第二章 適者生存の理

第65話 報告:汚れきった世界の中で

 






「私、アルベールの事もっと知りたいわ」


 その言葉に、俺は目ん玉を丸くする。


 他の団員達も驚いている。当の本人だけが周りの様子にぽかんとしていた。



 それはとある日、世間知らずの英雄様が不用意に放った言葉から始まった。












「団長、次からは不用意な言葉は慎んでください」


 ひとしきり周りの連中をおさめた後、俺はクローディーヌと訓練場にいた。不用意な言葉とは先程彼女が放った言葉だ。驚きすぎて半日任務の疲れも一瞬で忘れてしまった。もっともそれ以上の気苦労を後で抱えることになったが。


「何故?」

「何故ってそりゃ……」

「そりゃあ?」

「男女の仲だって疑われるし、余裕で身体の関係までいっているようにも聞こえますよ」

「へっ?」


 いつもの凜々しい顔がほんの少し、赤みを帯びる。なんだよそういう顔もできんじゃねえか。


 そう思いつつも、俺はいつも通りクールな表情を崩さない。というか崩せない。マリー相手なら多少煽っても脛を蹴られるだけで済むが、彼女を怒らせればどうなるかは分からない。少なくとも俺は、まだ初めて会ったときの一撃を身体が覚えている。


 ちなみに先の言葉は王国でよく使われる口説き文句や、女性側のOKの合図である。他にも「今日は帰したくない」とか「もう少し話さないか」なんて言い方もする……らしい。あくまで伝聞であるから詳細は不明だ。俺は使ったことがない。


「ちょ、なんてことを。女性の前で!破廉恥です!」

「俺からしたら先に言われた側なんですがね」


 ともあれ最近少しであるがこの英雄様のことが分かってきた気がする。いや、そもそもはじめから分かっていたことでもあった。彼女は戦場でこそ英雄だが、日常でも英雄であるわけではないのだ。


 それは普通の……というよりは、少し抜けてさえいる少女である。


「そんなことより、訓練を始めましょう。といっても、今日は勉強に近いけれど」


 俺は「へいへい」と答えながら彼女が用意したものをみる。


 今日もいつものように訓練に付き合わされるだけだが、少しばかり趣が違うところがあった。


(戦術本に秘術や軍部の研究書。他にも帝国語で書かれた書物もある)


 彼女は俺に戦術を学びたいと言ってきた。随分あてにされてしまっているものだ。


 勿論はじめは『期待にはそえない』と断っている。そりゃそうだ。別に俺だって士官学校のエリートコースを出ているわけではない。普通の一般の区分で卒業している。


 一方で彼女は貴族だ。だからこそ戦術や指揮といった分野も士官学校で学んできているはずだ。それに更に学びたいならそこの教官を再び訪ねればいい。英雄が教えを請いに来れば喜んで教授するだろう。


 だが彼女は他に師事するつもりもなく、あくまで俺から話を聞きたいと言った。


「じゃあ、はじめましょう」


 彼女はそう言ってまっすぐ俺の方を見てくる。そうまで真剣にいられては、こちらとしても何もしないわけにはいかなかった。


(まあ、これから帝国と戦争しようって時だ。少しでも生き延びるためには、やっておいたほうがいいか)


 俺はそう思うことにして、視線を彼女へと合わせた。












「団長、はじめに言っておきます」

「何?」


 真剣な表情でこちらを見るクローディーヌ。俺はすこしばかり申し訳なさげに伝える。


「色々資料を持っていただいたみたいですが、今日に関しては此方の戦術教本などは使いません」

「そう。まあ構わないわ」

「というよりは使えないです。その中身について私はあまり詳しくないので」


 クローディーヌがきょとんとした顔で此方を見る。おそらくは俺が戦術理論に通じているとでも思ったのだろうか。しかし俺のこれまでのものは基本的には我流のそれである。


「では何を教えてくれるの?アルベール流の理論?」


 クローディーヌが聞いてくる。


「理論というよりは考え方です」


 俺が続ける。


「団長、まず戦いに必勝の理論なんか存在しません」

「え?」

「勿論『勝利』の定義次第ではありますが、基本的にはないです。それが私の考え方です」


 俺は先程拾っておいた棒を取り出し、地面に書いていく。


「例えば二つの軍があって兵力差が二倍あったとします。では二倍の軍が勝つかと言われるとそうではない。先程の東和との戦いがいい例でしょう」

「はい」

「じゃあ、秘術をもつ我らが全勝していたかというと、そうでもない。なんなら第七騎士団を除けば、我らは途中まで敗色が濃厚でしたから」


 俺はさらに続ける。


「それに少し失礼な言い方ですが、団長だってこれまで全て勝ってきたわけではないですよね。上手くいかない任務だってあった」

「そうね。……でも貴方はどう?」

「?」

「アルベールは、まだ負けてないわよ」


 クローディーヌがどこか頼もしげにこちらを見る。うれしい言葉ではあるが、俺は首を振った。


「それは数が少ないからです。戦いを経験した絶対数が少ないなら、全勝もありえます」


 これは事実だ。4,5連勝はまぐれかもしれないが、80勝20敗はれっきとした実力だ。俺の方も戦いの数が増えたなら負けが出てくるだろう。


 そしてその負けで命を落とすことも。


「つまり私が言いたいのは、『これをすれば大丈夫』という考えが危険だということです」

「成る程。たしかに言いたいことは分かるわ」

「だから何かを信じすぎないようにしてください。戦術を学び、理論を構築するのは大事だと思いますが、逆にそれが足を縛ることもあります。実際に南部戦線では敵の将軍は思い込みや予想を覆すことで勝利を重ね、想定を越えられたことで此方に負けたのです」

「……わかったわ」


 俺はそこまで言うと、もっている木の棒をその辺に放る。正直これ以上言うことも特になかった。むしろ余計なことまで言った気がする。


 自分の事だけを考えるのであれば、ここはわざとらしく理論をひけらかし、自分への信用や崇拝を高めるべきだっただろうか。そうすれば彼女は俺に頼り始め、そのうち依存さえし始める。そうなれば都合はいい。


 ……考えただけで吐き気がする。


(結局俺も中途半端であることに変わらないか)


 俺は何やら真剣に考えているクローディーヌを見る。今の話でそこまで考え込む内容があっただろうか。もっとも考えることは人それぞれで何か言うべきことがあるわけではないが。


 彼女はある意味では純粋、ある意味では世間知らずだ。しかし俺はその世間知らずからくるまっすぐさを時に羨ましく思うこともある。俺やマリーとは明らかに違う、まっすぐものを見る目だ。その瞳に曇りがない。


(この汚すぎる世界の中で、ここまで清廉でいられるならそれもいいか)


 俺はそんな風に思いながら、「あーでもない、こーでもない」と考えているクローディーヌを眺めていた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る