第108話 戦える理由

 







 激しい血しぶきが戦場に色をのせる。その大地はいつのまにか赤く黒く染まっていた。


 野蛮な男達の声がどこまでもこだまする。戦いに美しさはいらない。必要なのは闘争と生存への本能的渇望なのだ。


「帝国軍人にしては骨がある……」

「ジーク……、ウェイマーレ!!」


 地力にはどう足掻いたって王国軍に分がある。兵の数も、王国より多いとはいえせいぜい三割ほどだろう。地力の差を埋めるには心許なかった。


 だが王国の足は止まっていた。


「何がなんでもここは通すな!」

「例え死ぬ間際でも、最期の最期まで王国兵に地獄を見せろ!」


 それは最早狂気であろう。王国も帝国も、そこに理由など存在しなかった。


 『殺してでも生きる』、その生の本能だけが剥き出しに存在していた。










「いつだったか、時が止まってくれと思ったことがあったな……」

「え?何ですか、少尉?」


 シュタイガーの言葉に部下が反応する。シュタイガーは「何でもない」とだけ答えた。


 ひとつは初めて好きな女性とデートしたとき、もう一つは自分のプロポーズを受け容れてもらえたときだ。


(まさか三回目が訪れようとはな)


 もっともその意味は前の二つとは大きく違う。シュタイガーは自嘲気味に笑うと再び顔を草深くにうずめた。


 シュタイガーを含めた二百人程度の兵士達は王国の進軍経路のすぐ脇の草地に隠れていた。全員が息を殺し、身を潜めている。見つかれば多勢に無勢、瞬く間に全滅してしまうだろう。


 先程、兵士達の声が遠くから聞こえてきた。前衛は間違いなく衝突したのだ。シュタイガーは既に砂時計を反転させている。


 兵士が声を漏らすようにシュタイガーに言う。


「敵は目前にいますが、秘術隊だけではないみたいです。少なくとも秘術隊の他に護衛の騎士が数百人います。隊長、どうしますか?」

「……声を落とせ、見つかったら死ぬぞ」

「すいません」


 兵士は黙った後でも、此方をじっと見つめてくる。言わんとしていることはシュタイガーにも分かった。


(ここでやめることができたら、どんなに楽だろうな)


 あの指揮官、フレドリック・グライナーは優秀だ。間違いなく頭が切れる。しかし彼が自分たちを捨て駒にするかどうかは別の話だ。ここで二百人で突撃しても、敵の数の方がずっと多い。秘術隊だけならばなんとかなるだろうが、護衛がいたならば間違いなく返り討ちにされる。


(あの人は護衛の可能性も示唆していた。そして仮にいたとしても突撃しろと命じた。あくまで対象は秘術隊だが、護衛がいたなら彼等を突破しなければ攻撃できない)


 だが自分たちにそれができるだろうか。シュタイガーは既に両手では数え切れないほど自らに問いかけていた。そして本心では、それが可能だと思うことができないでいることも、既に変わらない事実だった。


 砂が静かに流れていく。時の流れをとめることはできない。この砂が落ちることを止められないのと同じように。


(クソッ。静まれよ)


 シュタイガーは自分の鼓動に何度も落ち着くように命令する。しかし既に身体は自分の指揮を離れ、勝手に動いてしまっていた。


(足も震えてきた。こんなの今までなかったっていうのに……)


 見るともう砂はわずかばかりしかない。今からでも砂時計を元に戻せないだろうか。手がすこしずつ、砂時計へと伸びていく。あと少し伸ばせば、その時計をとめることはできただろう。


 その時だった。


「隊長、もう……無理です。敵部隊は依然として残っています。誰一人前衛の援護に向かってはいません。このまま突っ込めば、俺達は……」


 部下の一人が今にも泣き出しそうな声で言う。既に歯が震え、彼の足も止まることを忘れていた。


 だがその姿が、その弱々しい姿こそが、シュタイガーに勇気を与えた。


(何を馬鹿な事を)


 シュタイガーは片膝を立て、身体を起こす。その様子に兵士二百人が呼吸を忘れていた。


「行くぞ。あの中佐殿を死なすわけにはいかん」


 シュタイガーは砂時計を取り、そのまま投げ捨てる。そして全速力で駆け出した。


(ああもう。後ろは振り返らねえぞ)


 誰がついてきているかは分からない。もしかしたら自分だけかもしれない。それでも、大地を疾走する足は今までで一番軽かった。


 誰もが皆怖いのだ。誰だって死にたくない。味方も、そして敵も。


「うおおおおおおおおお!!!」


 王国軍に近づき、大声を上げて突撃する。そして同時に、後ろからも男達の叫びが聞こえてくる。二百の雄叫びが、今王国軍を飲み込もうとしていた。


「目標、敵秘術部隊!全員、突撃!」


 シュタイガーの目に、逃げ出す王国兵と、ただ一人立ち向かう秘術隊の女性が映っていた。












「見事だったな。シュタイガー少尉」


 フレドリックは兵営に戻ってきたシュタイガーをねぎらいながら、水の入ったボトルを渡す。シュタイガーは敬礼も忘れ、その水をありったけ体内に放り込んだ。


「げほっ、げほっ」

「ほらほら、ゆっくり飲め。まったく、新兵に笑われるぞ」


 フレドリックが笑いながらシュタイガーの背中をさする。シュタイガーは「すいません」と小さく答えた。


「お陰で猛風部隊は撃破できた。あらためてよくやった、少尉」

「いえ、私たちは……」


 シュタイガーは申し訳なさそうに視線を落とす。敵が怯えて逃げたというのに、一人の秘術士に手こずり、結局の戦果はその女性兵だけであった。


「優秀な秘術士は兵士千や二千に匹敵する。彼女はそれ以上だっただろう」

「そう……でしょうか」

「カサンドラ大佐もすごく渋い顔をしていたぞ。まったく見せてやりたかった」


 フレドリックがうれしそうに笑う。シュタイガーは一度大きく息をはくと、ふと疑問に思ったことを口にする。


「中佐殿」

「何だ?」

「もし私が臆病者で、あそこで突撃できなかったらどうするつもりだったんですか?」


 シュタイガーがそう聞くと、フレドリックは小さく笑う。そして自信ありげに答えた。


「君がではない。誰もが臆病者だ」

「え?」

「だから自分のためなんかに戦えはしない。でも君は、仲間のために戦えただろう?」

「……はい。そうですね」

「きっとそうさ。だから王国軍の、あの女性も、最期まで一人で戦ったのだろう。守りたい人のために。君はそんな相手を討ち取ったんだ。堂々と胸を張りたまえ」


 フレドリックはそう言って、シュタイガーの背中を叩く。そして軽い足取りで立ち去っていった。


 シュタイガーはその背中を、ただじっと見つめ続けていた。




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