第39話 傷跡







 戦場で戦いのこと以外を考えるべきではない。これはいかなる戦闘行動においても共通の原理だろう。


 邪な考えを持てば、いざという時の判断が鈍る。そしてその判断の遅れは、戦場においては命によって支払わなければならないのだ。


 しかしそれは当人の命とは限らない。











(最悪な目覚めね)


 クローディーヌはメイドのリュシーが起こしに来る前に目を覚ます。この夢を見たときは、だいたい汗で服が体にくっついてくる。非常に不快な目覚めである。


 朝食前にシャワーを浴びてしまおう。クローディーヌはそう考えた。


「クローディーヌ様、おはようございます」

「あら、リュシー。おはよう」


 シャワーに入ろうと支度をしているとリュシーが入ってくる。


「クローディーヌ様、今日はお早いですね。……あ、服の支度ならば私が」

「いいの。別にシャワーに入るだけだから」


 クローディーヌはそう言って自分でタオルや着替えを用意する。別に軍で移動しているときは、自分で自分の身の回りの事はしているのだから別に普通なのだが。


 クローディーヌはシャワー室に入り、汗を流していく。不快だったその感覚は、一気に洗い流されていった。


(でも、こんなに長く戦うようになったのも、彼が来てからね)


 今までは大きな戦闘もなく、それに大して成果も挙げられてもいなかった。それ故に屋敷での生活も長く、リュシーにやってもらうのは当然であった。


 だが今は違う。一ヶ月以上の任務も経験した。戦いに出る頻度も増えた。少しずつ、日常が変わってきているのだ。


「…………」


 クローディーヌは肩越しに背中の傷に触れる。右肩から左脇に抜けて切られているその傷跡は騎士としても、そして英雄としても恥ずべき傷であった。


 シャワーを止める。そしてただ黙って、自らの髪から床へと落ちていく水滴を見つめていた。


 以前、結局彼とこの傷について話せなかった。いや話すまでもなかったのだ。彼はそっと手を取り、従うと言ってくれた。


『本音を話す限り』は、だが。


 クローディーヌは体を拭き、服を着る。彼に話しておこう。自分の恥を、そして自分の本音を。


 じきに最後の決戦が始まるのだから。














「副長、今いいかしら」


 いきなり兵舎を尋ねたからだろうか。寝ぼけ眼でドアを開けたアルベールはクローディーヌを見て固まっている。その少し破れた服は寝間着として使っているのだろうか。クローディーヌにはどこか新鮮であった。


「おい、見ろよ。クローディーヌ団長だ」

「すげえ、本物だよ」

「でも何でアルベールの所に?」

「クソッ、羨ましい!!」


 ここは軍の宿舎であり、一般兵も多く住んでいる。そんな男子寮に普段の軍服とは違う私服の、それも美女が現れれば嫌が応にも目に止まる。


「しっしっ。お前らあっち行ってろ」


 アルベールが野次馬達に帰るように言う。しかし兵士達はやいのやいの言うばかりで一向に散る様子はなかった。


「ああ、もう。じゃあ、入ってください!」

「えっ」


 アルベールがクローディーヌの手を引き、部屋に入れる。それを見た兵士達が怨嗟の声を上げていた。


「まったく、来るなら事前に言ってくださいよ。それに何も休日に来なくても良いでしょう」

「あ……、ごめんなさい」

「見てください外の連中。女に飢えているせいで俺に『地獄に落ちろ』とまで言ってますよ」


 クローディーヌは「本当ね」と言いながら笑う。アルベールは怒る気すら失せたのか、どうぞと言って椅子を引き、茶を用意しはじめた。アルベールの部屋は多少散らかってはいるが、それはクローディーヌの屋敷基準であり、普通ではこれがどうなのかは彼女には分からなかった。


「それで?」

「えっ?」

「どういった御用件で?」


 アルベールが聞いてくる。こんな風に慌ただしくなると思っていなかったので、クローディーヌもどう切り出していいか分からなくなる。


「えっと、その……」

「あ、その前に着替えて良いですか?」

「へっ?」


 アルベールが服を脱ぎだす。


「ちょっ、何を……」

「そりゃ着替えですよ。寝間着なんですから」

「じょ、女性の前ですよ!?」

「貴方が急に尋ねてくるのが悪いのでしょう。それにこっちだって着替えないとそれこそ失礼だ」


 アルベールはそのまま服に着替え、ベッドに座る。椅子は一つしか無く、クローディーヌが使っているので使えない。


「あっ、お茶。こぼさないでくださいね。資料がいくつかあるんで」

「は、はい」


 クローディーヌにお茶を出しているその机も作業机だ。普通は来客などないので、そのためのテーブルなど存在しない。


「これは……?」

「報告書ですよ。明日にでも出そうと思っていたんです」

「二つありますが……こちらのインクは、少し赤みがかっていますね」

「ああ。混ざらないように別けているんです。そっちは報告書の様式を取った俺の日記みたいなものです。……読まないでくださいよ?」


 アルベールにそう言われ、クローディーヌは慌てて目を離す。ちらっと見えたその紙には『英雄は必要か』という表題だけが見えた。


「それで、何の要件だったのですか?」


 アルベールが聞いてくる。クローディーヌは意を決して話すことにした。


「あの、聞いて欲しい話があるの。その、私の、背中の傷のことで……」


 アルベールは黙ってクローディーヌの方を見る。無理に聞こうとは思っていなかったが、話したいというのなら聞いておこう。信頼を得られれば、以降も色々融通がきくかもしれない。


 クローディーヌが話し始める。


「私、初めての任務で、一隊長として参戦して失敗したの。……味方は、全員やられたわ」

「…………」

「それで逃げるときにできた傷がこれ。……騎士の恥よ」


 アルベールは黙って聞き続ける。


「初めての任務で、期待を膨らませて、調子に乗って突出した。士官学校でできたのだから、これぐらい余裕だと。でもあっさり、そんな希望は崩れた」

「…………」

「まだ息をしている仲間もいたのに、私は逃げた。むしろ彼等によって助けられたと言ってもいい。彼等が食い止めてくれたおかげで、私への追っ手は少なかったから」

「…………」

「背中を切られながらも、別の部隊に私は助けられた。そして王国へ帰ったら、待っていたのは叱責ではなく、団長への昇格だったわ。滑稽でしょう?私のせいで彼等は死に、私は生き、あまつさえ出世までしている」


 しばらくの沈黙が続く。クローディーヌの方も何を言うべきなのか決めあぐねている様子であった。


「英雄でもなんでもない、私は……」

「それで?」

「えっ?」


 突如としてアルベールが口を挟む。


「だから何です?」


 アルベールはクローディーヌの言葉を遮るように話す。アルベールは少女のセンチメンタルな部分に付き合うほど紳士でも大人でもなかった。


「死んだ奴は自己責任ですよ」

「そんな……」

「少なくとも貴方は生きた。それで良いじゃないですか」


 アルベールはさも当然の様に言ってのける。あまりにもあっけらかんとした態度にクローディーヌも言葉を失っていた。


「それにですよ」


 アルベールが続ける。


「人は何でもかんでもできるわけじゃない。できる範囲のことを、やればいいんです。死んだ人は、どうせ戻りませんから」


 アルベールはそう言って茶をすする。しかしむせてしまい、咳き込んだ。こういう所でキメきれないのも彼らしい。クローディーヌはそう思った。


「まあでも、守りたいって気持ちは持っていてもいいですよ。是非俺の事も守ってください」

 

 アルベールが言う。クローディーヌはすっかり緊張が解けていた。


「そういうのは普通、男性が女性に言うものではなくて?」

「馬鹿言わないでください。力の差を考えてくださいよ。俺に団長が守れるわけないでしょう」

「……前は夜道は危ないからって」

「ケースバイケースです」


 アルベールは堂々と言い放つ。


 弁の立つ男だ。むしろ弁ばかり立つ男である。クローディーヌは美辞を並べる王国貴族は好きではない。それに実態が伴わないことをよくしっているからだ。


 しかしアルベールの事はそうは思わなかった。彼がそういった人々と違うことは彼女もよく分かっている。


「ただまあ、そういう状況にならないようにする手助けはいくらでもしますよ。窮地に陥らないことに越したことはないですから」


 アルベールはそう言うと、手を差し伸べる。それはいつになく頼もしい手であった。


「送りますよ。外には女に飢えた野獣がたくさんおりますから」


 アルベールは笑いながら言う。クローディーヌもつられて笑みがこぼれた。


 こんな風に笑うこともできたのか。両者はそれぞれ相手を見ながら、そんなことを考えていた。





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