第142話 気まぐれは風向きを変え、運命は風に乗る

 







 この時の俺の行動は、本当に一時の感情に身を委ねてしまったからに他ならない。あのとき、クローディーヌを生かすために、帝国へ戻った時と同様だ。


 いや、ひょっとすれば感情ですらなかったかもしれない。その時俺は何を考えるわけでもなく、半ば本能的にその行動を取っていた。


 その行動は正しかったのだろうか。いま振り返ると………〈この先は文字が消されている〉




 ――――――――――――――アルベルト・グライナーの手記より抜粋








「放せ!妹の命がかかってるんだ!」

「黙れ!軍の物資に手を付けようとは、子供といえど反逆罪だぞ!」


 俺とそのアウレール配下の指揮官がその場所に着いた時、よく見知った少年が兵士に殴られていた。


 同情の余地など無い。彼がやっているのは立派な犯罪だ。しかも軍相手となると罪は更に重くなる。子供といえど許していたら、いつまでも大事な軍事物資が奪われてしまうし、そのせいで国全体を守れない可能性だってある。軍相手の犯罪は重罪なのだ。


 もっとも実際の所、今現在彼等は国など守っていない。そもそも戦ってすらいないのだ。そういう意味では物資は必要ではないともいえる。


 俺は顔を大きく腫らしたその少年を見る。既に相当殴られてはいるようだった。大人の拳は痛いだろう。俺はそれをよく知っている。


「彼は何をしたんだ?」


 将官が部下に尋ねる。


「窃盗です」

「ほう。何を盗んだんだ?」

「食糧に弾薬、それに銃器まで。詰め込んだ荷物が多くて逃げ切れなかったみたいですな」

「それはまた間抜けだな」


 間抜けはお前らの方だろう。俺は喉元まででかかった言葉をぐっと堪える。


 こんな少年にあっさり侵入され、あまつさえ銃を奪われたのだ。もし仮に少年が銃を鞄にしまうのではなく、手に持っていたらどうするつもりだったのか。俺は少々聞いてみたくなった。


「お前らが悪いんだ!お前らが町を守らないから」

「うるさい!誰のお陰でこの国の平和が保たれていると思っているんだ!下人風情が!」


 兵士の言葉は答えにすらなっていない。しかしそんな問答でも拳を入れてしまえば少年は黙らせられる。大きな憎悪と諦め、そして絶望とをカクテルさせた感情を持て余したままに。


(だが何より辛いのは、受けた拳の痛みなどではないだろう)


 彼が一番辛いこと、それは自分が無力であることを知らしめられていることだ。彼は何もできないし、頼れる人間さえいない。大人達はみな敵であり、自分の周りにいるのは守らなきゃいけない妹だけだ。


 その逃れられない責任は、さぞかし彼の心を蝕むだろう。そりゃそうだ。大人達だってろくすっぽ責任をとれない奴ばかりだ。それなのに、彼にそれをやれといったって、そうそうできる話ではない。


 俺はそれがよく分かっていた。


「処罰の方は、どういたしましょう?」

「うむ。そうだな。本来なら処刑が妥当であるが……」


 流石に子供を手にかけるのは、彼もためらうのだろう。実際、子供を処断した例など聞いたことはない。きっとそうした場合にも、報告せずに対処していたのだろう。


 だが今回は俺という存在がいる。だからこそ、彼は少し迷っているのだ。他人が見ているところでは、そうした対処はとりにくい。厳密に言えば軍規違反なためだ。


(まあ俺が命を握っていることでそれどころじゃないというのもあるだろうがな)


 俺は少年の方を見る。処刑という単語がでたことで、事の重大さに気付いたのだろう。急に青ざめた顔をしている。


(馬鹿だ。救えないほどに……)


 俺がそんな風に見ていると、不意に彼と視線が合う。それは俺に救いを求めてきているようだった。


「なんだ?グライナー少佐はこの少年と知り合いかね?」


 その言葉に、少年の顔が少しばかり明るくなる。どうにか助けてもらえると思ったのだろうか。その甘さが嫌になる。


 だから俺はその甘さを折ることにした。


「ええ。つい先日、私の腹を刺した子でしてね」

「何、そんなことが!?」

「ええ。お恥ずかしい限りです。……ですので処刑に反対などはいたしません」


 俺はそう言ってにこやかに笑う。少年は呆然とその成り行きを見ていた。


(人は本当に絶望したとき、こんな表情をするのだな)


 俺は少年を見ながらそんな感想をいだく。よく見ると野次馬が増えている。こんな緩みきった連中も、レベルとしては同じか。


 将官が兵士に指示を出す。ライフル銃をもった兵士が一名、少年の元にやってきた。


 兵士が銃を構える。ものの数秒後にはこの少年は始末されるだろう。


 少年が震えている。そして怯えた目で、俺を見ていた。


 馬鹿は嫌いだ。醜く、情けない。自分の失態のツケを自分でとれず、自分自身を甘やかし、そのくせ慈悲にすがる。


 そして何より……


 昔の自分を思い出す。


 身体が勝手に動いていた。








「へっ?」


 俺は少年の元に歩み寄り、そして将官の方に向き直りながら跪く。


「グライナー少佐、これは……」

「これは明確な軍務違反ですが、」


 俺は前置きして続ける。


「彼を許してやってはくれませんか」

「なっ!?」


 俺の言葉に、その男は心底驚いただろう。さっきまで脅迫されていたと思ったら、次は懇願されていたのだから。


「勿論、ただでとは言いません。この少年には、此方から厳しく指導いたします」

「し、しかし……」

「この少年はどうしようもない馬鹿です。しかし、この少年にも非のない部分があります。両親を亡くし、頼る相手もいない。その上、身体の弱い妹がいる」

「…………」

「勿論軍にあるまじき、感情論です。しかし、今より迅速にノルマンドを撃退し、きちんと町の医療設備で治療すれば、彼の妹は助かるかもしれません。それは臣民を助けることに他なりません」


 嘘である。多分彼の妹は栄養失調なだけだ。きっと栄養注射でもしてやれば助かるだろう。ここは俺の打算も組み込まれている。


「いいのか?貴公は軍規違反を私にもちかけているのだぞ?」

「はい」

「…………」


 まあ軍規違反と言っても、別に大したものじゃない。厳密に言えばというものだ。それでも、少なからず彼が俺の弱みを握ることにはなる。


 しかしそれが結果として譲歩になるかもしれない。そうすればこの男も、アウレール将軍に始末できなかった言い訳が立つかもしれない。どうせ命はこっちが握っている。取引は飴と鞭ではじめてうまくいくのだ。脅迫ばかりでは芸がない。


 それに俺は、この行動を止める気にはならなかった。同情だろうか。はたまた、自分の甘さだろうか。しかし俺はその理由を本当は理解していた。


「……私は軍人だ」

「…………」

「貴公がどう願うのであれ、今はノルマンドに対処するべきだ。それまではこの少年の身柄は貴公に預けるものとする」

「ご厚意、感謝します」


 将官殿の寛大な心のお陰で、この場は収まった。とりあえずそんな感じで終わった。


 散々利敵行為をしておいて何言っているんだとも思ったが、彼の部隊の全員が腐っているわけでもないだろう。というより、むしろ腐っているのは本当にごく一部なのかもしれない。


 だからこんな風に人に見られていては、彼はそういう態度を取らざるを得ない。というより、進んでとったのかもしれない。彼は悪人で、どうしようもない男だが、軍人としての最低限の矜持はもっていた。それだけのことだ。


「全てが終わったら、きちんと礼を言いに行けよ」

「っ!?」


 俺は少年にそうとだけ言うと、立ち上がって歩き出す。落とし前をつけにきたはずなのに、いつの間にか共闘を依頼することになってしまっている。何がどうしてこうなったのやら。


 俺は近くに潜んでいる部隊に合図を出し、此方によびよせる。今から協力して向かえば、南西から侵入したノルマンド部隊の背後を突き、ルイーゼの部隊と挟み込む形にできる。そうして撃退した後に、北の部隊を援護すればよい。


 結果としては、最善かもしれない。俺や彼の個人的な問題は残れど、軍全体やこの少年を含めた町の住民まで含めると、最も良いように思えてくる。


 俺は手早く作戦を考える。彼等を含めれば兵力優位も地の利もこちらにある。既に勝利への道筋はできていた。












 その昔、まだ俺が10歳そこそこだった頃、ベルンハルト将軍に鍛えてもらっていた。


 彼は厳しく、絶対に俺を甘やかしなどしない。『自分の弱さへの責任は、自らで精算しろ』彼がそう言っていたのをよく覚えている。俺はそんな中で、少しでも強さを求め訓練にはげんだ。


 ある日、俺は自分を馬鹿にした貴族と喧嘩したことがあった。喧嘩というには一方的すぎた。彼達は俺がここまで強いとも知らなかっただろう。5人相手に、俺は完勝した。


 しかしそんなことで許されるはずもなく、そいつらに雇われた大人が俺をボコボコにした。しかしそんな中で、俺を助けに入ったのがベルンハルト将軍だった。


「すまなかった。この通りだ」


 将軍は俺と彼等との間に立つと、謝罪の言葉を述べた。彼等にとっても、俺にとっても、それは驚きだった。


 俺は将軍に言われ、貴族達に謝った。彼らも謝り、これにより手打ちは終わり、それ以上揉めることもなかった。


 俺はそこに、ある意味で父の背中を見出したのかもしれない。屋敷に戻ったとき死ぬほど将軍に怒られ、さんざん殴られたが、それでも、どこかうれしかったのを覚えている。


 情けなくて恥ずかしい、ずいぶんと旧い記憶だった。






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