第80話 騎士である前に
「……クソッ」
とある王都の酒場、そこにフェルナン・デ・ローヌはいた。
イマイチ女性の反応が良くなかったり、賭けに負けたりしたり、何か上手くいかなかったとき彼はきまってここに来ていた。
しかし今日の憤りは決して賭けによるものでも女性絡みでもなかった。
「ふざけやがって……。誰のお陰で家の名が保たれていると思っているんだ」
帝国軍との初戦を終え、勝利の喜びで意気揚々と帰ったフェルナンに待っていたのは、親族の落胆した顔であった。
『なんだ。今回は勲功第六位か』
開口一番、挨拶よりも先に言われたその言葉はフェルナンの予想とはかなり異なっていた。
帝国軍を撃退したその主力に加わっていたのだ。フェルナンは鼻高々に実家へと戻ったつもりであった。確かに今回は第五騎士団の方に勲功が多くあったが、それでも当然ねぎらいの言葉が待っていると思っていた。
「マスター、もう一杯!」
フェルナンは酒を一気に飲み干し、代わりを注文する。アルベールが行くような安居酒屋とは違い、ここは王都でも比較的ランクの高い酒場である。当然そんな粗野な振る舞いは自然と目についてしまっていた。
「なんだアイツは?」
「軍人崩れか」
「どこの低級貴族だ」
「やだやだ。これだから戦争屋は野蛮だわ」
わざと聞こえるように話される悪口はフェルナンの気分を害していく。いつもなら気にもしなかっただろう。しかし今日はやけに耳障りであった。
(クソッ。どいつもこいつも命を張りもしないくせに)
フェルナンは出された酒をグビグビと飲んでいく。しかし酒をどれだけ飲んでもいつものようには酔えなかった。
フェルナンはとある貴族の三男坊である。貴族といっても実際のところ、位は下から数えた方が早いくらいであり、自らの領地をもつような貴族ではない。
下級貴族が王都で暮らすには上手く立ち回らなければならない。したがってローヌ家のやることはいつも他の貴族に媚びへつらうことであった。
父はいつもペコペコしていた。そのくせ自分より立場の低い人間には高圧的であった。一番上の兄は父のその特徴をきれいに学んでいた。その姿はまるで同じ生き物が二人いるようでもあった。
二番目の兄は遠い辺境の貴族へ婿入りした。どうやら向こうは跡継ぎが生まれなかったらしい。それに王都とのパイプ作りも目的にあった。理由はどうあれ、領地をもてるようになったことを両親は喜んだ。
向こうの家も馬鹿だ。こんな家じゃ中央へのパイプはおろか、名が落ちるばかりだというのに。
此方の家は更に馬鹿だ。こんな家の次男坊をもらうような家が、まともな領地を治めているはずがない。領主とは名ばかりの村長レベルだろう。分相応という意味ではお似合いかもしれない。
そんな家が嫌で、フェルナンは軍人になった。軍人になれば英雄になれる。そうすれば地位も貴族も関係ない。その実力で彼等を見返すことができる。そう信じて。
軍に入ると家族に言ったとき、彼等は皆フェルナンを馬鹿にした。命をかけて戦うなんて馬鹿らしいと。それこそ下民のすることであると。
しかしどうだ。東和との戦いで凱旋してみれば、まるで愛する家族のように出迎えてきた。そんな意地汚い家族も、誉められてどこか誇らしく思う自分も、フェルナンは嫌いだった。
「クソッ」
フェルナンは再び机を叩く。形容しがたい怒りが自分の中で渦巻いていた。自分は命をかけてまで、一体に何を守ってきたのか。自分の誇りか、家族への優越感か。少なくとも、国民の命でないことは確かだった。
(あんな連中、皆死んでしまえば良かったんだ)
フェルナンは勘定をすませ、店を出て行こうとする。しかし店を出る際に、不意に聞こえた声がいけなかった。
「これだから成り上がりの下民は困る」。その言葉が聞こえた瞬間に、フェルナンはその拳を振り上げていた。
「はーい、ちょっと通りますね」
「なっ!?」
フェルナンは不意に服を引っ張られ、そのまま店から出て行く。引っ張った主はどこか気の抜けた様子の副長であった。
「なんだ?副長か。一体なにを……ぐふっ」
アルベールの腰の入った拳がフェルナンの腹に入る。身体の中の空気が一気に失われた気がした。
「顔は遠慮してやる。良かったなイケメンで」
「ふざける……なっ!」
フェルナンは一気に頭に血が上り、拳を振り上げる。
しかしそれが当たることはなかった。
「クソッ。クソッ!」
「流石に俺でも酔っ払いの拳は当たらないさ」
アルベールが掌底を顎に打ち込む。大して力は入れていないが、それでも脳を揺らすには十分だった。
フェルナンはゆっくりと膝を折った。
「今日のことは黙っておいてやる。ちゃんと明日には兵営所に来るように」
アルベールはそうとだけ言って去っていく。フェルナンは追う力など残ってはいなかった。
「クソッ……」
フェルナンはそのまま意識を失った。従者が迎えに来たことで、すぐに屋敷へと連れ帰られ、その日は事なきことを得ていた。
次の日には多少頭も冷えていた。あそこで一般人を殴っていたら、軍籍は間違いなく剥奪だっただろう。騎士道に大きく反している人間を、王国は騎士団にいれてはおかない。
その意味では事なきことを得た。フェルナンは何一つ失わなくて済んだのだ。
あくまで、表面上においては、であったが。
「それでは帝国評議会の賛成多数において、賢知将軍アウレールの出陣を命ずる」
「はっ」
アウレールは敬礼し、回れ右をして議会を後にする。
昨日、返事が届いた。相変わらず馬鹿な連中だ。文字そのままに送ってきている。普通は多少暗号化をするものの、王国にはそんな技術はないらしい。
「これで全てが私のものに……」
アウレールはにやりと笑い、すぐにまたいつもの冷静な表情に戻る。
戦いは終わらない。そこに欲望がある限り。
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