何か

 地球から4.5光年。ブロンソン系の天体、ハラテβ星。


 直径や重さ、表層温度、物質構成など、非常に太陽に近い恒星ブロンソン。

 ブロンソン系の第2惑星ハラテβは、直径は地球の倍近くあるが重さはあまり変わらない。地軸の傾きは18.4度、1日は27.5時間で公転周期は350日とかなり地球に近い環境だ。


 事前の調査では、薄い大気層は二酸化炭素が8割近くを占め、昼夜の温度差が摂氏-100℃~80℃と生命には厳しい環境だったはずだが、どうも様子が違うようだ。

 直接目にするハラテβ星は、分厚い大気層に覆われており、水があり、雲があり、かなり広範囲に緑も見える。


 しばらく上空から観測をしていると、人工物らしきものもいくつか発見した。すでにある程度の知能を有した生命が存在する可能性すらある。



 コロンの船が大破し、僕が逸れて、残りの4人が順調に航行を続けて計画を実行していたとしても、たった300年程度でこれほど星の環境を変えることは、できるはずがない。


 しかし、目の前に実際に存在する物を否定するのはナンセンスである。ここでまごまごしていても何も始まらない。


 とにかく僕は、地上に降りることにした。




 もう戻ることのない船を分離する。

 今後この船は人工衛星として役立ってもらう。さらにそこから小さな子機が8射出される。これで僕が地上の何処にいても見失うことが無い、あんしん設計だ。


 僕の乗るカプセルは満を持して、大気圏へと飛び込んだ。


 大気圏に入ったことで生まれる熱量は、地球と変わらない。カプセルがチキチキと音を立てる。熱々の鉄板に落された水滴のように、不安定だが安定している状態だ。軌道計算はできている。後は落ちるに任せていれば良い。

 自動制御により、程よい所でパラシュートが開いて更に減速する。


 無事に流れの少ない小さな湾の水深の深い場所に着水。すかさず海水の成分を分析。これもまた地球の海水に近い。

 塩分濃度3.4%。ほかには、マグネシウムにカルシウム、カリウムなど。


 空気も分析。

 窒素77%、酸素21%、二酸化炭素など。


 ここまで同じだと、誰かが意図的に造り変えたとしか思えないが、誰がと聞かれると思い当たる所がない。

 ただ、ひとつ気になることがある。

 海中にも空気中にも共通する事なのだが、微量の分析不能の物質が存在している。まぁ、この世に存在得ない数値を示しているので、機器の故障とみて問題ないだろう。


 そんなことよりも、いた。

 海水の中には様々な微生物が生きていた。


 目を凝らせば、魚らしき大きさの物の影も見受けられる。



 近くの浜辺から上陸した。

 とりあえず必要のなくなった大気圏突入用の外殻を外す。外殻は状況によっては別の物に加工し直すため、小さく固めて保管しておく。

 まずは上空から観測された標高200m程の高台に移動しよう。裸になったカプセルは、短い8本の足で器用に岩場を乗り越える。


 木があった。地中に根を張り、幹が伸びて別れた枝には葉が生い茂る。マツらしき物やサルスベリらしき物、ポプラらしき物にシイノキらしき物など、種類も多く豊かな森を形成しているようだ。


 この辺りの詳しい調査は後に回そう。僕は植物はあまり得意ではないから。


 森に分け入ることはせずに、迂回して北の高台へ移動した。

 高台はお誂え向きに、木々が無く見晴らしが良い。50cm丈くらいの草が生い茂るのみである。生物も多種見受けられる。バッタらしき物や蚊らしき物、ハエらしき物、黄金虫らしき物、螻蛄らしき物、地面を掘り返せばミミズらしき物、ダンゴムシらしき物。どれも一様に大きさがおかしくはあるが、良く見知った生物達である。



 僕の中で欲が湧いてきた。


 これだけ舞台が整っているのだ。


 自分の足で歩いてみたい。


 僕はカプセル内の冷蔵庫に保管してある、タンクの中の僕の素から身体を再構築する。


 身体の再構築は2日間ほどで完成する。

 機器から発生する熱に虫達が集まってくる。カプセルの強度からすると、虫の力くらいではどうにかなる心配はないが、身体の再構築を終えて外に出る際に、大量の虫に集られるのはあまり気持ちの良いものではない。

 それに、虫の中には強い酸を持つ輩も多いので、注意が必要である。放っておくと錆がついてしまう。


 問題なく身体の再構築が完了した。

 カプセル内を温めて外に冷風を排出すると、周囲から虫達の姿が減っていく。頃合いを見て、僕は裸足のままでカプセルの外に出た。

 不用心かとも思ったが、地球外の星に生身で立つことへの我欲が勝ってしまった。


 パリリ、と草を踏む音。


 冷めた土の感触。


 まるで赤ん坊が初めてミルク以外を口にした時のように、僕は髪の毛の先にまで電気が走るように震えた。


 「おお…。」


 しばらく足の裏からくる刺激を堪能する。



 僕の臭いを嗅ぎつけた虫が近づいてきた。蚊だ。人間の頭ほどの大きさの蚊らしき虫が、ヘリコプターのような騒音を掻き鳴らし、近づいてくる。

 これほどの大きさともなると隠密性の欠片もない。

 ただ、大きくなれば虫の固い甲羅が、大きなアドバンテージになる。ゲームでいえば盗賊からファランクスに転職したようなものだ。


 針を槍に変えた蚊の攻撃を、手で掴み動きを封じる。


 ふと、周囲の様子が目に入る。50cm丈程の草が、僕の腰の高さ辺りまである。という事は僕の身長は1m程しかないという事だ。これでは幼稚園生並みではないか。


 「そうか。省エネ仕様とはいえ、数百年の間に随分と素を消費してしまっていたらしい。」


 蚊の6本の足が纏わりついてくるが、頭と胸の間の節に手刀を振り下ろすと、その強い衝撃で胸より下がころりと落ちて、蚊は絶命した。


 「素早さを捨て、防御力に大きくステータスを振ったとはいっても、所詮は虫だな。…と、こんな話が通じるのは、コロンだけだったな。」


 再構築された僕の強靭な肉体の前では、赤子のようなものである。


 地面に落ちた蚊から、何かが抜けたように見えた。

 それは地球にいた時にも感じたことがある。生きている時には大きく見えていたモノが、死んだ途端に小さく見えるあれである。


 しかし、ここではそれだけではなかった。


 何かが僕の中にに流れ込んできたのだ。


 目に見えたわけではないが、確かに感じた。それは間違いなく絶命した蚊から抜けた何かであった。


 カプセルに状況の鑑定を指示するが、その何かを解明することはできず、解析不能の物質とエネルギーを示すコードが羅列されるだけだった。ここがまだ未知の領域であることを改めて実感した。





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