第68話 報告:軍靴の音が聞こえる

 



ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。



「でさー」

「なんだよ、本当かよ」


 帝国軍前線第五駐屯地。そこはベルンハルト指揮下のとある部隊が駐屯している拠点であった。


 王国との国境に近いその場所では主に王国軍に対する牽制砲撃を行う部隊が集っている。その多くは砲兵であり、主に遠距離からの攻撃を主任務としている。現在最前線部隊はカサンドラ将軍率いる魔術機甲部隊が担当しており、前線とはいえど彼等には多少なりとも笑う余裕があった。


「それでよ、あいつったら……」

「お、おい。見ろ!」


 一人が気付いたのか直立不動に立ち、敬礼する。他の兵士達も其方の方を見ると慌てて立ち上がり敬礼した。


「ご苦労」


 ただ一言、そう言って略式の敬礼をする男はそのまま歩き去っていく。そしてその後ろを屈強な護衛達がついていた。


 兵士達は畏怖からかなかなか敬礼をやめることができない。今通った隻眼の男、それこそが死闘将軍ベルンハルトそのものであった。


「おい、お前ら今の見たか」

「逆にどうやったら見ないでいれるのか教えてくれ。とんでもない圧力だ」


 兵士達がベルンハルトの姿に、それぞれ息をもらす。ただ一人の人間をみただけだが、まるで何か人知を超えたものをみるような様子であった。


 それも仕方のないことだろう。先の大戦、そして最近では西から来たバイキングとの戦い、その戦争の中で鬼神のごとき働きをしたのが彼なのだ。


 帝国軍は基本的に組織で戦う。秘術といった突出した力を生み出せる技を使わず、科学技術で戦うのだから当然と言えば当然だ。しかしベルンハルトはその限りではない。武器を担ぎ、堂々と敵陣を食い破っていく。彼が下がるのはその武器を使い切ったときだけだ。


 その強さは神とまで崇められている。それもそうだ。かつては傷ついていたとはいえ一万の将兵が犠牲になったあの英雄さえも屠ったのだから。


「でも、なんで将軍がこんなところに?前線はカサンドラ将軍が引き受けたんじゃ……」

「あの人の考えることが俺達に分かるもんか。俺達の上司ではあるが、はるか雲の上の存在だ。今までその指示を理解できたことはない。だが、失敗したのを見たこともないがな」

「あの人の考えに追いつく人間なんているのか?他の将軍とは違って、副官もつけていないし」

「だが俺が聞いた話によると前は副官がいたらしい。以前、師団長殿が将軍に副官をつけないのかと聞いたところ、そんな話をしたそうだ」

「師団長殿とはいえ、良く聞けたもんだ。将軍は決して理不尽に怒ったりなどしない。それは軍団の兵士なら分かってはいるが、普通あまりに恐ろしくて話しかけられないからな」

「俺、ひょっとしたら声かけられただけでちびっちまうかもしれねえ」


 兵士達はベルンハルトの話を続けている。彼の噂は幾千と存在するが、その強さを疑う者はいない。疑いようがない。彼が残した戦場での功績、そしてその姿がそれをさせなかった。


 それが彼、ベルンハルトという人間をよく象徴していた。















「帝国軍は前線に魔術部隊を置いて戦うみたいだね」


 いつもの安食堂。俺は定期的な情報交換としてマリーと共に食事をとっていた。


「でも東和との戦いが終わったばかりで傷もそんなに癒えていないのに、大丈夫なの?」


 マリーが少し心配そうに聞いてくる。


「ん?まあ大丈夫だろ」

「……心配して損した」


 マリーはテーブルの下で軽く俺の脛を蹴る。地味に痛いが、今はそれどころではなかった。考えなければならないことが山ほどあるのだ。


 だが俺が痛がるそぶりを見せなかったことで、マリーの方も何かを察して少しばかり表情が変わった。


「ねえ、死なないよね?」

「やめろよ、縁起でもない」


 マリーが少し弱々しい声で聞いてくる。そんな風に言われると、本格的に命をおとしてしまいそうだ。まあ彼女がそう心配する気持ちも分からないわけではない。


 先陣を切った第三騎士団は先の東和との戦いで消耗が少なかった数少ない部隊であった。他の部隊、とりわけ十二騎士団はほとんどが大損害を出している。すぐに出陣することは不可能だ。もっともある二部隊を除けばだが。


「第五騎士団、そして第七騎士団だけがほとんと完全なまま残っている」

「出陣は確実って事だね……」


 マリーは再び弱々しい声で言う。マリーは気が強い割に、どこか心配しすぎるきらいもある。多少戦争に行くからといって、必ずしも死ぬわけではない。案外多く生き残ったりもする。


 それに、何より俺は死ぬつもりはない。なんとしても生き延びるつもりだ。死ぬことに何の価値もない。


 だが俺が気にしていることはまた別の所にある。


(今回はちっとばかし面倒だな)


 俺は黙々と食事をとりながら、机に広げた小さめの地図を見る。今丁度最前線となっているのは、王国と帝国領域の境界線であった。


(今までは防衛戦、それに地の利があっての戦いだった。それに敵から身を守るという分かりやすい目標もあった。だが今度はどうだ?)


 今回の戦いは、些細なきっかけで始まったが、それ故に戦いの目的があまりにも欠けていた。何をすれば勝ちなのか、それがはっきりしていない。そしてそれは帝国にも言えたことだった。


(戦いが泥沼化すれば、そこには誰も得しない地獄が待っている。戦いは始めるのは簡単だが、終えるのは難しい)

 

「やれやれ、どうしてこうなるかね」


 俺は椅子にもたれかかるように座る。いつもはがっつくように食べているこの飯も、今日に至ってはあんまり味が分からなかった。


 するとそこに、いくらかの足音が近づいてくる。軍人はその足の運びに特徴が出てしまうのだろう。すぐに騎士団の人間だと分かった。


「失礼します。副長、召集命令です」

「理由は?」

「至急第七騎士団に前線へ赴いて欲しいとのこと。それで団長が全員に緊急招集をかけています」

「そんな軍隊らしいことするのは初めてじゃないか?この団じゃ」


 俺はそんな軽口を叩きながら笑うと席を立つ。そしていつものようにマスターに二人前の食事代を払うと、マリーに「じゃあな」とだけ言って駆け足で店を出る。


 わざわざこの店にまで来るぐらいだ。余程大慌てなのだろう。


 町を駆ける軍靴の音が、静かな夜に響いていた。






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