第93話 報告:輝きは儚く、それでいて惹き付ける
幸か不幸か、死闘将軍ベルンハルト指揮下の部隊は撤退した。もとよりあの拠点を維持することが目的だったわけではなかったのだろう。何にせよ此方としてはありがたい。戦えば勝ったとしても、相当な被害が出ることは確実だったからだ。
あくまで戦力を削ぐ目的で攻撃をし、あわよくばクローディーヌの首も取ろうと思ったのだろう。あわよくばなんて戦い方は本来なら悪手だが、あそこまで潔く撤退ができるのなら関係ない。部下達も将軍が攻撃をやめてから、一発として銃を撃ってはこなかった。
夜の風は涼しく、戦場で火照った身体を冷ましてくれる。時間にしてみればごく短い戦いではあったが、それでも此方には相当な疲れが残る。
俺は夜風を感じながら、そっと小さく座っている美女の横に座った。
「早く休まないと身体に障りますよ」
俺の言葉に、クローディーヌは黙って頷く。俺は彼女が落ち込んでいるのかと顔をのぞき込む。しかし彼女の表情は意外にも明るく、まっすぐと前を見据えていた。
(なんだ、負けたことに気落ちしているのかと思ったが……。こりゃ負けたことどころか、次は勝つと考えている目だ)
俺は息をはいて両手を後ろに伸ばし自分の体重を支える。
勿論クローディーヌもベルンハルトに完全に負けたわけではない。あのまま一対一で戦えばベルンハルトの魔術によって命を落としていたかもしれないが、それはあくまで続けていたらの話である。実際、彼女はこうして生きている。
それに戦いには相性がある。兵科に相性があるように、戦い方にも相性があるのだ。一対多を得意とするクローディーヌと、一対一で無類の強さを誇るベルンハルトでは、どう見たって向こうに分がある。
俺はぼーっと思考を放棄しながら、天上の星を眺める。いつになく空が晴れており、星が綺麗に見えていた。王国では中々見ることのできない、満天の星空がそこにあった。
かつて書物で読んだことがある。星は爆発の光であり、燃え尽きる際の灯火なのだと。確かめようのない言説だが、そうだからこそ人を惹き付けるのだろうか。
散り際の美学が人を惹き付けるように、星の儚さもまた人を惹き付けるのかもしれない。
(……こんな空は、いつ振りかな)
俺は苦い思いを噛みしめながら、どこか懐かしいようなその空を少しの間眺める。
そして一通り気が済むと、クローディーヌの方に目をやった。彼女もこちらを見ており、不意に目が合う。
「あっ……」
「ん?」
クローディーヌが目をそらす。俺はどうしたのかと首をかしげながら彼女を見ていた。
そしてまた少しして、クローディーヌが話し出す。
「今日の戦い、私が負けていたわ」
挫折。その悔しさと無力感が言葉から伝わってくる。だが一方で、前向きな感情も伝わってくる。それは彼女の表情を見ても、やはりみてとれる。あれだけの強敵を見ても尚、彼女は恐れてなどいない。
それに俺は安堵もしていた。先の戦い、俺は負けていたと判断したが、味方部隊の多くは違っている。きちんとその状況を見ていなかった兵士達は、敵の将軍さえはねのけたのだと思っている。
いつだって人間は自分の都合の良いように物を見る。しかしそれをリーダーにやられたら、俺達は確実に命を落とす。
「まあそうだな。相手の方が強い」
俺がそう答えると、クローディーヌは少し苦笑いをしながら、此方を見る。
「……そこはそんなことはないと言うのではなくて?」
「馬鹿言うな。戦場でのお世辞は、部隊の死につながる。大事なのは客観的な分析と、合理的な選択だ」
俺の口ぶりが面白かったのか、クローディーヌに笑みがこぼれる。俺としては大真面目に言っているのだが、彼女は「そうね」と言って笑っていた。
「でも、大丈夫よ。私は勝てなかったけど、この団には貴方がいるもの」
クローディーヌがそう言ってにこりと笑う。彼女が悲観的になっていなかったのはそういうわけか。随分と信頼されたものだ。俺はそんな風に感じた。
俺は彼女の言葉に対し、何を言うべきかも分からず、ただ黙って額をかきその笑顔を横目で見た。
きっと生まれが違えば、彼女はもっと華やかな世界を生きられたに違いない。少なくとも、こんな鉄と泥の匂いで充満した世界に身を置くこともなかっただろう。死に怯え、期待という名の鎖に縛られることも。
(とはいえ、今の彼女は昔とは随分違ったように見えるがな)
俺はクローディーヌを観察しながらそんなことを考える。いつぞやの彼女と今の彼女は、まったくもって違っている。
心構えはその姿にさえも影響を与えるのだろう。今の彼女は以前より自信に満ちており、その姿は今まで以上に輝いて見える。戦いに負けた後でもだ。
「他の将軍も、動き出したみたいね」
「ああ」
俺はそう答えながら、思考を巡らせる。今回のベルンハルトは偶々だが、少なくともアウレール将軍が戦線復帰した情報は此方にも届いている。もとより肩を撃ち抜いただけだ。それもそこまで深くはない。いずれ戻ってくることはわかりきっていた。
(マルクス将軍も軍を派遣している。だが彼は戦場に出てくるというよりかは全体のバランスを調整する役目だ。魔術部隊もおそらくしばらくは出てこないと考えると、敵の部隊構成もだいぶ絞りやすくはなるな)
目下気にするべき敵は死闘将軍ベルンハルト、賢知将軍アウレールの両名。そしてベルンハルトが撤退したことを見るにアウレールが本命だろう。
(前回の東和との戦いは、向こうが此方まで遠征してきた。だから情報も比較的集めやすかったし、補給も行いやすかった。だが今回は逆だ)
地理に戦力に兵科構成。ありとあらゆる情報が不足していた。それが如何に不利であるかはクローディーヌも十分に理解している。
(それでも俺がいれば大丈夫って考えているのか?そいつは買いかぶりすぎだろ)
クローディーヌの瞳に迷いはない。すでに心は決まっているのだ。仲間を守り、英雄になる。その意志に変わりはないだろう。
だがそのピースに俺を組み込んでいるのは致命的だ。己が信念は自らで貫かなければならないのだから。
「あのね……アルベール。私……」
「団長、そろそろ冷えてきました。テントに戻りましょう」
俺は彼女の言葉を遮るように言う。彼女は「そうね」と言って立ち上がった。
俺も立ち上がり、その背中を見送る。
信頼という言葉は聞こえがいい。しかしそれは依存と表裏一体だ。そして虚構にもたれかかれば、待っているのは倒れて朽ちることだけだ。
俺は再び空を見上げる。
星が輝いていた。
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