最終報告:想いよ、君へ
「ここに来るのも久しぶりね。ダヴァガル隊長」
クローディーヌはそっと花を供え、目を閉じる。今でも豪快に笑うあの顔が思い起こされるようであった。
三ヶ月前、長く続いた第二次大陸戦争が幕を閉じた。第一次と比べればそれでも期間は短いが、失った命の数は決して少なくない。そしてその多くを自分自身が葬っていることも、クローディーヌは理解していた。
(きっとこれは、私が一生かけて背負わなければならない咎なのでしょうね)
クローディーヌが目を開ける。風にゆらゆらと揺られる花が、どこか物悲しく見えた。
『王国に咲く青き花』。それは美しくも、大量の命を吸った花でもある。今目の前に供えられている花は、彼への手向けであり、そして自分への戒めでもあった。
風にクローディーヌの髪が揺れる。
東から吹く大陸の風が、その美しい花を撫でていた。
ダヴァガル隊長には二つ報告しなければならない。一つ目はあの敵、賢知将軍アウレールについてだ。結論だけ述べれば、彼はもう死んでいる。
自分があの場所に着いたとき、賢知将軍アウレールは既に帝国の兵が射殺していた。おそらく状況を把握した帝国の上層部が、彼を切り捨てる判断をしたのだろう。開戦の理由は彼一人に押しつけられ、処理された。
実際それは事実ではあるが、そこに乗っかった人間も多いはずだ。しかしそれは無かったことにされている。アウレールは卑怯で卑劣な男ではあったが、それでもこの始末に釈然としない部分は多い。
(これで本当に解決したとは言えない。……いえ、きっとこれからも解決なんてしないんだ)
クローディーヌはそう考えることにした。そしてそんな感傷に浸る間もなく、クローディーヌはすぐに王国へと戻ることになる。王国内の問題を解決するためだ。
(将軍はマティアス団長が抑えてくれていたから助かったけど、それでも反発する貴族は大勢いた。そして、戦いにもなった)
結局内乱はすぐに終わったが、少なくない人間が処刑された。というのも、戦争のこと以外にも貴族層はかなり汚職を繰り返しており、これを端に一斉に摘発されたのだ。勿論それを理解して、彼等も必死に抵抗したのだ。
多くの貴族は唆されて始めたのだろう。はじめは軽い気持ちだったはずだ。しかしいつしか沼にはまり、気付いた時には抜け出せない程にまで手を汚していた。そして自分の罪を薄めるべく、新しい罪人を引き込む。それがこの長い歴史で溜まった王国の膿なのである。
そしてそれは決して全てが拭えたわけではない。クローディーヌを始めとして、これから抱えていかなければならない王国の課題だった。
(そして……)
そしてもう一人、アルベール・グラニエ。またの名をアルベルト・グライナー。彼についてだ。
彼はあのとき既に血を失いすぎていた。既に心臓は止まり、レリアを始めとして秘術士達が必死に治療を施していた。自分はどうなるかを知る前に連絡が来て、レリア達を残して王国に戻ってしまった。今も彼女達は戻ってきていない。だから彼がどうなったのかも知るよしもなかった。
(本当は、こちらから安否の確認をすべきなのでしょうけどね)
クローディーヌはただ俯いたまま、口をつむぐ。三ヶ月も音沙汰がないのだ。日が経つにつれ、その不安は大きくなる。もし目を覚ましたのならば、きっとすぐに報告が入るはずだ。しかし待てど暮らせどその報告は受けていない。
今すぐにでも遣いを出したい。安否を確認したい。しかしもしかしてという可能性が、クローディーヌを臆病にしていた。
「アルベール……アルベール……」
涙がこぼれそうになる。これじゃいけないと分かっているのに、まだ何も決まったわけではないのに、クローディーヌは必死に涙を堪えて天を見上げた。青く澄み切った空が、クローディーヌを迎えてくれる。
そんなときだった。
「……えっと」
「へっ?」
後ろから声がする。慌てて振り返ると、夢にまで見た彼が立っていた。
「呼びました?」
「っ!?」
クローディーヌは勢いよく駆け出し、彼に抱きつく。彼は少しよろめきながら、彼女を支えた。
「馬鹿!なんで連絡も無いの!」
クローディーヌが言う。彼は頭をかきながらどことなくばつが悪そうに答える。
「いや、確かに眠ってたけど十日前には目覚めてたし……。もしかして誰も報告に行ってなかった?……って痛っ!」
バシン!
彼が思い切りよくビンタを食らう。どこか納得がいかなそうであったが、クローディーヌがひとしきり泣き終わるまで、彼はただそっと彼女の頭を撫でていた。
「……落ち着いたか」
「……うん」
クローディーヌが離れる。どこか照れくさそうにしている彼女は、目を真っ赤に腫らしていた。彼にとってはそれがどこか申し訳なくもあり、どこかうれしくもあった。
「帝国の状況は聞いたか?それと、新しい戦後の構想のこととか」
彼が尋ねる。
「聞いてる。ルイーゼさんが色々教えてくれたわ。帝国のこととか、今後のことも。『全部グライナー中佐殿の手紙に書いてあったことだけどね』って冗談交じりに言っていたけど」
「やれやれ、参ったな」
「それに……、アウレール将軍のことも。生い立ちとか、経緯とか」
「……そうか」
クローディーヌの言葉に、彼は少しだけ寂しそうな顔をする。アウレール将軍を許すことはできないが、同情の余地が完全に無いわけでもなかった。
「なんだか……後味が悪いわね」
クローディーヌが言う。その言葉に彼はゆっくりと頷いた。
「そりゃそうだ」
彼は続ける。
「後味の良い戦争があってたまるか」
彼はそうとだけ言うと、ダヴァガル隊長の石碑に祈りを捧げる。亡き友へ、そして王国の英霊へ、彼は哀悼の意を表していた。
「……さあ、行こうか」
「……うん」
彼がそう言って歩き出すと、クローディーヌもともに歩き始める。共に並び、ゆっくりと歩調を合わせながら、前へと進んでいく。墓地の出口には、彼等を待つ仲間達がいた。
あれから幾日も過ぎ、俺とクローディーヌは帝国にいた。戦いから時間が経ち、世界は平和を取り戻し始めていたが、俺達の戦いが終わることはない。
『ユーロ構想』、それは俺が親父の思想から影響を受け、それを発展して構築した戦後の構想である。
お互いの軍隊を共有し、人の移動を自由化。関税まで撤廃する。その政策はこれまでの仕組みを大きく変えるだろう。人々の中に相手を恨む層は一定数いるが、それでも、確実に融和へと進むはずだ。
人は誰だって、知っている顔を殺すのは忌避するのだから。
勿論この構想は俺だけの力で完成はしない。帝国側にはルイーゼを始めとして、多くの協力者に助けられている。特に今の俺の副官となっているグスタフは、次から次へと舞い込む仕事の山に忙殺されていた。
王国側では第七騎士団、第五騎士団を筆頭に、マリーも活躍してくれている。彼等には感謝してもしきれない。
そして何より、彼女の存在がある。
クローディーヌ・ランベール。彼女はこうして、度々帝国に来ては帝国軍の石碑の前に跪き、じっと祈りを捧げている。そうした姿にパフォーマンスだと批判する勢力はいるが、それでも彼女は何度も帝国に足を運んでいた。
英雄はもういらない。彼女は聖剣を父の墓地へと置いたという。戦いが起きないようにするために戦う。それが彼女の意志であり、そして俺の意志でもあった。
『とはいっても、あくまで両国間の話であって、大陸の外との戦いはまだわからんからな』
俺はそんな風に思いながら、彼女をみつめる。きっと戦争を無くすことなんて難しいのだろう。人は異なり、価値観も違う。そしてそうした価値観の違いが、対立を生むのは容易だ。
だがそれでも、俺はそれでもと言い続けよう。価値観が同じになることはない。人の欲が消えることも。
だが、お互いを理解する姿勢をもつことは不可能ではない。個人に依るのではなく、世界の仕組みとして、お互いをもっと理解しやすく、欲望の暴走を抑えやすくすることは可能だ。
例えば交流が進むのは価値観を尊重し合う一歩目だろう。そして監視の目が強くなることは、欲望の暴走を抑えることになる。有事を事前に防ぐ仕組みが整っていれば、少なくとも毎回のように英雄の誕生を待たなくて済む。
忌避できるに越したことはない。英雄の誕生は、即ち犠牲の誕生でもあるのだ。
(まあ、万全万能な仕組みなんて、ありはしないんだけどな)
俺は小さく息をはく。これが今の自分たちの戦いだ。
それは仕組みを守る戦いではない。仕組みを作り続ける戦いである。
きっとそれは戦争よりもはるかに難しい道のりだろう。戦争はいつか終わるが、この戦いは終わらない。目指すべき世界は、常に作り続けていかなければならないのだから。
まったくもって馬鹿な挑戦である。
「さあ、アルベール。仕事は多いわ。行きましょう」
クローディーヌがそう言って歩きだす。帝国領だというのに、どうしてこうそこまで堂々と歩けるのか。下手したら暗殺されてもおかしくない。
俺がそんなことを考えていると、不意にクローディーヌが振り向いた。
「貴方が守ってくれるのでしょう?」
「っ!?」
(こいつ……。心を読んでやがるのか?王国の女は何でこうも勘が鋭い……いや、)
俺はそこまで考えて考えをあらためる。もう王国も帝国もないのだ。だからきっとこれは、女の勘というやつなのだろう。俺はそう思うことにした。
「へいへい。今行きますよ」
俺はそう言ってその後ろをついて行く。
課題は山積みだ。組織体制や共通の法律作り。ゆくゆくは共同政府も作れればなんて考えているが、それもきっと揉めるだろう。何より、平和が気に入らない連中や、元々の権益層で俺達に恨みをもつ者も多い。
だが、それを俺達だけで背負うこともないだろう。
皆で背負い、戦う。これがこれから俺達が目指す先だ。自分だけを犠牲にしても、他者に損な役回りをさせてもいけない。皆が少しずつ、理想の世界への責任を担うのだ。
だからこそ、皆に伝えよう。そして、未来の人達に届けよう。自分たちが何を目指し、何を想うのかを。これまでに散っていった数々も馬鹿者達の夢を、未来の馬鹿達に届けるのだ。
英雄などを必要としない、皆で支え合う世界のために。俺は今日も、次の世代のために報告をしたためている。
英雄譚などではない、血の通った歴史として。俺自身の想いも込めて。報告書や歴史書としては二流だが、伝えるべきものは伝わる。そう信じて。
その時、風が吹いた。
力強い風が、そのまま天へと昇っていく。
(もう少しそっちに行くのは遅くなりそうだ)
俺は今持っていた報告書を手放し、風に乗せる。どうせいくらでも書くのだ。一枚ぐらいくれてやる。それに星空にいる奴らも、きっと暇しているだろう。
「アルベール、遅れてるわよ」
「はいはい、今行きますよ」
俺はそう言ってつい止まっていた足を再び動かす。風が俺達を後押ししていた。
君の世界に、英雄はいるだろうか。
もしいるのなら、もう少しだけ違った形で、存在していることを願う。
著:アルベルト・グライナー及びアルベール・グラニエ
報告:女騎士団長は馬鹿である 完
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