ホントでホンキな本

 私は、この図書館という神聖な静寂の中で独り、戦慄していた。

 それは久々にこうしてふらっと図書館へ来て、最初に手に取って開くには余りに刺激が強すぎた。そうかそうか、本の世界とはこれ程までに刺激的だったか。暫く本を読んでいなかった私は、面食らっていたのだ。


「時代間文通・1」


 その本にはこう書かれていた。


「この本は、貴方の言葉を未来へ届けることが出来ます。使用の際は十分に注意して下さい。」


 それは本というより、ノートに近かった。中身は元は全て白紙だったようで、後から様々な文字が書き込まれている。筆跡から見るに、一人ではなく何人もの人が次から次へ書き込んでいったらしい。裏表紙を見ると、発行は2008年、貸し出し履歴の欄にはただ一人だけ、何年も前に「タカヤマ」という名前が入っていた。

 そもそも、図書館にこんな書き込むタイプの本が置いてあるのがおかしい。さらに、この図書館には勉強スペースなどは無いはずなのに、ペンを使って大量に書き込まれており、加えて貸し出し履歴は何年も前に一度だけ。どう考えても、実におかしかった。

 だか人の好奇心とは怖いもので、その溢れ返る"おかしい"がいつの間にか"気になる"になってしまった。どうせくだらない冗談の類だろう、どれ、どれくらいくだらないか見てやろう。


 書き込まれている文字を読んでみた。


「ばーか」「でべそ」「さくらちゃん愛してる」「あんぽんたん」「こんにちわんわん」、、、、


 私は、後悔した。どうしてこんなものに惹かれていたんだろう。あんまりバカらしいものだったので、数分前の自分を呪いたくなった。こんな事になるのは、初めからわかっていたじゃないか。もう二度と、こういうバカらしい冗談の類には乗ってやるもんか。

 しかしながら、こんなむっとした気持ちのまま帰るのも面白くない。どうせ無駄なら、いっそくだらないと自覚しながらも何か書き殴っていってやろう。そうだ、もし今日の私と同じように次の"犠牲者"が出たらなんて面白いだろうか。その人は胸の高鳴りを抑えられずに、この本をそっと開く。そしてそこには、私によって強化された圧倒的なまでのくだらなさが待っているのだ。きっとそれをみた瞬間、落胆して膝から崩れ落ちるだろう。その様子を想像してなんだか少し楽しくなった私は、その本を借ることにした。本の貸し出し欄に「キリシマカズヤ」が追加された。


 家へその本を持ち帰った私は、机へ向かい、もう一度開いて見た。そう言えばあまりにくだらない内容だったためか、肝心な部分を忘れていた。"言葉を未来へ届ける"という売り文句。もしそれが本当なら、おそらくここに書いた言葉が未来に届けられるという、一種のタイムマシンのようなものだろう。にわかに信じがたいが、まあ実際そこはどうでも良かった。むしろ下らない有象無象の言葉達を未来の誰とも知らない人へ届けられるというなら、それこそ至上の憂さ晴らしというものではないか。

 私は、落書き帳となったページをペラペラとめくっていき、まだ白紙の場所にたどり着いてペンを取った。ふと、落書きだけだと思っていた前半のページの終わりが目に入る。白紙になる手前、つまりこの本に書き込まれた最後の部分は、ちゃんと文章になっている事に気がついた。私は意外な驚きと、なんとも言えないこの止めどない思いを胸に、その文章の頭を探した。この本には行を示す線は無いが、それでも1行にも満たない事は確かである。たった一文だった。


「たかが言葉、されど言葉」


 なんだなんだ、この異様な存在は。溢れんばかりの下らなさで満ちているこの本において、この意味深な、珍しく"まともな"文は、むしろ異物として浮いていた。まるでそれまでの落書きの言葉たちを目にして心底落胆し、日本の未来を憐み、せめてもの説教をお見舞いする教師のような文だった。すっかりやる気でいた私は少し興ざめな感じがして、むっとした。もう心に決めたのだ。もう誰も私を止められない。私はその異物を、いわば知らない誰かから頂いた"人としての最後通告"を無視して、作戦を決行した。


 「ふとんが、ふっとんだ!!!wwww」


 強く強く握られたペンは、まだ何色にも染まっていない白い大地の上を、黒い軌跡を残しながら力強く駆け抜けた。その軌跡が作り出した形は、文字となって意味をなし、そしてこの本をワクワクした気持ちで開いた人に向かって強烈に飛びかかる事だろう。いやひょっとしたら、最初の数ページしか見られることは無いのかもしれない。私の書いたこんな最後のページの一文など、人目に触れることは未来永劫ないのかもしれない。しかし、それでよかった。その偉大なる兵列の中へ私も混じる事ができるなら、もうそれでよかったのだ。

 あぁ、なんと愉快だろうか。当然私は自分のしていることの愚かさを自覚している。しかし人間、自分の愚かさを一度許せてしまうと、それはそれは気が楽なものである。確かにこの本を開いた瞬間は、胸に抱いていた大きな期待を粉々にされて落胆した。が、今ではどうだろう。あの本を開く前よりむしろ清々しい幸福感、達成感に満たされているではないか。嗚呼、なんと素晴らしき日。嗚呼、なんと素晴らしき世界。こんな些細なことで、今日という日が最高に充足したものに感じられる。ちっぽけな人間だろうとなんだろうと、楽しんだ者勝ちなのだ。これだから、人生はやめられない!

 私は胸いっぱいの達成感と共に、勢いよくばたん!と本を閉じた。そして、次の瞬間。




















 私は、音もなく、この世界から消えた。
























-そう遠くない未来-


「タカヤマ様、新着メッセージが一件あります。パターン赤、摘果対象です」

「そうか。愚か者はいくら減らしても湧いてくるな」

 タカヤマと呼ばれるその男は、研究所の椅子に深く腰掛けながら、残念そうにそう漏らした。そして重い腰をあげ、時空転送装置へと向かった。慣れた手つきで操作盤に触れ、過去行きを選択する。

「それでは、行ってくる」

「いってらっしゃいませ」

 アンドロイドたちが見送る中、タカヤマは過去へと転送された。彼の仕事には、出張が付き物だった。

 アンドロイドたちはタカヤマが居なくなったことを確認すると、彼らの独自言語で「あの人間は良くやってくれている」などという会話をした。

 



 こうしてキリシマカズヤという男は、存在しなくなった。そしてあの本は、いつの間にか図書館へと戻されていた。貸し出し履歴にはただ一人、「タカヤマ」とだけ。

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