第150話 地獄は人を待たず

 






「いいのですか?グライナー中佐を送り出して」


 帝国軍総司令部。帝都にあるその荘厳な建物の一画に、死闘将軍ベルンハルトはいた。 


「何か問題かね?シュタイガー大尉?」

「ええ。まあ」


 シュタイガーが答える。


「将軍の目にもわかるでしょう。グライナー中佐が、王国軍に対して複雑な気持ちを抱いていることぐらい」

「複雑?複雑とは何だ?」

「誤魔化さないでください。彼は少なからず王国に対して親しみを覚えてしまっている。そう言っているのです」

「冗談だよ。シュタイガー大尉。しかし君は彼のことになると相変わらず熱が入るな」


 ベルンハルトは小さく笑いながら答える。シュタイガーの方も少しトーンを落として話を続ける。シュタイガー自身、アルベルト・グライナーに対して想いが出てしまうのは自覚していた。


 だが、それを否定する気にはなれないのも事実であった。何せ彼はフレドリック・グライナーの息子なのだ。軍人としてそんな感情はもつべきではないかもしれないが、それを止められるほどシュタイガーの心は乾いてはいなかったのだ。


「分かっているのなら、何故?」

「何故も何もない。そうしなければならないからだ」


 ベルンハルトは続ける。


「スパイが相手に情を抱いてしまうことなどよくあることだ。むしろ一度はそんな感情を抱かぬようではスパイ以前に人間として問題があるのかもしれん。だが大切なのは、我々は帝国の軍人であり、帝国臣民であるということだ。その義務からは逃れられない」

「それは……そうですが」


 それは分かっている。シュタイガーはそう言いたげな顔であった。


 ベルンハルトが続ける。


「彼は帝国軍人だ。そして今帝国に脅威が迫っている。あのクローディーヌ・ランベールという脅威だ。……一度は私が退けたが、次は怪しい」

「っ!?」


 ベルンハルトの言葉に、シュタイガーは言葉を失う。黙っているシュタイガーに対して、ベルンハルトは話を続けた。


「アウレール将軍。奴は謀略によってその実権を掌握し、力を得た。そしてその謀略をもって王国の英雄を葬ろうとしている」

「それは難しいと?」

「そうは言わない。『知は力なり』。君が教えている言葉にもある。謀略だけが『知』ではないが、謀略も確かに『知』の一部だ」

「そうですね。その通りです」

「現に今権力という意味では彼が一番強大。それは事実だ」

「ええ。……しかし将軍がアウレール将軍をそこまで評価しているとは思いませんでした」


 シュタイガーの言葉にベルンハルトは椅子に深く腰掛け直す。


「そうだな。その在り方など決して肯定はしないが、少なくともアルベルトが敵う相手ではないだろう」

「そんなっ!?」

「驚くことはない。何せ奴は人の欲望をよく理解している。何より自分の心に誠実だ。ふらふらと迷っている子羊では、あの狡猾な狐には敵わないだろう。何より牙を剥くことすら躊躇うかもしれない」


 ベルンハルトはシュタイガーを見る。ここで見せる彼の素顔は、ある意味ではだれよりも正直だ。


(フレドリックよりも、よっぽどシュタイガーの方が親みたいだな)


 ベルンハルトは少しだけ口角を上げて、軍帽をかぶり直す。思い返せば、彼の男も随分と不器用であったし、実の息子にすらどこか身の振り方を考えているような始末だった。


 しかし血は争えないとはよく言ったものだ。それでも子は親に似て、今も一人悩んでいる。


「話を戻すが、アウレール将軍の力が大きくても、それが帝国の勝利に結びつくかどうかはまた別の話だ。加えて、今後の帝国がどうなっていくのかも」

「というのは?」

「忘れたわけではあるまい。我々帝国は、以前たった一人の英雄に敗北寸前にまで追い詰められていたのだ。得てして歴史はくりかえされるものだよ」


 ベルンハルトの言葉に、シュタイガーは特に反論はなかった。それもそのはず、彼もその当事者の一人なのだ。あの戦争を経験した者で、王国の英雄に畏怖しない帝国軍人はいない。そして現に、クローディーヌ・ランベールの力は父親の力を彷彿とさせるものであった。


 だからこそのアルベルトの派遣でもある。帝国内にいれば担ぎ出そうと近づいてくる者、命が狙う者が現れるかも分からない。表向きの理由としてはそうした理由でアルベルトを王国に送り込んだ。ベルンハルトは彼にそう伝えていた。生き延びることを是とする彼はそれを拒んだりしなかった。


 しかしそれと同時に王国を知る人間を作り出すことも帝国としては重大な課題だったのである。今後戦いが起きた際に、同じ轍を踏むわけにはいかない。ただでさえ歴史は繰り返されてしまうのだから。


 ベルンハルトはおもむろにアルベルトの王国での報告書を取り出した。


「しかしこの報告書の書きぶりは、どうにかならなかったのか?」


 どこか軽妙な文体で書かれた報告書。勿論その真価は魔術を込めることにより読むことのできる裏の文にあるが、それでも報告自体を読まないわけでもない。


「日記帳に見立てることで、見つかっても誤魔化せるようにしていたのでしょう。ついでに日常も記録していたのかも」

「しかしもし仮にこれが事実なのだとすれば、大尉の懸念も十分理解できるな。これは些か近づきすぎたな」

「ええ。まったく」


 そう言うシュタイガーの目に、怒りや叱責の気持ちがまるでないことをベルンハルトは容易に感じ取ることができた。


 それはまるで息子の旅の記録を見る親そのものだ。「危ないことをして」と言いつつ、どこか楽しげなそれである。


(しかし、彼女を止めることができる人間がいるとしたら、それもまた……)


 ベルンハルトはその報告書を置き、腕を組む。国境沿いでは、再び戦闘がはじまっていた。














「団長、東和部隊が敵拠点の補給路を断つことに成功しました。それに伴い現在王国軍が敵拠点を包囲しています」

「分かりました。東和部隊を引き戻して団員を集めてください。騎士団以外の王国兵には、引き続き包囲をするように伝えて」

「わかりました」


 レリアは指示を受けて、秘術により通信を行う。クローディーヌはそれを見て、ドロテの方を向いた。


「ドロテ隊長、東和部隊が戻り次第、第七騎士団を集合させます。私を先頭に、敵拠点に投降を訴えましょう。補給路を断った今、士気が下がるのも早いはずです」

「は、はい」

「私がいれば、万が一拠点から攻撃を受けても防御できます。そうすれば敵もさらに反撃の意志を失うでしょう。それだけに王国の兵士達には敵の射程圏外から包囲するよう徹底してください。敵の攻撃意図をくじくことが肝要です」


 クローディーヌはそう言うと、さっさと歩き始めてしまう。


 見事だ。見事と言うほかない。ドロテは率直にそう感じた。まるで副長がいたときのように、その作戦は見事に的中している。加えて万が一に問題が発生したときの対応策も、事前に用意されている。


(あれほどまでに弱々しかったのに……。もう立ち直ったというの?)


 ドロテはその頼もしい背中を見つめる。彼女の背中は騎士団発足以来見続けている。しかしこれほどまでに頼もしく感じたのは初めてであった。


(でも、どうしてだろう。あの姿はまるで……)


 しかしそれは同時に、発足当時の、昔の背中を思い出させる。


 彼女の姿が、これまでに無いほどに脆く、もの悲しく見えたのも、また事実であった。







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