第90話 何者

 








「もうっ。ドロテもレリアも皆して……」


 戦場からの帰還後、アルベール・グラニエが体調を崩して軍務を休むと報告があったのは二日後のことだった。


 相当な疲労が溜まっていたのだろう。それに帰還直後に無理して報告書を完成させて、軍部に届けていたそうだ。控えがクローディーヌの元にも届いている。しかしその報告書と共に休暇届も入れられていた。


「でも、どうしよう……ここまで来たけど……」


 クローディーヌも世間知らずではあるが、一端の女性である。もうすぐ22にもなる。女性が男性の家を訪ねる事への抵抗も、そしてある種の高揚も、理解していないわけではなかった。


(だから、皆でお見舞いに行こうって言ったのに……)


 クローディーヌがそう言ってもドロテ隊の面々(主にレリアとドロテだが)は楽しそうに笑うだけで一緒に行こうとはしなかった。それでいてクローディーヌが行くのを躊躇うと『団長の義務です』なんて言ったりもしていた。それで半分強制的に、クローディーヌは一人で見舞うことになったのである。


(フェルナン隊長は家族の元へ一時帰郷してしまわれたし、今日はドロテ隊の皆しか一緒にいなかったし……)


 あれこれ考えているうちに既にかなり時間が経ってしまっている。しかしその時、不意に後ろから声をかけられる。


「クローディーヌさん?」

「え?」


 振り返ると白いワンピースに赤いリボンをつけた女性、マリーがいた。


「どうしたんですか?こんなところで?」

「あ、いえ、あの。副長のお見舞いに……」

「そうだったんですね。じゃあ一緒に行きましょう。私も用事があったので」


 マリーは営業スマイルを浮かべながら、歩み出る。しかしドアに鍵がかかっており入ることはできなかった。


 クローディーヌは残念なようなほっとしたようなといった様子だったが、マリーが躊躇わずノックする。


「いるんでしょ?開けなさいよ!」

「マリーさん。ちょっと強引では……」

「大丈夫よ。こうでもしないとあいつ出てこないから」


 マリーはそう言って、さらに強くノックをする。しかしいっこうに返事はなかった。


 クローディーヌはマリーと彼がどのような間柄なのか考える。前にもあったときに思ったが、彼女の話しぶりから、相当二人は仲が良いように思われた。


「クローディーヌさん?」


 マリーが黙っているクローディーヌに声をかける。クローディーヌは不意に声をかけられ慌てて、返答した。


「……あっ、えっと。そうですね。入りましょう!」

「え、あ。そういうことじゃ……」


 クローディーヌは気が動転していた。そしてそのまま鍵のかかったドアノブに手をかける。


 ガキッ。


 何かが外れる音とともにドアが開く。余程老朽化していたのだろう。宿舎のドアは簡単に開いてしまった。もっとも、彼女の力でなければ、開くことはなかっただろうが。


「クローディーヌさん。ちょっと強引では……」

「ち、違うんです!」


 クローディーヌは必死に弁解する。すると部屋の中からかすかに寝息が聞こえてきた。


「……寝てるみたいね」

「……寝てるみたいですね」


 二人は顔を見合わせる。そして、ここにいてもしょうがないからと部屋に入ることにした。











「あまり良くないことですが、一人で暮らしているのに何かあったら監督責任ですから……」


 クローディーヌはどこか言い訳じみたようにそういいながら、お見舞いの品を彼の机の上に置く。


 彼の部屋は相変わらず物が少ない。ベッドと机、そして椅子。机の上にはいくらかの書類とインクに羽ペン。羽ペンは比較的新しく、さほど摩耗してはいなかった。


 ベッドの脇には鎧と剣、それとマティアス団長に作ってもらったであろうライフル銃がある。今でも訓練は続けているが、彼はもう半ば剣に見切りを付けているのだろう。それで銃でなんとかしようとしているのだ。


「とはいえ、相変わらずあまり物がないですね」

「えっ?」


 クローディーヌの何気ない言葉にマリーが反応する。


「クローディーヌさん、前にも来たことが?」

「はい。確か東和との戦いの合間の休暇に、入れてもらいました」

「……そう」


 マリーはそう言って再びアルベールの方に向き直る。彼に布団をかけ直してあげるか何かしているのだろう。しかしアルベールは寝相良く寝ており、実質的にマリーは手持ち無沙汰になっていた。


(あれ?ひょっとしてマリーさん……)


 クローディーヌの中で、少しばかりの優越感が生まれる。同時に、いくらかの安心感も。


 一方でマリーは自分が動揺しているのに気付かれていると感じ、内心でかなり焦っていた。


 マリーは何かできることはないかと周りを見る。部屋の片付けや食事の準備等をすることを想定していたが、物が少ないこの部屋で、当の本人が寝ているのでは特にやることもなかった。


「あれ?」


 マリーはそんな中机の上にある紙に視線を向ける。それは赤黒いインクで書かれた報告書のようなものだった。


「これは……」

「マリーさん、流石に勝手には」

「大丈夫よ。こんな風に置いてあるわけだし」


 マリーが書類をめくっていく。クローディーヌもおそるおそる脇から見た。


「これは確か、前に言っていた……」

「何か言っていたの?」

「はい。確か報告書形式で書いた自分の日記だって……」

「ふーん」


 マリーとクローディーヌはそう話しながら中を見ていく。悪いことだと分かりつつも、好奇心に抗えなかった。


(『一人だけの防衛戦』『地獄にも花は咲く』……色々な題名をつけているのね。日記というより物語に近いかしら)


「……随分と仲よさげね」


 マリーが少しばかり機嫌が悪そうに言う。日記の中でかなり部隊のことに触れていた。アルベールがどう思っているかまでもだ。クローディーヌも自分たちのことが結構好意的に書かれていることにうれしく思う部分があった。


 クローディーヌはつい少しだけ意地悪に返答する。


「そうですね。思ったよりは評価されていました」

「……言うわね」

「ええ」


 二人は睨み合うように互いを見る。そして少しして「クスッ」と笑い出した。


「ふふふ。こっちの方がずっといいわ。気楽だし」

「そうですね」

「私のことはマリーで良いわ」

「では私もクローディーヌで」

「いいの?貴方仮にも英雄よ?」

「いいんです。マリーさん……いえ、マリーとは一人の個人として接したいので」


 二人はそう言って楽しそうに笑う。


(あれ?でもこの日記、何か変な感じがする。それにどこか前に感じた何かがあるような)


 クローディーヌはそんな違和感を覚えながら、マリーと話を続ける。


 そうやって少しした頃だろうか。後ろの人影が動き出した。


「動くな!」

「「っ!?」」


 振り返ると短銃とナイフを構えたアルベールがそれぞれに武器を突きつけていた。既に臨戦態勢であり、クローディーヌをして危険を感じた。


 アルベールは二人だと分かると、大きく息をはく。


「寝起きにびっくりさせやがって……。お前ら不法侵入だぞ?」

「私はやめた方が良いって言ったのよ?でもクローディーヌが鍵を壊して……ねえ?」

「……え?あ、いや」

「いつの間にか随分と仲の良いことで」


 アルベールは武器をしまい、ベッドに座る。彼はいつものように欠伸をしていた。


 マリーはそんなアルベールに文句を言っている。『心配かけるな』とか『無茶をするな』など。どれももっともなことだ。


(何か……おかしい)


 アルベールとマリーがお互いに言い合っている。それは微笑ましい日常のようであるが、クローディーヌには一度生まれた言い表せぬ何かがずっと残っていた。


 気付かぬうちに、アルベールに何か異変が起きたのだろうか。それとも、これからの戦いに迫る何かを、英雄の勘により予言していたのだろうか。


 アルベールはいつも通りヘラヘラとした様子で笑っている。しかし、彼がどこか遠くに行ってしまう。クローディーヌはそんな気がした。


「……寒い」

「ん?今日はかなり暖かい方だが……。クローディーヌ団長の方こそ熱でもあるんじゃないか?」

「私、送って帰るわ。あんたは寝てなさい」

「おいおい。それは男として……」

「いい!分かった?」

「……ハイ」


 クローディーヌはマリーに連れられて家路につく。


 しかしその悪寒が消えることはなかった。


















「進め!第七騎士団が作った好機。今こそ我らで武勲を立てるのだ!」

「賢知将軍は負傷したそうだ。ならばこの第九騎士団で帝都まで進軍してやるわ!」


 王国軍が血気盛んに攻撃する。既に都市を幾つか攻略しており、今は乗りに乗っていた。それもそのはず、第七騎士団が戦っている間に他の部隊はしっかり休み、補給をとれたのだ。ある意味万全で戦えているのである。一方で帝国軍は第七騎士団に受けた損害で立て直すのがやっとである。


 補給のとれている部隊は強い。多少戦術に粗があっても、そのまま勝利できるほどに。それに部隊の士気も高い。今ならどの部隊にも勝てるだろう。


「行け、このまま……」

「ん?どうしました、団長……ヒィッ!く、首がっ!」


 この男が相手でなければ。


「さて、始めるとしようか」


 男がそう言うと、また一人、また一人と倒れていく。そしてそれは加速し、瞬く間に一部隊が壊滅した。


「ヒィッ!たすけ……」


 銃声が響く。その散弾銃は王国兵を一瞬にして消し飛ばした。


「このままでは全て終わらせるのに一時間かかってしまう。どうせならこんなちんけな銃ではなく、大砲の一つでも担いでくればよかったな」


 もっともその散弾銃は重さ・衝撃ともに、大男三人でようやく使える特注品であることは誰も知らない。使っている、当人すらも。


 当人は気にもせず、その銃を玩具のようにふりまわすのだから。


「まったく、もう少しまとまってくれればいいものを」


 死闘将軍ベルンハルトは銃をくるくる回しながら、ゆっくりとその地を踏みしめる。


 その日、第九騎士団は全滅した。





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