第32話 紅い剣



午後11時37分



1人の酔っ払いが新中町の外れを歩いていた。


その足取りは千鳥足でかなり酩酊しているのが判る。

酔っ払いが歩いている辺りは周りの灯りも少なくなり今夜は月も姿を見せていない為、かなり薄暗くなっていた。

そんな酔っ払いに誰かが声をかけた。


「待て」


「あぁん?」


そこには若い男が立っていた。

左手に何か細長いモノを持っていた。


「お命、頂戴」


若い男は酔っ払いに向かって走り寄った。

左手に持っていたのは日本刀だった。

男は左手を自分の正面に差し出し右手で刀身を鞘から抜き放った。


「ぐあっ!」


袈裟懸けに切られた酔っ払いはその身体から血しぶきを上げその場に倒れた。

ほぼ即死に近い状態だった。


若い男は返り血を浴びた顔を左手で拭った。

そのまま鞘を拾い上げると右手の刀を振って血を払う。

そして鮮やかな手つきで刀を鞘に納めた。


「今宵の虎徹は血に飢えている」


そう言い残すと闇の中に消えて行った。





「草薙さーん!頑張ってぇぇぇ!」


武道館に1年生の女子生徒達の黄色い声援が響き渡る。


ここはウチの学校の武道館。

体育の柔道の授業などに使われている。ウチの学校は私立だから武道館もかなり立派な建物だ。

ま、私達女子生徒には全く馴染みの無い場所だけど。


「何かスゴイ事になっちゃってますけど、これで良かったんですかね?」


私にマネージャーの桜子がそっと耳打ちする。


「良かったも何も段取りをしたのはマネージャーである貴女でしょ?」


「だから!剣道部の先輩達に頼まれたからやったんじゃ無いですか。草薙さんも乗り気だったし」


桜子はぷくっと頬を膨らませている。


「ゴメンゴメン。貴女にはホントに感謝してるわ。改めて貴女の実務能力の高さを思い知らされたんだから」


「それなら良いんですけどぉ」


桜子はまだ何か言いたそうに畳の上の草薙さんを見てる。



さて、ここで説明せねばなるまい。今の状況を。


事の発端は剣道部の先輩達が頼み事をして来た事から始まった。

桜子が草薙さんのマネージャーである事を草薙さんが学校の掲示板にでかでかと発表したのだ。勿論、桜子の了承を得て。

それと同時に草薙さんは以下の文章も掲示板で発表した。


私、草薙に要件のある人は中庭の草薙相談ポストに詳しい要件を書いて投函する事。桜子に直接接触しようとする人は私、草薙が許さない。


この草薙相談ポストは草薙さんが学校側と交渉して設置された。

お昼休みに草薙さんに相談したいと言う人は増え続けて中庭が通行できないくらいになって来ていた。これには一般生徒からも苦情が出始めていた。しかし、草薙さんが学業でもスポーツでも大変優秀な生徒である事も学校側は認識していた。それに私や桜子のように草薙さんに助けられた少なくない生徒達からの嘆願書もあった。

1番の決め手になったのは草薙さんが国家公安委員会との繋がりがある、との噂だった。これは「食人鬼事件」の時の事だけど。それで草薙さんが学校側と交渉して、草薙相談ポストなるものが中庭に設置されたのだった。


私達は毎日放課後になると草薙相談ポストの中に入っていたモノを回収してチェックする。チェックと言っても草薙さんが手に取って本当に何らかの危険性があるのかどうかを判断するんだけど。草薙さんは内容を読まなくてもそのモノに触るだけで判断できるみたい。最初の頃はポストに入りきらない程の手紙が入っていた。しかし、その殆どは草薙さんへのラブレターみたいなモノだった。そんな事が1週間も続いたので草薙さんはまた掲示板に新しい文書を掲示しなければならなくなった。

私、草薙に本当に相談したい人のみ投函する事。それ以外のモノは読まずに焼却処分します、と。


それからは投函されるモノは減ったが、草薙さんが興味を示すようなモノは無かった。


そんなある日の放課後。

私達はポストに投函されていたモノをチェックしていた。

草薙さんが触る前に私と桜子が書かれている内容に目を通すのだ。


「何ですかね、コレ? 相談と言うより嘆願書みたいですけど」


桜子が1つの封筒をヒラヒラとさせる。


「えっ、どんな嘆願なの? 私にも見せて」


私は桜子から受け取った封筒の中の嘆願を読む。


「ふーん。どこの部活も大変なのねぇ」


「アタシにも見せて」


草薙さんが私に声をかける。


「えっ。でも、これって事件とかじゃないよ」


「良いから。桜子が興味を持ったモノならアタシも興味あるわ」


うぅ。そこは貴女達って言ってよぉ。

どーせ、私は弟橘の力しか持ってませんよ。

私はぶうたれた態度で封筒を渡す。


「・・・なるほど。面白いかも」


私の態度など意にも介さないドS草薙が顔を上げる。


それはウチの学校の剣道部からの嘆願書だった。

ウチの剣道部は以前はそれなりに強かったけど今は部員数も減ってしまい今の3年生が卒業したら部員数が足りなくなってしまうらしい。

それで期末テストが終わった辺りで、草薙さんに武道館で剣道のパフォーマンスをして貰い剣道部の宣伝とあわよくば入部する人を募りたい。とまぁ、こんな感じの嘆願だった。


「これをアタシが引き受けたら人は集まるかしら?」


「それは、もう!」


桜子が興奮したように両手で握りこぶしを作る。


「チケット即完売、間違いなし!」


あの、アイドルのコンサートじゃ無いんだから。


「面白そうね。マネージャー、剣道部の人達と話を詰めてくれる?」


「ラジャー!」


桜子が敬礼する。


「アタシからの要望は、パフォーマンスと言うよりは剣道部の人達とガチの勝負をしてみたいわ」


「判りました。その方が盛り上がりますもんね!うーん、あの武道館のキャパなら何人くらい入れられるかなぁ。剣道部への援助と言う事で500円くらいはチケット代金にしても良いわよね。その中からマネジメントも含めてあたしらの取り分は」


桜子は何やらブツブツと考え始めた。

その姿は大手プロダクションの敏腕マネージャーと言った感じだ。

知らんけど。


「ねぇ、良いの?」


私は草薙さんに耳打ちする。


「良いのよ。観に来るのは殆ど1年生の女子でしょ? その子達がアタシを応援してくれたらアタシはそれを力として吸収できる。それにここ暫くは戦闘も無かったからアタシの勝負勘を磨くにもちょうど良いわ」


そうして、桜子は剣道部のキャプテンの人達との交渉を始めた。剣道部側は大喜びだった。剣道部の中にも草薙さんのファンの人はいたし、草薙さんと竹刀を交わしてみたいと言う人が殆どだった。

剣道部側は最初は援助金に難色を示していたが桜子の「部員数が減ったから部費も削られていると思います。防具や竹刀の修繕や維持にはお金がかかると思いますが現状の部費で大丈夫なんですか?」の一言で承諾した。

それから桜子と剣道部のキャプテンで学校側に武道館使用の許可を求めた。これも最初は学校側は難色を示した。何か問題でも起きたら困るからである。しかし桜子はこの学校の理事長が草薙さんを気に入っている事を事前に調べて情報を入手していた為、理事長との直談判に討って出た。

その結果、理事長の鶴の一声で期末テストの最終日の午後に武道館での草薙さんのパフォーマンスが決定したのである。


草薙さんのパフォーマンスチケットの販売が掲示板に張り出されると同時に草薙相談ポストへのチケット購入申し込みの葉書が殺到した。

それは当初予定していた100人を大幅に上回った為、再び桜子は剣道部と学校と協議して150人に引き上げた。

こうして500円のチケット150枚は無事に完売したのであった。


「ふうーっ。流石にちょっと疲れましたぁ」


桜子はゴクゴクと薬草水を飲んでいる。

此処は草薙さんのマンション。

私達3人はとりあえずチケット完売の慰労会を行っていた。


「私も疲れたぁ。500円玉を用意するように書いておいたのに」


私も薬草水を飲みながらグチをこぼした。


「音美は手伝っただけでしょ。今回、本当に頑張ったのは桜子だったんだから」


草薙さんはそう言いながらブランデーの入った薬草水を飲んでいた。

あのぉ。それってどう見てもブランデーの水割りにしか見えないんですけど。


「お金の計算はちゃんと出来た?」


草薙さんは桜子に尋ねた。


「はい、バッチリです。明日にでもあたしの家に持って行ってお札に替えて貰います」


この桜子のお姉さんが「ドッペルゲンガー事件」で草薙さんと私が協力して助ける事に成功した人だ。桜子がその事をご両親に話したら「草薙さんに直接お礼がしたい」との事で後日、草薙さんと私は桜子の家を訪れたら大歓迎を受けたのだ。

そして、この草薙パフォーマンスの話が持ち上がった時に桜子は真っ先にそのお姉さんに相談したのだ。お姉さんは今はすっかり回復して会社にも出勤している。このお姉さんも桜子から話を聞いて回復してから草薙さんに会って直接お礼をしている。

この話を聞いたお姉さんはすっかり乗り気になって桜子に色々なアドバイスをしてくれた。少しでも草薙さんの役に立つ事で、お礼をしたいのだそうだ。

桜子からチケット代金が500円と聞いたお姉さんは「うーん、チケット販売の時にはそれなりの小銭とお札が必要になるわね」と助言してくれた。いくら500円玉のみと書いておいてもそんな事は守らない人はいくらでも居るらしい。確かに今日でも千円札でお釣りを求められたり100円玉で払う人もいた。五千円札を出す人も数人いたなぁ。サスガに一万円札を出して来た人はお断りしたけど。桜子が思案顔になるとお姉さんは勤めている会社のメインバンクで両替をしてあげる、と言ってくれた。これから桜子は家に帰ってからお姉さんに今日の売り上げを渡したらお姉さんがまたメインバンクでお札に両替してくれるのだそうだ。


「でもさぁ」


私は薬草水のコップを置いた。


「何よ? 何か問題あるの」


草薙さんが私の方を見た。


「いや、草薙さんがあっという間に勝っちゃったら盛り上がりに欠けちゃうんじゃないのかなぁ?剣道部にもイメージダウンと言うか」


「その辺は上手くやるわよ」


草壁さんは事もなげに言った。


「そうですよ。草薙さんに任せておけば大丈夫ですよ」


桜子も草薙さんの後押しをする。


「でもねぇ」


「音美。貴女、武道を舐めて無い?」


草薙さんが少し強い口調で言った。


「いくら部員数が足りないからって相手はれっきとした剣道部なのよ。ちゃんと基礎から練習してきた人達。それに比べてアタシは我流。防具を着けた事も無いし、正式な試合をしたのも初めて。それに今回は草薙の剣の力は使えない。竹刀を使って剣道のルールに則ってやるのよ」


「え? まさか、草薙さんが負ける? 」


私の言葉に草薙さんはニヤリと笑った。







「草薙さーん!やっぱりステキィィィ!」



また、1年生の女子の声援で私は我に返った。


畳の上に正座している草薙さんは真っ白な道着に亜麻色の袴。

防具は剣道部から借りたそうだけどとても似合ってる。まぁ、草薙さんなら何を着ても似合うけど。頭は真っ白な手拭いで髪の毛を纏めてずっと両目を閉じて精神統一しいるように見える。その姿は一服の絵のようだ。

暫くして草薙さんはコバルトブルーの両目を開き頭の防具を着けて竹刀を持って立ち上がる。


「キャアァァァァァ!」


声援が悲鳴のように響き渡る。

草薙さんと最初の対戦相手は畳の中央で礼をする。

そして互いに竹刀を構える。



「はじめっ!」



審判の声が響いた。






つづく



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