防災訓練

 カーン、カーンと、ぼんやりと鐘の音が耳に届いた。


 前に何度か聞き覚えがある。


 これは危険を知らせるものではない。


 この間延びした鐘の音は、隊商の先触れが到着したのだろうか。


 隊商はよく国をめぐる血の役割に例えられる。隊商にとっての商売の場であると同時に、それは村にとっての大事な場だ。物や情報の循環という流れだけではない。魔物等の危険が跋扈する世界で、閉鎖された地方の村々に、文字通り外からの血を運ぶ役割も担っている。隊商が滞在する間は接待営業から枕営業まで、村内は羽目を外した大騒ぎになるのだ。


 「遠くから足を運んでんだから気持ちよく接待してもらいたいんだよね。村としてもできうる限り多くの恩恵を隊商から引き出したいでしょう?その為に先触れを出すから、準備しておいてね。よろしく!」と、そんな成行なのかどうかはわからないが、隊商から先触れを出すのがこの世界の通例となっている。


 って、僕はどれだけ寝てたんだって話だ。


 僕は慌てて身体を起こそうとすると、まさに今僕を起こそうと顔を覗き込んだヤンとぶつかりそうになった。僕の頭突きは金属バットでのフルスイングくらいの威力があるから、危うく大事故になるところだ。

 心臓、止まるかと思った。


 どうやら丁度休憩時間が終わった所だったようだ。感覚としては魔力は回復してるっぽい。


「ぐっすりだったね。」

「うん。スッキリした。」

「午後の訓練を始める時間なんだけど、鐘が鳴ってるからどうかな…、やるかな?」

「隊商の先触れが到着したの?」

「たぶん、そうだと思う。そんな時期だ。今夜には本隊が到着するんだろう。ヤトリ、先触れとかよく知ってるね。」

「昨日帰り道で、ターバンさんから聞いた。今朝洗濯場でも話してたし。」

「ほんとにヤトリは賢いな。関心するよ。これで2歳か。」


 身体はね。


「だって、他の国からの交易品とかも露店に並ぶんでしょ。楽しみだよ。」

「そうだよ。何か面白いものあるかな。」

「僕らでは手の出ないものばかりだろうけどね。」

「そうなんだよな。目で楽しむしかないんだよな。」


 ところで、いつもはうるさいくらいなのにヤンの後ろで静かにそわそわしてるマキは、今どういった心持なのかな?


「飴。」

「飴?」

「そう、飴。飴をくれるおじさんがいるの。おじさん来てるかな。」

「へぇ、飴くれるんだ。」


 この世界の事は、まだ全部分かったわけではないが、飴みたいな人工的な甘味物はかなりの高級品なのではないだろうか。それをそこらの子供にほいほい与えられるものなのか。


「ヤンはもらったことある?」

「いや、俺はない。」


 …ふむ、これはあれだ。キープってやつだな。

 しかし、7歳の女の子にまで唾をつけていくのか。いや、もっと前からってことだから、どれだけ先物買いだって話だ。


 甘味だけでいいのであれば、パールの中に蜂液が残っているが、…いやいや、どうせ僕はこの村に長居する気はないので控えておこう。


 僕が遠い目をしながら、マキの将来を夢想していると、それまでは間延びしていた鐘の音が、けたたましいものに変わった。


 ガンガンガン…。


 その音を聴いて村長も開け放っていた窓から飛び出してきた。


「隊商に何かあったか?」

「何か?」

「考えられるのは、隊商が何者かに襲われた。盗賊か魔物か。家に入っていなさい。戸締まりをして家から出ないように。」

「「はい。」」

「ちょっと様子を見てくる。」

「お気を付けて。」

「うむ。」


 村長は厳しい表情のまま、村の入り口の方へ向かった。

 隊商はその規模に関わらず、村を守っているものと同じ光学迷彩の結界魔法を持つことを、義務付けられている。だから道中で襲われる危険は、ほぼ無いと言ってもいい。もしものための護衛もいるはずだ。


 とにかく、まずは村長の言うとおりに、村長宅に入って戸締まりをして、念のため各扉や窓に、3人で分担して簡単なバリケードを設置する。

 こんな小さな子供でもこういう対応ができるのは、日頃の防災訓練の賜物である。


「パール、いる?」

「いないよ。」

「村長について行って、様子を見てきて。」

「いないって言ってるよ?」

「頼む。」

「えー、どうしようかな。」


 今僕が外の様子を確認できる唯一のツールが、パールだ。どういう理屈か、パールは元宇宙船、グラディオ・エクス・マキナを体内に取り込みその機能を引き継いでいるので、パールがスキャンした情報は僕と共有されるのだ。

 こういう時にパールが、僕以外の人には視認されないということも役に立つ。


 パールが考え込むような素振りを見せるが、僕は知っている。こいつは何も考えていない。


「後で肩揉んであげる。」

「んー。」

「今度から呼ぶ時、様をつける。」

「なにそれ。」

「尊敬する。」

「よく分かんなーい。」


 しょうがない。こうなったら最後の手段だ。


「後で、ご飯つくってあげる!」

「なんだかねー。」

「なんだよ!ほんとにやってくんないんだ?」

「気乗りしないんだよねー。」


「あーもう、マジで役に立たねー。」

「にゃはー。」


 鼻、ほじってる場合か!


 どうしよう。今僕には外の状況を確認する術がない。パールは役立たず。人工衛星も光学迷彩の先を見ることができない。


 …自分の目で確認するしかないか。


 3人が、一通りの処置を終えてリビングに集まった。


「ヤン。僕ちょっと出てくる。」

「ダメだよ。村長の言いつけを守らないと。」

「おじいちゃんとおばあちゃんが心配だ。」

「そ、そうか、それはそうだな。でも外は危険になるかもしれないんだぞ。」

「うん。だから、すぐに家に帰ってここと同じようにして、中でじっとしてる。」

「絶対だよ。…よし、わかった。行って。」

「うん。僕が外に出たら、すぐに閉めてね。」

「気を付けてな。」


 判断という判断でもないが、ヤンは最年長なだけあってキッパリとしていたが、マキは状況よりも人の心配が先に来るようだ。「ヤトリちゃん、私も一緒に行こうか?」等と言い出しかねないような雰囲気だったので、マキが口を開く前に、僕は村長の家を飛び出した。


 背後で玄関の扉が閉まるのを確認する。


 さて、1人になれたところで、村の入り口の様子を見に行くことにしよう。



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