第110話 デュッセ・ドルフ城塞防衛戦

 






 今にして思えば、父親は俺の事をどこか避けていたようにも思える。


 それは俺の瞳に亡き母を思い出してしまうが故か、それとも単純に自分の息子に対してどことなく距離感を測り損ねているのか。他人の目があるところでは父親らしく振る舞えるが、本当に二人になったとき父はどこか落ち着かない様子だった。


 だからなのだろう。最後に俺に話しかけてくれたのは、父というよりは一人の男としての振る舞いだったように思える。俺を一人の男として扱い、敬礼した。


 それが彼の照れ隠しだったのだと今にして思えば解釈できる。それでも、当時の俺はそんな扱いがたまらなくうれしく感じていた。





 ――――――――――――アルベルト・グライナーの独り言













「柄にもないこと言っちゃったかな?」

「え?何か言いましたか中佐」


 うっかり漏れてしまった独り言に、部下のシュタイガー中尉が反応する。気がつけば彼もスピード出世だ。フレドリックはシュタイガーのワッペンを見ながら「なんでもないよ」とだけ言った。


 彼等は今、帝国領からかなり王国側になるデュッセ・ドルフという場所に来ていた。本来ここには大して戦略的価値はないのだが、つい最近できたという城塞に補給と休息がてら立ち寄っている。


 フレドリックとしては「こんな守りづらいところにわざわざ拠点を構えるなんて正気じゃない」と呆れていたが、王国側ものんびり此方の城塞の完成まで待ってくれていたので、今こうして利用させてもらっている。


「そういえば中佐。本日付でこの部隊に援軍が来るそうです」


 シュタイガーが言う。


「援軍?随分また急だな」

「本部もそれだけ必死なのでしょう。今はなんとしても上り調子な部隊に賭けたいのです」

「君も言うようになったな。シュタイガー中尉」

「これだけ戦場に連れ回されれば、言いたくもなります」


 そう言って二人は「違いない」と笑った。シュタイガーとフレドリックはこの段階で既に大小二十以上の戦いを共に経験していた。それもごくごく短期間の間にだ。


 そんな中、兵士の消耗が少なく、それでいて確かに王国軍に損害を与えている彼等は今まさに本部にとっては救いの船なのだろう。そこに戦力を預けてより大きい戦果を期待するのも分からなくもなかった。


「おや、来たみたいだな」


 遠くから装甲車が何台か近づいてくるのが見える。そしてその後方には兵士達が列をなしてついてきていた。


「さて、出迎えるとしようか」


 フレドリックはそう言って城塞外部へと足を向ける。見ると少し派手にカスタムされた装甲車が門の近くに止まっていた。


 降りてくる将官に二人は敬礼する。その相手はフレドリックと同じ中佐のバッジを付けていた。


「お初にお目にかかります。フレドリック中佐」


 相手の男が敬礼する。フレドリックよりも一回り若い男であった。


「此方こそ。アウレール中佐」

「……私の名を?」

「何を驚くことがあります。中佐だって私の名前を知っているではありませんか」


 フレドリックはそう言ってにこりと笑う。シュタイガーはそれをどこか「恐ろしい」と思いながら見ていた。


 相手の中佐が此方のことを知っているのは当然だろう。なんせ辞令が下りて此方に合流するのだから。だがフレドリックは違う。そもそも今日まで知らされていないこと自体がおかしいのだ。


 大方相手の嫌がらせに近いものだろう。此方しか相手の素性が分からなければ、相手に対して心理的に優位に立てる。相手はそれだけで不安になるのだから。


(この若さ、そんな嫌がらせ……。なるほど帝国貴族の出身か)


 シュタイガーはそのどこか気に入らないアウレールを見ながらそう判断する。帝国には既に特権身分としての貴族制度はなくなっているが、そうした上流階級が依然として既得権益を貪っていることは周知の事実ではあった。


「本日付であなたの補佐をするように指令が下りた。これからは実務は私に任され、フレドリック中佐は戦略構想に集中されたし」


 その言葉に、シュタイガーが一瞬反応する。その時点で彼の思惑は簡単に読み取ることができた。要は上手いこと言って、こちらの軍を骨抜きにしてしまおうというのだ。


(なんと卑怯な連中だ。このままでは成果さえも自分たちのものにしかねない)


 シュタイガーは「気付いてくれ」と言わんばかりにフレドリックに目配せをする。しかし当のフレドリックはどこ吹く風と言わんばかりであった。「楽ができてラッキー」くらいに思っているのかもしれない。シュタイガーはそんな上官の様子に少し気持ちが急いていた。


 しかしそんな焦りは全くの無用であった。


「わざわざこんな現場まで出張ったのに、現場指揮を任せてちゃ本末転倒だろう」


 低い声が聞こえた。アウレールよりも更に後方から、一人の男がやってくる。アウレールは「いつの間に」とばかりに驚いていたが、フレドリックは気付いていたようであった。


「本当にお前達の部隊は恐ろしいほど速いし、静かだな」

「戦場でもっとも大事なことだ」


 黒い鎧を纏った体格のいい男がその甲冑を外す。神出鬼没だが、帝国では知らぬ人間はいない。その黒い騎士団はフレドリックが勝ち始めるまでは帝国唯一の希望であった。


「ベルンハルト大佐、久しぶりだな」

「ああ。フレドリックも元気そうだ。随分と暴れているみたいだしな」


 二人はそう挨拶をすると楽しそうに笑みを浮かべる。突如現れた大物にアウレールも黙って二人を見ている。


 この二人の前ではアウレール中佐も格落ちであった。


「それで?」


 ひとしきり話した後、フレドリックが尋ねる。


「どうしてこんな辺鄙な所にいるんだ?君は自由裁量が与えられているだろう?」


 フレドリックの言葉に、ベルンハルトの表情が変わる。その様子で、フレドリックもなんとなく察してしまった。


「いや、やっぱり言わなくて……」

「セザール・ランベールが来る」

「いいって言ったのに……」


 フレドリックは頭をかきながらため息をつく。何が補給だ、援軍だ。要するに軍部はなるべく早いうちになんとかして欲しかったのだろう。敵の英雄という名の化け物を。


 ベルンハルトは不敵に笑い、フレドリックはあからさまにがっかりした表情を浮かべている。対照的な両者だが、既に心は同じ方向を向いていた。






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