第3話 女主人を讃える歌

「お……おぉ、こいつァいったい……、なんの奇跡なんだい。テペラウが、麗しの棗椰子ナツメヤシの葉陰の都が蘇っちまったじゃないか。それも瞬く間にだ!」


 思わず腰を浮かせ、目を瞬き、その答えを得ようと後ろの少女を振り返る。ところが少女はそれが当然のような顔をして、にこにこと微笑み返すだけなのだ。



「おいおい、お嬢さん。これは魔法かい! あんたは強大な力を持った女魔神ジンニーヤなのかい! それとも僕の夢なのかい! 教えておくれよ」

「いいえ、これが夢でないことは吟遊詩人アシックが一番よくわかっていることではなくって。

 さあさあ、そんなことより。あたしのご主人様のところに来るの、来ないの? 吟遊詩人アシックとつまらない問答をしているうちに、月があんなに昇ってしまったわ。美しい夜は短いのよ。楽しいひとときはそれ以上に、ね。こんなところで一晩中悩んでいたって、何が楽しいものかしら。

 吟遊詩人アシックだって、さっきまで歌っていたじゃないの! 本当に、お酒と音楽と天女フーリーたちのためにこの世に生を受けたというのならば、あなたはあたしと共に来て、ご主人様のために、いくつもの素晴らしい詩や、ありったけの美しい旋律を披露しなくちゃいけないわ」


 少女は、ちっとも腰を上げようとしないカナヤに怒っていた。



「フム。確かにお嬢さんの言うとおりだろうなぁ。満月夜を無駄な口論で台無しにするなんてぇのは、愚か者の所業だ。

 こういう夜は優しい恋人の膝元で、甘いひとときを満喫するってのが常套なんだが、哀しいかな今宵のカナヤさんの側には、恋人の代わりに女主人に忠実な少女がひとり。我がつたない歌と三弦琵琶シードをご所望だ!」


 カナヤは少女の顔を見てニヤリと微笑むと、三弦シードを一度、掻き鳴らした。


「なにより愛をうたう吟遊詩人アシック――カナヤさんとしては、美女のお呼びとあらば、参上せねばなりますまい。

 心地よい水音のような調べ、涼しげな緑陰のような調べ、お望みとあれば耳慣れぬ異国の調べなども――異国にも美しく心動かされる音曲がたくさんあるのをご存知かい?

 我が師カルと共にアルイーン大陸を隅々まで歩き回って、我が耳で聞き選んだ名曲を、君の素晴らしい満月のようなご主人様に捧げようじゃないか。僕の詩句と三弦シードを聴けば、どんな気鬱も失せてしまうだろうよ!

 よおし、お嬢さん。案内しておくれ。今宵の満月の傍らに」


 カナヤはすっくと立ち上がると、急いで尻についた埃を払い、外套と帽子を直した。三弦琵琶シードを背負い、わずかな手荷物を入れた合切袋を小脇に抱えると、例の人懐こい笑みを満面に湛え、少女の案内を乞うた。



 ところが、


「嫌なひとね。あたしの大切なご主人様を、あなたのどこの誰とも分からぬ一夜の恋人と同列にして!

 知らない! もう吟遊詩人アシックには案内なんてしない! 不埒な心映えの男など、どうして清らかな泉のようなお心のご主人様のもとに連れて行けるというの!?

 さよなら、吟遊詩人アシック。あなたはここで月の光でも眺めながら、ひとり寂しく野宿でもすればいいわ。そのうちサソリや沙漠オオカミが、歓迎してくれるでしょうよ!!」


 少女は本気で怒っていた。

 カナヤにしてみれば、ほんの軽口、言葉遊びで少女の女主人を恋人に見立てただけなのだが、潔癖な少女の神経には、それは到底許されることではなかったようだ。


「おお、これは大変な失礼をしてしまったようだ。

 どうぞお許しを、すみれの瞳よ。愛らしき桃金嬢てんにんかの少女よ。

 あなたのご主人は、かような尻軽で多情な、淫らな女性では断じてない! これは、僕の心得違え――心根を入れ替えて御前に参上いたしましょう。

 その昔、詩人がこう歌ったのは、あなたのご主人様ではないのかな。



   おお乙女よ、闇の中の炉火よ、君が姿を現せば、夜もくる。

   君が光にて、あけぼのは明らむ。

   太陽は君の微笑みを光明とし、月はその瞳に恋い焦がれ輝きをおぼゆ。

   あまたの星々は、足元で、君の栄光を讃えている。



 ならばこの吟遊詩人カナヤ、お望みのまま、我が喉が枯れるまで、三弦琵琶シードを爪弾く指が腫れ上がるまで、お育ちよろしく、生まれながら挙措雅な女主人様のお心に答えると致しましょう。

 ですから!――どうぞどうぞ、この愚かな男を御前に案内くださいますよう。美を讃え、愛を語るは、我ら吟遊詩人アシックの務めでございます」

「まあぁ、なんて軽々しい、口先だけの言い訳でしょう!」


 それでも、慌てて平謝りするカナヤの姿がおかしかったのか、生来の人懐こい微笑みが警戒心を解いたのか、少女はくすくすと笑い出してしまった。



 確かにカナヤは美しいものが大好きで、少女がこれほどまでに崇める女主人に、ぜひとも一目会ってみないことにはテペラウを離れることは出来ない――とまで気持ちは高揚していたのだから、彼の瞳に宿る光も真剣味を帯びていただろう。

 女というものは、少女であろうと、男のそういった心の動きには機敏であるものだ。


「いいわ、吟遊詩人アシック。あたしに追いて来て。



   カラ・シーンの女官はたおやかで、

   アズシンハンの後宮官女は艶めかしい。

   マジャール王女たちは優美で、

   イゾルタン後宮に咲く秘密の薔薇は芳しい。

   けれど、テペラウの美姫は、もっともっと麗しい――

   その美姫を得るためには、黄金の円塔と白銀の尖塔がいるよ。



 どう? こんな戯れ唄があるのだけど。

 この唄にあるテペラウの美姫こそ、あたしのご主人様のことなのよ。

 市井のわらべたちでさえ、つたない節回しと、貧しい想像力で、ご主人様をこの都の至宝と讃えるのだから。

 吟遊詩人アシックがきっとびっくりして口も利けなくなるような、アルイーン一番いちの美姫の元に案内するわ」


 女主人の自慢に熱心な小さな侍女は、くるりと背を向けると、弾むような足取りでテペラウの街へとカナヤを導いていった。


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