第89話 心の闇

 






 ガタゴトと揺れる。アルベールは不意に自分の頭が何かにぶつかった痛みで目を覚ました。


「こ、ここは……」


 周囲には血なまぐさい鎧に武器が大量に置かれている。それと、わずかばかりの軍用食があった。


(これは……補給用の荷馬車……。そうか。無事に退却はできたみたいだな)


 アルベールは立ち上がろうとするも上手く力が入らずすぐにまた尻餅をついてしまう。自分の状態を鑑みて、ここは大人しくしていた方が良さそうであった。


「ん?」


 アルベールは自分の脇で、クローディーヌがすやすやと寝入っているのを見つける。彼女も秘術を使い切り、疲れ果てて眠っているようだ。


(この様子だと、撤退時に秘術は撃てたようだな。こののんびりとした進み方が、何よりの証拠だ)


 アルベールが当初考えていた作戦を、クローディーヌも理解したのだろう。この平原で一度大きな秘術を撃てば、帝国軍に大きな被害を与えられる。仮に与えられなくても、その一撃の威力で敵が恐れるのは間違いない。隠れるものも何もない平原で、帝国兵が進軍できなくなるのは間違いなかった。


(威嚇には十分すぎる威力だ。なんとか生き延びることができたな)


 アルベールがそんなことを考えていると、揺れた衝撃でクローディーヌがアルベールの方に寄りかかってくる。


「おっと」

「………」


 クローディーヌは完全に寝入っており、まったく動かない。アルベールは「しょうがない」と自分の肩に寄りかからせたまま、後ろの荷物によりかかった。


 すー。すー。


 クローディーヌの寝息が聞こえる。アルベールはそっと彼女の首あたりを見た。


「……………」


 アルベールは自分の指を側にあった剣で切り、わずかばかりの血を流した。そしてその血を、クローディーヌの首元に垂らしていく。


「……………」


 すー。すー。


 クローディーヌに起きる気配はない。まるで親の膝元で寝る子供のように、安心しきった顔で寝ていた。その顔は美しく、同時に庇護したくなるような弱さも抱えていた。


 今、わずかばかりでも術式を起動すれば、彼女はなすすべもなくその命を落とすだろう。英雄であろうと、構えていなければ関係はない。人に限らず、生物が命を落とすとき、大抵は注意不足だ。


「…………」


 アルベールはただじっと彼女をみつめる。ガタゴトと馬車が揺れていた。


「…………アルベール」

「……っ」


 クローディーヌが寝言を発する。アルベールは大きく深呼吸をした。


 アルベールはただ黙ったまま、そっとクローディーヌの首元を自分のポケットに入れてあるハンカチで拭き取った。


 優しく、ゆっくりと。












「ほんと今回ばかりは死ぬかと思ったぜ」

「まったく。一体いつになったら一息つけるのか」


 皆疲れた顔をしているが、楽しそうに笑っている。それもそうだ。あれだけの窮地を、脱することができたのだから。


「……チッ」


 フェルナンは団員の様子を見ながら収まりのつかない感情をもてあましていた。


 団長が一人取り残されたとき、自分は帰ってくることを待つという選択をした。それは間違ってはいなかっただろう。疲労が既にたまっている自分にできることなどほとんどなかった。


 しかし気を失いながらも彼女を連れて帰還したあの男を見た時、フェルナンはどうしようもないほどに自己嫌悪に陥った。


(アルベール・グラニエ……)


 入ってきた当時から、彼のことは評価してはいなかった。多少作戦が立てられるが、戦闘能力はない。女性にもモテなければ、見た目も地味。何より平民の出身で、出世など見込まれているはずもない人材であった。今は上司だが、それも運と年齢によるもの。いずれは追い越せると高をくくっていた。


 だが現実は違った。


 はじめて東和人と戦うとき、彼の言葉に気圧された自分がいた。気付けば自分よりずっと勲功をあげていた。そして二度も、英雄クローディーヌ・ランベールを救っていた。


 そしてあの日、バーであっさりと打ち負かされた時、自分は手も足も出なかった。確かに酔ってはいたが、あれはそういうレベルですらなかった。


 思い返せば、自分が副長を兼務していたときは負けてばかりだった。もっともあのときはクローディーヌも団員も、碌に戦力になってはいなかったわけだが……。


(今回の勲功報告、俺は一体何位なのだろうか……)


 フェルナンの頭には帰ってからの評価についてのことしか残されてはいなかった。傷ついた仲間も、今の生を喜ぶことも。


 彼は既に、戦いの目的を見失っていた。















「どうやら第七騎士団は敵を撃破。味方を救出した上に、無事帰還してくるみたいですね」

「フンッ!所詮あの賢知将軍とかいう男も大した腕ではなかったみたいだな」


 司法長官の報告に、将軍と最高神官は一切隠す様子もなく苛立ちを露わにする。味方の生還報告に対してこの態度である。端から見れば、敵にしてやられたあとの軍部のようであった。


(少なくとも勝利した後の陣営ではないな)


 司法長官はただ黙って二人の様子をうかがう。権限こそあれ、あくまで下にいるのは法学者と審判員達だ。実動部隊……、実質的な暴力組織をもつ軍部と聖職者達にはとても楯突けるものではなかった。


「しかし、どうしますかね。今回も勝利し、あまつさえ味方部隊の救出まで成功させているとなると、もう影響力が無視できない状態まできます」


 さも当然のように言う最高神官。長官はもう気にすることも馬鹿らしくなってきた。


「もうあのアウレールとかいう男はあてにならん。……だが、使い道はある」


 将軍が言う。神官は「というと?」と聞き返した。


「あの小娘を本格的に賢知将軍にぶつける。それも情報を流した上でだ」

「ふむ」

「流石に第七騎士団の生存は絶望的だろう。しかし敵にも相当数の被害が出る。そこを王国の主力部隊が叩く。餌に食いついた敵を蹴散らすのは、難しいことではない」

「なるほど。第七騎士団を囮に使うのは悪くない考えですが……彼女達はなかなかにしぶといですからね」

「まて。まだ続きがある」


 将軍はにやりと笑って続ける。


「先日、ローヌ家とかいう下級貴族からお家昇進の申請があった。見るに堪えない欲深い家族だが、どうやらそこの倅が第七騎士団の一隊長をしているらしい」

「ほう……これは使えそうですな」


 神官と将軍はにやりと笑みを浮かべる。司法長官はその膨れ上がる闇に、ただただ傍観するほかなかった。








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