいか、おぬしの願いなど珍しくも何ともないわ!
むしろ、凡庸過ぎてがっかりしたくらいじゃ。
わしも多くの勇者をこの異世界に転生させてきたが、詰まるところ彼らの願いは三つに集約される。
金か、名誉か、女じゃ!」
そうなのか……いや、待て! 〝多くの勇者を転生させてきた〟だと?
この
僕の思いに気づかぬまま、神様は話し続ける。
「じゃがな……金も名誉もいずれは飽きる。
結局のところ、ほとんどの勇者たちは愛する女との平凡な幸せを望むものよ。
あり余る財産を持つというのに、大きな窓と小さなドアのささやかな家を建て、新築なのに何故か部屋には古い暖炉があるのじゃ。
庭には花が咲き乱れ、三つの首から火焔を吐くケルベロスが走り回っておる!
これが勇者たちが望む、ささやかな願いじゃった……!」
神様は世界歌謡祭でグランプリを受賞したかのように、感動の涙を流している。僕はついていくのがやっとだ。
我に返った神様は、コタツの上からティッシュを掴み取って、ちんと鼻をかんだ。
「そんなわけじゃ、若いおぬしがハーレムを望むなど、何の不思議があろうか。
よいよい、ハーレムでも何でも築いて、その中から理想の伴侶を見つけるがよい」
「そうなればいいですがね……。
でも、僕には自信がないのです」
「そう言えばおぬし、先ほど〝力を貸してほしい〟と言ったな?
どういうことじゃ?」
「僕は、恥ずかしながら……」
顔が熱くなって、赤くなっているのが自分でも分かる。その先の言葉はごにょごにょと口の中で呑み込まれた。
「なんじゃ、ハッキリせい!
グアム島から戻って来たわけではあるまい?」
神様のボケにいちいち反応していたら身が持たない。
だが、彼は年齢を重ねた人生の大先輩だ。まだ十数年しか生きていない僕が教えを乞うのに、何の恥ずかしさがあるというのだ!
「僕は童貞なんです!
同世代の女の子とだって、まともに話したことがないんです。
そんな
「なんじゃ、そんな話か。
あー、心配はいらん。
おぬしには神に匹敵する魔法を授けると言ったじゃろう?
魔法にもいろいろあるのじゃ。
当然、呪文を唱えなければ発動しないものがほとんどよ。
――まぁ、おぬしの場合、呪文詠唱など必要としないがな。
「それは……凄いですね」
「そうじゃろう?
じゃが、魔法にはそうした発動の鍵を必要としないものもある。
いわゆる自動発動という奴じゃな」
「ATフィール……いえ、〝バリア〟とかですか?」
「ほう、察しがよいのぉ。おぬしは本当に説明が楽でよいわい。
そのとおりじゃ。いきなり背中から矢を射られたら、たまったものではないからの。
そして、常時自動発動タイプの魔法には〝
「ああ、ゲームで見たことがあります。女性型の魔物がよく使いますね」
「おぬしが身につけている
およそ周囲の女性で、この効果から逃れられるものはいないじゃろう。
ハーレムなどは思いのままよ」
「そうですか……よかった」
僕は安堵の息を洩らした。いくら臆病な僕でも、相手が惚れてくれると最初から分かっているなら、強気に出れるはずだ。
「それで、話は戻るが……。
お主が目指す〝理想のハーレム〟とは、一体どのようなものなのじゃ?」
改めて問われると緊張が増す。だが、この決意はもう動かしようがないのだ。僕はごくりと唾を呑み込んだ。
「あらゆる種族の〝わき美人〟を集める――それが僕のハーレムです!」
「……わき?」
神様がぽかんとした顔で繰り返す。
「はい、わきです!」
僕は自信をもって断言する。
「いっ、――いやいや……いやいやいやいや!
わしは全知全能の神じゃから、もちろんすべてを承知しておる!
じゃがな、ここはお主の口から直接意図を説明した方が、読者に対して親切というものじゃろう!
頼むからもそっと詳しく教えてくれんかの?」
(はぁ、〝読者〟って何の話だ? この爺さん、さては全然理解していないな!)
* *
運命の時だ――。
親にも打ち明けたことがない、僕の秘められた性癖を明らかにする時が、ついに来てしまったのだ。
僕はこたつの中で座り直し、正座して威儀を正した。
「それを説明する前に、まず確認したいことがあります。
彼女は――麻宮沙希は無事なのでしょうか?」
狼狽していた老人は、明らかにほっとした表情を浮かべた。
どうやら、沙希のことはちゃんと説明できるらしい。
「ああ、もちろんじゃ。
その娘はもともと十六歳で亡くなる運命だったのじゃが……。
何度も言うようじゃが、わしのちょっとした手違いでな。
代わりになったおぬしの寿命――およそ七十年分を受け取っておる。
彼女は末永く幸せに暮らすことじゃろう」
そう言うと、何もなかった空中にいきなり映像画面が浮き出てきた。
百インチ近い大画面、しかも画面の隅々まで鮮明に映っている。
これが世界の亀さんモデルか……僕は感心するべきだったのだろう。
しかし実際には、空中に映し出される映像に僕の意識は釘付けとなっていた。
見慣れた畳の部屋。
僕の家だ!
――それはうちで唯一の和室である客間だった。
床の間にはささやかな掛軸だってかかっている――「仲善きことは美しき哉」。
その八畳の和室に、白木のお棺が横たえられていた。
木の蓋は外されており、お棺の中には静かに眠る僕自身の姿があった。
色とりどりの清楚な花に包まれた僕の顔は、化粧を施されているせいか、傷一つ、
鼻の穴に白い綿が詰められていなければ、眠っているとしか思えない穏やかな表情をしている。
そしてそのお棺の前には、黒いワンピースを身にまとった少女が、畳に突っ伏して泣きじゃくっていた。
その後ろでは、やはり黒い喪服を着た母親が、親父の胸に顔を埋めてすすり泣いている。
ワンピースの少女は沙希だった。
きっと自分を突き飛ばして身代わりになった僕に、罪悪感を抱いているのだろう。
「よかった……怪我、しなかったようだね?」
思わず息を吐き出した僕の頬に、ふっと笑みが浮かんだ。
* *
「このとおりじゃ、安心したかの?
……これ以上は悪趣味というものじゃろう」
ふいに映像が掻き消えた。
「分からんのぉ……。
少し調べてみたが……おぬし、この沙希という娘と付き合っておったわけではないのであろう?
家が近所だというだけで、大した接点もない。
こう言ったらおぬしは怒るかもしれぬが……この沙希という娘、取り立てて美人でもなく、スタイルがよいわけでもなかろう。
いや、決して醜いとは言わぬが……その……〝十人並み〟というレベルじゃろう。
付き合っているわけでもないおぬしが、命を懸けてまで助けたいと思うような娘なのか?
わしは、いくら側におったからといって、正直おぬしがあんな行動を取るとは、予想もしておらなんだ。
〝手違い〟とは言ったが……わしの一方的な失態とは、どうしても思えんのじゃ。
一体、おぬしとこの娘との間に、何があったのじゃ?」
僕は神様の言葉に大きくうなずいた。
全知全能と言っても、神にだって人間の心の奥底までは覗けないのだ。
「それは、ぼくの理想のハーレムと大きくつながる話なのです」
「〝わき〟とかか?」
「〝わき〟とかです!」
そして僕は、ある夏の日の思い出――初めて沙希を意識するようになった、あの出来事を語り始めた。
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