第73話 帝国の事情

 







「ほう。南方面で亡者兵の反応が消えたか」


 カサンドラは届いた書状を受け取りながらつぶやく。そしてその伝書鳥にいくらかの餌を与え、受け取りの合図として紐だけを足に括り付けてやると、そのまままた空へ帰した。


「将軍、それは?」

「連絡通知だ。知らんのか、ルイーゼ?」

「……すいません」

「まったく、魔術師も変わってしまったものだ」


 カサンドラは嘆くように言う。ルイーゼは少し気まずそうに頭をかいた。


 無論ルイーゼが知らないのは連絡通知そのものではない。伝書鳥をもちいた魔術暗号文の方である。現在は無線機での通信が主になり、こうした連絡手段は用いられなくなった。


 しかし魔術によって細工された暗号文は帝国の人間、場合によっては特定の魔術を使える人間にしか解読できないものである。そのため秘密保持の観点からは今も十分に役立っている。


「移動するぞ、小娘」

「はい」


 カサンドラはルイーゼにそう言うと再び装甲車にのりこむ。


「このような文明の利器に頼っている以上は、儂もとやかくは言えんか」


 嘆きともとれるその言葉は、誰の耳にも入ることはなかった。













「どうして助けたの?」


 ドロテがグスタフに尋ねる。


「美女が窮地だったから、かな」

「口説き文句としては落第ね」


 ドロテは呆れたように返す。早くに気付けばよかった。彼の口説き文句や話し方は、どこか王国の人間とは異なるところが多くある。いくらか無骨で実直すぎる。ドロテは振り返ってみてそう思った。


 もっともそれはあくまで後知恵の論理であり彼女は最後の最後まで彼がスパイとは気づかなかったのだが。


「……嘘だ」


 グスタフが続ける。


「本当は、お前と知って助けた」

「……そう」


 グスタフの言葉に、ドロテはそう返すのが精一杯であった。


「ここにいては雨に濡れる。近くに村があるからそこで休もう」


 ドロテは言われるがままに、グスタフについていく。


「ねえ」


 ドロテが質問する。


「どうしてここに?脱走して帝国に逃げたんじゃ」

「確かにそのつもりだ。だが、帝国も安全ではないと判断した。だからここにいる」

「帝国が安全じゃない?どういうこと?」

「敵は内にあり。ってことだな」


 ドロテはいまいちよくわからないまま、話を続ける。


「でもよくここに潜伏できたわね。ここは一応中立地帯だけど、それこそ王国の兵士も多く通るだろうし」

「それは問題ない」


 グスタフがそう言って続ける。


「ここは俺の故郷の村だからな。……ほら、見えてきた」


 グスタフが指さす方向に村が見える。小規模な村落だが、身を隠すにはちょうど良かった。


「さあ、こっちだ」


 グスタフが案内しようとすると、ドロテが足をとめる。「信じていいのか」。ドロテの表情からはその疑念が見て取れた。


「無条件に信じろとは言わない。だが、あんたがいなかったら俺は間違いなく王都で死んでいた。その恩にはこたえる」

「…………」

「それに……」


 グスタフが続ける。


「あんたには生きていてほしい。これは軍人としてじゃなく、俺個人の願いだ」

「………」


 しばらくの沈黙。そしておもむろにドロテが自分の装備を外しはじめた。


「どうして?」


 グスタフが尋ねる。ドロテは小さく笑って答える。


「軽装備とはいえ、防具を付けた王国軍が来たら警戒させてしまうでしょう?」

「っ⁉……ああ。そうだな」


 グスタフはほっとしたように笑う。そこには帝国の軍人らしい厳格さも存在しなかった。


 ドロテもついつられて笑みを浮かべる。


 そして二人はその小さな村へと入っていった。










「急に銃なんかもって飛び出していったから何かと思ったら、こんな綺麗な人連れてきて。それに何かい、王国の貴族様だっていうじゃないか」

「ねえねえあんた。あんな男のどこがいいんだい?あんた程の美人じゃ男なんて選びたい放題だろうに」

「わー。お姉さんの髪すっごく綺麗!」

「母さんに叔母さんたちも。あんまり一気に押しかけるなよ。彼女も困ってるだろ」


 グスタフの故郷、ケルン村。そこで待っていたのは村人たちの熱烈な歓迎であった。


 一応帝国側の村ではあるが、王国に近いこの村は言葉づかいがかなり王国に近い。そのためその王国なまりの帝国語は、かなりの部分ドロテにも理解できた。


「しっかしあんたも普段はろくに畑仕事もしないのに。猟の時ばかり張り切って。でも今日のはそれ以上に真剣だったね」

「おおかた美人が見えたからだろ?グスタフは昔から目だけは良かったからねえ」

「すっごいんだよ!お兄ちゃん、空を飛ぶ鳥だって撃ち落とせるの」

「こら。はしゃぎまわらない」


 グスタフははしゃぐ女の子を抱きかかえる。兄妹ではなさそうだが、この小さい村では皆が家族みたいなものなのだろう。ドロテはそう解釈した。


「ほら、だいぶ髪も乾いたよ」

「あ、ありがとうございます」


 ドロテは押され気味なまま礼を言う。村についたとたん、有無を言わさず着替えを渡され、それが終わると椅子に座らされ、髪を拭き、とかしてもらっていた。


「こんなにしてもらってしまって……」

「あら、やだ。王国の貴族の方なのにずいぶんと謙虚で。グスタフにはもったいないねえ」

「だから母さん。そんな関係じゃないって」


 思いもよらない一面に、ドロテもつい笑みがこぼれる。グスタフばかりが疲れたような顔をしていた。


「……いい村ですね」


 ドロテがつぶやく。


「そうかい?前の将軍が生きていたころはもっと賑わっていて良かったんだけどね」

「前の将軍?」

「フレドリック将軍さ。あの人の妻が、この村の出身だったんだ」


 グスタフの母親が話を続ける。


「私よりも少し年上で、よく面倒を見てくれてた。それである時まだ当時そんなに位も高くなかった将軍に見初められて、結婚して。早くに病で亡くなったんだけど、最後まで愛されてて幸せそうだった」

「……そうですか」


 ドロテが少し寂しそうに答える。


「あなたが気にすることじゃないよ。それにお子さんも一人いたみたいだし、将軍も新しく妻を迎えてもいなかったみたいだからね。帝国じゃ珍しいよ」


 グスタフの母がにかっと笑う。その笑顔にドロテはほっとした。


「でも、前の将軍ということは、今は……」

「ああ。前の戦争で亡くなってね。しばらくは将軍の座は空いていたんだけど、5年前くらいからあの若造がその座についてね。思い出すだけで腹立たしい」

「若造?」

「アウレール将軍よ。聞いたことあるんじゃないかしら」


 ドロテは頷く。四将軍の一人、賢知将軍アウレールだ。


「あの若造、しれっとこのあたりの村からも税を取り立てるようになって。しかも聞くところによると帝国の財布じゃなくて自分の懐にいれているみたいじゃないか」

「母さん、あまり言うと不敬罪で捕まるよ」

「あんたもあんたさ。あんな将軍の下の部隊に入って」

「だから俺が入隊したときは将軍の部隊じゃなかったんだって」


 グスタフたちのやりとりに、ドロテは完全に押されていた。これは帝国の風土柄というより、田舎の風土に近いだろう。遠征で出た時の王国の村も、はたから見るとこんな感じではあった。


「まあ、もう今日は遅いからうちに泊まりな。……グスタフ、結婚前に手を出すんじゃないよ」

「だからそんなんじゃないって」

「ばいばい!」


 少女を含め、母親たちも帰っていく。部屋には二人だけが残された。


「楽しそうな家族ね」

「まあな」


 グスタフはどこか恥ずかし気に、そしてどこか嬉しそうに笑った。この表情が本当の彼なのだろう。ドロテはそう感じていた。







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