第35話 報告:賢者、愚者そして馬鹿

 






 老将、アナダン。その男は東の大地において英雄と称されるだけの戦績を残した指揮官だった。


 今より数十年ほど前、部族間での争いが絶えなかった東和の地においても、彼は自らの部族を率いて連戦連勝。彼の部族はあくまで少数であったため後にできる統一国のトップとはならなかったが、その功績と武勇を称え首長に厚遇を受けることになる。


 彼は自らの経験と、書物を通して得た知識を駆使してそれを戦場で応用することに長けていた。とりわけそうしたやり方は自らを師と仰いだダドルジも受け継いでゆく。他者の知恵を拝借することで、ダドルジという若き狼もまた、戦勝を重ねていくことができた。


「直感にたよるものは三流、経験に学ぶ者は二流、歴史に学んでこそ一流」。アナダンの根底にある思想である。彼は多くのことを歴史より学ぶことでこれまでの成功があると信じていた。












「ダメです。敵軍は我が隊の渡河のタイミングを狙って確実に攻撃を加えてきます。一方的に攻撃を食らうばかりで、此方の被害ばかりは増えている状況です」

「分かった。全部隊に伝えろ。無理に川を渡る必要はない、ただし川を渡る素振りをして敵に緊張を与え続けろとな」

「はっ」


 部下が頭を下げ、馬を走らせていく。間もなく伝令も伝わるであろう。最後方で位置しながら素早い伝令を送れる東和の馬は指揮官によって必須のものであった。


(情報を素早く伝達できるからこそ、指揮官はその実力を発揮できる。指揮のない部隊などただの烏合の衆、攻撃部隊の餌でしかないからな)


 アナダンは酒を呷りながら戦況を見極めていく。戦いにおいて必要なのは相手の裏をかくことだ。それは歴史が証明している。敵の予想を覆し、動揺を生み出すことで敵はその実力を失う。歴史上の戦いにおいて共通しているポイントだ。


(人間は新しい状況に対して、特に緊急事態においては正しく反応することができない。それ故に奇襲は意味を成し、新戦術は敵を粉砕する)


 だがそれは逆もしかりだ。攻撃が読まれていれば予想を覆されるのは自分側。奇襲を試みた部隊がそれを読まれることで、逆に大敗した例も歴史上に数多く存在する。


 つまりこの戦いは、どちらが相手の考えを上回る事ができるかという戦いであった。


「少しは楽しませてくれよ。王国の名もなき指揮官よ」


 アナダンは小さくそう呟いて、再び酒を呷っていった。













「全部隊につぐ。これより休憩に入れ。少なくともこれより半日は敵の本格的襲撃はない。攻撃する素振りがあっても全てダミーだ。一応一部の人間で大げさに反撃する振りをして、残りの人間は徹底して休め」


 俺はレリアを通じて部隊長やクローディーヌ達に連絡する。全部隊の中心に位置するその簡易の司令部にはわずかな兵士とマティアス、そしてレリアしかいなかった。


「ありがとう。レリアも休んでくれ……って、もう寝ちまってるか」


 簡易に作られた荷馬車のような荷台の上で、俺とレリアは座っている。隣で俺によりかかりながら寝ている彼女は相当疲れたのであろう。その無邪気な寝顔はとても戦場で戦う兵士とは思えなかった。


「可愛らしい寝顔ですね」


 ふと見ると第五騎士団団長のマティアスが此方の方へ歩いてくる。


「おまえ、そういう趣味もあったのか……」

「少女を脇で寝させて、その寝顔をなめ回すように見る貴方ほどではございませんよ」

「言い方が酷すぎるだろ……」


 俺は「まったく」と漏らしながら軽く肩を回す。レリアほどではないが俺も十分に疲れている。戦場にいる兵士の疲労は、それどころではないだろう。


「しかし良かったのですか?半日は攻撃がないなどと言い切ってしまって。もし敵が攻撃してくれば一気に瓦解してしまいますよ?」


 マティアスが聞いてくる。やはりこの男は馬鹿ではない。ただ興味があまりにも銃火器へと向いてしまっているだけなのだ。


「いいんだよ。そうとでも言ってやらないと、ただでさえ責任感の強い人間は休めないからな」


 俺は陣頭で指揮を執っているクローディーヌを思い浮かべながら言う。


「随分と気にかけているのですね。それに評価もしている」

「残念だが、マティアス殿が思うほどではない。それに責任感と言ったが、あれは半分義務感だ。呪いと呼ぶに近い。気にしておかなければ、パンクして戦力として機能しなくなる」

「ふふっ。それに思い入れも強いようだ」


 マティアスは楽しそうに笑う。兵器好きの頭のおかしい奴かと思っていたが、こういう表情もできるのか。俺はそんな風に感じた。


「私も彼女……この団の副長には世話ばかりかけています」

「……でしょうね」

「そこは否定してくださいよ。アルベール殿」

「……自覚してください」

「やれやれ。彼女同様、貴方も手厳しいようだ」


 俺もマティアスも小さく笑う。そしてマティアスが続ける。


「私は兵器の開発、兵士の運用にばかり興味があり、実際の作戦行動にはさして興味がありません。なので実際の任務はほとんど彼女に任せっきりで」

「そうですか」


 正直な所、そういった意味ではクローディーヌも変わらない。クローディーヌも陣頭での指揮や戦闘はするが、作戦や戦術の部分では俺がやることが多い。まあそれは生き残るために俺がやらせてもらっているだけだが。


「それで……」


 マティアスが聞いてくる。


「これからどうするおつもりで?」


 マティアスのその目は、今までとは違い真剣な眼差しであった。それは彼が兵器や戦いに向ける目であり、興味と品定めが入り交じった観察の目である。


 俺はまっすぐ彼を視界にとらえながら答える。


「特にない」

「……どういうことです?」

「彼女達の判断に任せるということだ」

「…………成る程」


 マティアスは少し考えた後、何かに気がついたようにそう答える。やはりこいつは頭が切れる。少なくとも、相手にしたいとは思わない程に。


「しかし彼女達の直感に任せるとは……貴方もそうとうなギャンブラーだ」

「やめてくれ縁起でもない。俺はギャンブルは弱いんだ」

「ははっ。確かに、アルベール殿はギャンブラーとは言えませんな」


 マティアスが続ける。


「貴方は勝利を読み切っているのですから」


 それこそ買いかぶりすぎだ。前にダヴァガルにも言った気がするが、この男もどこか俺を勘違いしているところがある。俺は所詮、自分が生き残ることに必死な小市民に過ぎない。


(だがむざむざ死んでやる義理もない……か)


 だがせいぜい敵の予想は覆してやろう。少なくとも、この寝顔を守らなければと思うぐらいの責任感は俺にだってあるのだ。


 おれはそう思いながら、静かに隣で寝るレリアの頭を撫でた。


 優しく、ゆっくりと。






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