第103話 報告:女騎士団長は馬鹿である






「なんだあの光は?」


 アウレール将軍は重戦車から外に出て、城塞から溢れる紫の光を呆然と眺める。少ししてそれが英雄、クローディーヌ・ランベールによる防御秘術の光だと理解した。


「防御秘術だと?この状況なら、一発でも攻撃に回したいはずでは?」

「将軍!敵部隊が撤退を開始しています」

「何?」


 アウレールは思いもよらない報告に耳を疑う。交戦中に背を向けるなど、軍としてはあり得ない行為だ。むしろ逃げるのであればこそ攻撃の秘術を使い、此方に打撃を与えてから撤退するのが筋である。


 しかし今はそんなことを考えている時ではなかった。


「全軍、全力で第七騎士団を追撃せよ!城塞の占領は後で構わん!」


 アウレールは予備兵力も全て投入して追撃の指示を出す。この戦いでの勝利など彼にとってはどうでもよい。必要なのは、英雄を討ち取ったという功績なのだ。


「生き死にはこの際構わん!なんとしても英雄を屠るのだ!全部隊を東へと回らせろ!」


 アウレールがそう指示を出すと、別の報告が舞い込んでくる。南部にベルンハルトが現れたという報告だ。


(クソッ、こんな時にだけ勘の良い男め……)


 アウレールは北側回りで東へと兵を進めるように指示を出す。どうせ死闘将軍に恐れ、王国軍は北東方面に逃げるはずだ。


「急げ!万が一にでもあの化け物に成果を横取りさせてみろ。貴様ら全員軍法会議行きだ」


 アウレールの言葉に兵士達はただ黙って装甲車を走らせた。














「南門、開門!」


 クローディーヌの指示で南側の門を開ける。そしてその門に生き残ったわずかな兵士達が集まっていた。


「怪我人を優先的に進ませろ。敵は既に南西方向へと後退している。俺達はこのまま南東方向へと向かう」


 アルベールの指示に、団員達はそれぞれ必死に足を動かしていく。敵は後退したことでこちらが南門より出たことにまだ気付いていない。少しでもこの時間に距離を稼がなければならなかった。


「団長、南側ってあの将軍がいるって話じゃ……」


 レリアが不安そうにクローディーヌに尋ねる。クローディーヌは既に疲れ果てており、秘術による身体強化もままならない状態だった。


「大丈夫よ。レリア」

「でも……」

「副長が……アルベールが決めたんだもの」


 クローディーヌが優しく笑うと、レリアはそれ以上話すのをやめる。ここまで来たのならば心配してもしょうがない。ただ先頭を進む彼の背中を信じるしかなかった。


「報告!敵部隊が気付いた模様、南西側から部隊が出始めております」

「案ずるな。どうせ装甲車は軒並みクローディーヌが破壊している。移動手段がないのなら、せいぜい走ってくる程度だ。追いつくまでに時間はかかる」


 アルベールの言葉に、団員達はただ歯を食いしばって足を進める。このままでは追いつかれることなど誰もが理解している。しかしわずかな希望を胸に、彼についてきていた。


(副長が闇雲に動いたりなどしない)

(ならば信じてついて行くのみ)


 銃声がなり、こちらに銃弾が飛んでくる。遠くからではあるが、敵兵が狙撃してきていた。


「構うな!どうせ射程距離外だ。当たりもしないし、当たっても耐えられる」


 初めて見るような副長の怒気に、団員達も必死に足を動かしていく。


 いや、はじめてではない。東和との初戦、その時に感じたことのある怒気であった。


「うっ!」

「大丈夫か!?」

「止まるな!肩を貸しながら前へ進め!」


 敵の銃弾が後方の兵士に当たる。アルベールは担いでいた銃を構え、何発か撃ち込んでいく。銃声が響く度に、敵の影が減っていった。


「早く進め!」


 団員達はアルベールに答えるように進んでいく。アルベールの銃撃もあってか、敵部隊の足も止まり始めていた。


 だが、そこまでであった。


「え?どうしたの?」


 レリアが前の方が急に止まったのを見て不思議そうに言う。背が小さいが故に背伸びしても見えなかったが、ドロテが小さく呟いて教えてくれた。


「終わったんだよ。何もかも」


 ドロテのその表情で、レリアは何が見えるのか理解した。少し隊列からはなれ、前方が見えるようになると、そこにはずらりと並んだ帝国軍兵士と、中心にいる隻眼の将軍が見てとれた。


「やっぱり、ここまでだったんだね」


 レリアの言葉に、屈強な団員達も下を向いた。もう立ち向かう体力も、気力さえも残っていなかった。


 ここまで多数の帝国軍を屠ってきた。捕虜なんていう甘い選択肢はないだろう。降伏したとして、助かる手立ても……。


 全員ただ呆然とその景色を眺めている。死を覚悟した人間は、最終的にどのような気持ちになるのか。それが少し分かった気がした。


 ただ一人を除いて。


「いや、これでいいんだ」


 アルベールがゆっくりとベルンハルト将軍の方へと歩いて行く。クローディーヌをはじめとする騎士団は、その姿をただ呆然と眺めていた。












(思えば、随分と長い潜入だった)


 俺は帝国軍の前に歩み出ると、手を上げて一枚の紙を掲げる。帝国兵が数人、銃を構えながら近づいてきた。


「何のつもりだ?」

『ベルンハルト将軍にこの報告書を届けてくれ』

「っ!?」


 兵士が驚いた顔をする。そしてその紙を受け取り、足早に将軍のもとへと走って行った。


 彼が驚いたのは別に紙を渡したからではない。俺があまりに流暢な帝国語を話したからだ。


 紙を受け取ったベルンハルト将軍は、ゆっくりとこちらに歩いてくる。相変わらずおっかない。


 将軍はある程度まで近づくと、俺の後ろにいる第七騎士団にも聞こえるように大きい声で問いかけた。


「随分と遅かったな」


 ただ静かな平野に、将軍の声が響く。俺もおなじように声を張って、将軍に返答した。


「ええ。ですがこれで終わりです」


 俺は肩越しに第七騎士団の面々を見る。皆呆気にとられた顔をしている。そりゃそうだ。急に何のことかは分からないだろう。ましてや、今まで命を預けてきた指揮官が、帝国の人間だとは思うまい。


「嘘……そんな……」

「団長?」


 ただ一人、クローディーヌだけは既に状況を理解していた。俺は彼女に目を合わせないように、再びベルンハルトの方を向く。


「報告書は読んでくださってはいたみたいですね」

「ああ。お陰で非常に有意義だった。東和との戦いでは、随分と活躍したようだな」

「やめてください。貴方に誉められると何か裏があるように思えてしまう」

「別に怒ってなどいないさ。副官が長くいないものだから、仕事が山のようにたまっているとだけは伝えておこう」

「……聞きたくはなかったですね」


 ベルンハルトが魔力を込めると、俺が渡した紙に魔術が反応する。ただのとりとめのない文章から、機密情報が浮かび上がっていた。


 帝国の魔術暗号通信文。かつては広く使われ、カサンドラなどの魔術師は今でも愛用する情報伝達技術だ。


「嫌、アルベール……行かないで」


 クローディーヌが手を伸ばしながら、ゆっくりと前列へと進んでくる。俺は半身だけ翻し、彼女の足下をみた。クローディーヌの様子から、団員達も徐々に状況を理解し始めているようだった。


(王国がほこる英雄を連れてきた。俺の任務としては十分な成果だろう)


 俺は再びベルンハルト将軍の方に向き直る。個人としての目的、それは父を殺した人間に始末をつけること。それはただの仇討ちではない。自分への精算である。


(一騎討ちを仕組み、無謀な戦いを父に強いた帝国の連中・そして父が死ぬ直接の原因になった王国軍。両者にその報いを受けさせる)


 俺自身、父、フレドリック・グライナーに対する想いなどはない。彼は名誉や信念のために死ぬことになった馬鹿だ。それを俺は肯定しない。


 しかしだからといって他の連中を許すわけでもない。期待という名の呪いで縛り、半ば圧力をかけるように我が父を死に追いやった帝国軍、そして直接手を下した王国軍の方にも、必ず相応の報いは受けさせなければならない。


(本来ならこの場でアウレールを地獄にたたき落とすべきだったが……)


 一時の感情で大きく予定を変更させてしまったものだ。俺は「今更後悔してもしょうがない」と頭を振る。後は帝国に帰ってからの仕事だ。


 俺はゆっくりと歩み出た。














 今にして思えば、気付く要素はたくさんあった。


 彼は何故、あそこまで戦術に詳しかったのか。王国の学校ではあんなことは誰も教えてはくれない。なんのことはない。帝国で学んだのだ。


 彼は何故、帝国の地理に詳しかったのか。カサンドラ将軍の追っ手を振り切り、いとも簡単に私を連れて生還してみせた。将軍の魔術を打ち破ったその知識も、今にして考えてみればおかしすぎる。


 彼は何故あのギュスターヴという青年が帝国のスパイだと分かったのか。彼は知らぬ間に通信機という証拠さえ押さえ、彼を捕縛した。その答えは簡単だ。自らもスパイだからである。


 他にも彼の日記という名の報告書を読んだとき、いくらでもヒントは書いてあったのだ。


 マリーさんだって帝国のスパイが入っていたことを掴んでいた。しかも下級士官ではなく、司令官クラスが、と。それは部隊長レベルのギュスターヴのことではなく、将軍付副官クラスの彼のことだった。


 ベルンハルト将軍がアルベールの血で書かれた文書に魔力を込めていく。そして文章から異なる文字が浮かび上がっていった。


 彼が何故秘術が使えないと言ったのか。私を守ってさえくれたのに。


 しかしそれは嘘などではない。


 あれはまさしく『魔術』だったのだ。


「嫌、アルベール……行かないで」


 その時の私には、そんなことはどうでもよかった。ひょっとすれば自分の生き死にさえも、どうでもよかったのかもしれない。


 ただ彼がいてくれれば、それで良かったのだ。


「…………」


 彼は何も言わず、振り向きもしなかった。一言でいい、言葉を交わしたい。ただそう願っていた。


 視界がぼやける。どれだけ拭っても涙が自分の視界を歪めていた。


 彼がベルンハルト将軍の前に足を進め、敬礼をする。それは帝国式の非常に美しい敬礼だった。


 クローディーヌはなんとか止めようと声を張り上げる。


「アルベー……」

「帝国軍ベルンハルト将軍付副官!」


 私の声をかき消すように、アルベールが声を出す。もう止めることは不可能だった。


「……アルベルト・グライナー。ただいまより将軍の副官へと復帰いたします」

「……認める」


 ベルンハルト将軍の言葉に、再度アルベールが敬礼する。そして此方を振り向くことなく、そのまま帝国軍の中へと消えていった。


「第七騎士団の面々は丁重に扱え。捕虜ではなく、客人待遇でも良い。逃げるような真似はしないだろう。しばらく帝国で過ごしてもらうが、必ず王国へ返すと約束しよう。……この報告書にもそう書いてあるのでな」


 ベルンハルト将軍の指示で、私たちは帝国軍に誘導されていく。皆既に戦う気などなくしていた。


 それもそうだ。今目の前に起きた出来事に、心を失ってしまっているのだから。


「アルベール……アルベール……」


 私は彼が去っていくとき、かすかに聞こえてきた言葉を思い出す。


 それは小さく、聞こえるかギリギリのところであったが、私には確かに聞こえていた。




「すまない」。彼は一言、そう言った。











報告:女騎士団長は馬鹿である 第二部  完





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