第151話 名も無き兵士の哲学
『どうしてこんなことになったのだろうか』
人は時に冷静になり、こんな疑問を呈したりする。それは仕事で問題に直面した時、結婚後しばらくして妻に怒られたとき、人生を半ば過ぎて変に余裕ができたとき等に現れる。
しかしそうした疑問も、また新しい忙しさのなかで埋もれていく。人は誰しも、目の前に解決する問題を抱えて、遠い未来の事など想像はできないのだ。
戦争の中で、平和を信じることができないように。
「今回の作戦を確認する」
帝国領土東部、簡易的に作られた東部方面司令部の末席に俺はいた。簡単な作りではあるが、一時的であることを考えるとあまりに豪華で無駄な建物だ。
広げられた地図に指を指しながら大きな声を張り上げている総司令官を、俺はぼんやりと観察する。
帝国軍人らしいその髭は、まさに高級士官の典型のような出で立ちだ。しかし見た目が重要であることはいつの時代でも証明されている。現に今も多くの将官が真剣な様子でその作戦説明を聞いている。少し考えれば、下らないこともわかるだろうに。
(まあ王国の司令部も大概だ。それだけにいつまでも戦争が終わらないのだろうが)
俺はそんなことを考えながら、他の指揮官達に目を移す。今回の作戦はベルンハルト将軍の部隊としての編成ではない。ベルンハルト将軍の部隊は、ある意味では既に完成されている。故に、俺みたいな指揮官が一人増えるとかえってややこしくなる場合もあるのだ。
そこで今回も前回と同様、四将軍とは関係ない部隊編成である東部方面軍に派遣されている。まあ帝国の上層部も四将軍が力を持ちすぎることは良しとはしていないみたいだ。だからこうして兵を出させて、混合部隊を作らせる。
(まあ元々将軍は戦意高揚の名誉職みたいなものだ。王国の将軍と違って、帝国軍における編成のトップって訳ではないからな)
四将軍は帝国軍においても独立した機構のようなものである。つまりは軍の本流そのものではない。帝国の将軍はあくまで機動性と柔軟性の確保としてのトップダウンを優先した独立性を有しているに過ぎないのだ。だからベルンハルトもルイーゼも、その部隊の人数自体はそう多いわけではないのだ。
逆にアウレール将軍のように力を付けすぎて肥大化するのは本来の目的とは反しているのだ。もっともアウレール将軍の目的は権力の拡大にあるのだから彼の目的には合致しているといえる。
「……これにて説明を終える」
そうこうしている内に、どうやら説明が終わったみたいだ。今回の総指揮官である中将位の将官は質問がないか聞いている。
「グライナー中佐、何か意見があるかね?」
そんな時此方に質問が飛んでくる。末席の末席、はるか後方にいる自分に聞いてくるとは普通はあるものではない。しかしこれに関しては彼の意図を理解することができた。
「いえ、素晴らしき作戦案であると思います。私程度の若輩では、口を挟む余地もございません」
「うむ。それでは質問もないようなので解散としよう」
総司令官はそう言うと、一同が起立して敬礼する。俺も同様に敬礼した。
あの総司令官が俺を名指しで質問したのは、ただの示威目的に過ぎない。俺が王国でスパイをやっていたことは軍部では伏せられてはいるが、かのフレドリック・グライナーの息子であることは秘密にはしていない。
それ故に彼は示したいのだ。前大戦で名を馳せた将軍の息子よりも、自分の方が上であると。その息子の上に立つことで、自分の価値を証明したいのである。
(なんともしょうもない見栄だ。もっとも、こういったしょうもない感情を理解するのに、王国での日々は非常に役立ったな)
今回の作戦は端的に言えば、『東から来る王国軍を撃退する』である。逆に言うとそれ以上の説明をしていない。
具体的な方策や分析、勝利へのロジックはなく、漠然とした精神論が語られている。勝利は前提で、『どのような勝利を得るか』なんてことを平気で述べているのだ。正気とは思えない。
しかしそれも大組織では避けることのできない弊害なのかもしれない。理路整然と説明されるよりも、分かりやすい大きな声が通ってしまう。これは帝国に限った話でもなく、むしろ帝国はマシな方かもしれない。王国を見てそう思う。
俺がそんなことを考えながら兵営を歩いていると、不意に兵士達の会話が耳に入った。
「なあ、戦いが終わったらどうするんだ?」
若い兵士の二人組だ。年齢は同じぐらいだが、階級はずっと下だろう。その内の一人がもう一人に尋ねる。
「知らねえよ。それに、そういった話はしない方が良い」
「なんでさ?」
「そりゃ、不吉だからさ。良く喋るやつは死ぬし、楽観的な奴も死ぬ。訓練で教わるだろう?」
「それはそうかもしれないが……」
「それにこの戦争の後の事なんて俺らの知ったことじゃない。今考えるべき事は、とにかく目の前の戦場を生き抜き、なんとか生きて帰ることだ。生きてさえいるなら、平和も戦争も、王国も帝国も関係ない」
「そうだな。それに……」
それ以上聞き続けるのは不審がられるだろう。俺は歩き出してその場を離れていく。少し歩いたところで、ベルンハルト将軍のところから借りてきた兵士の一人がやってきた。
「……中佐」
「どうした?」
「王国軍第七騎士団が東南の拠点三カ所を制圧。兵は投降し、拠点は無傷のまま奪われています。詳細はこちらに」
「初耳だ。やはりこの場所にいては情報が腐るな」
偵察部隊と諜報部隊だけでも、少し借りてきて良かった。俺は自分の判断に胸をなで下ろす。
作戦の予定では動き出しは5日後だが、少なくとも明朝には慌ただしくあるだろう。兵士達に準備するよう指示を出す必要がある。
(しかし、第七騎士団の動き出しがここまで早いとはな)
俺は自分へのうぬぼれを少しばかり反省する。
彼女はどう立て直したのだろうか。部隊についてもそうだが、自らの副官が裏切り者であることに対してもだ。いや、ひょっとすると、彼女が悩むかもしれないなどという考えすら自惚れが過ぎているのかもしれない。
彼女にとって自分はただの副官であり、今はただの裏切り者なのかもしれないのだ。いずれにせよ、分かっていることは彼女の部隊は敵であり脅威であるということだ。それ以上は推測の域を出ない。
兵士達の言うとおりだ。あれだけ自分の矛盾に悩んでいても、戦場に出ていれば忘れてしまう。いっそ甘さと切り捨てて、このまま戦場に身を委ね続けるのもいいかもしれない。
そんなとき、また頭にある光景がよぎった。
(……っ!?)
どうしても夢で見るクローディーヌの笑っている顔が脳裏をよぎる。それは日を経つ毎に鮮明になり、時には日中にも現れる。
(未練か、情か、はたまたそれ以外か。いずれにせよ情けないもんだな)
俺は自嘲気味に笑うと、頭を切り替え、再び戦術について考えを深めていく。
今はなすべき事をなそう。今日を生きるために、のんびり明日を語る暇などないのだから。
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