第29話 たったひとつの冴えたやり方 弐



キキィィッ



スクーターが止まった。

コンタはスクーターから降りるとハンドルの中央にあるパネルの「帰還」と書かれた箇所をタッチした。



ブロロロォォ



スクーターは無人のまま走って行った。



「さてと」


コンタは腕に付けている腕輪のようなモノのボタンを押した。

腕輪から600年前のスマホの3倍くらいのスクリーンが映し出された。

コンタはスクリーンの情報を読み取って行く。


「今の地表の気温は7℃か。全く厄介なジジィだぜ」


コンタはぶつくさ言いながら歩き始めた。

このナゴヤ・シェルターは現在は寒帯である。

真夏でも最高気温が10℃を超える事は滅多に無い。


最も今のナゴヤ・シェルターに四季と言う概念は存在しない。

シェルター内部の温度と湿度は人間が暮らしやすい状態に設定されている。

そしてそれは量子コンピューターのAIが管理している。


他のシェルターと同じようにここもその機能の全てをAIが管理している。核融合炉の運用、衣食の配給、医療設備、通信設備などなど。600年前に役所と言われていた公的機関は全て。

しかし、それは1つのAIが決めるのでは無く同規模のAIが5つありそれらの話し合いで決められているそうだ。5つのAIにはそれぞれ全く違う人格のようなものがあるらしい。

貨幣制度は廃止された。全てを配給で賄うのだから貨幣は不要だ。それが人類が生き延びる為に決断した政策であった。


他のシェルターとの通信も可能ではある。しかし氷河歴が始まって100年くらいは頻繁に行われていた通信も最近では滅多に使用されてはいない。

どこのシェルターもここと大差ないものであったからなのかも知れない。

日本と言う国家があるのは確かなようだが今は誰がこの国の最高権力者なのかは少なくともこのナゴヤ・シェルターでは誰も知らない。人々はそんなものへの関心は無くしていた。


ちなみにこのナゴヤ・シェルターの人口は約50万人である。

これは200年くらい前から変わっていない。

出生率は激減したがその分平均寿命が大幅に伸びた。


配給されるカプセルに老化を遅らせるDNA因子が混入されている、と言う噂が200年前には流れていたが今は誰も気にする者はいない。

人々の多くは無気力になっていた。

月に1度くらい配信される新しいバーチャルゲームに熱中する若い世代はいるが、娯楽として流される映画やアニメなどは殆どが600年前の模倣品でしか無い。


コンタや幼なじみの女の子のようなある種のバイタリティーを持った人間はこの世界では珍しい存在となっていた。

これはホモ・サピエンスと言う種の衰退を暗示しているのかも知れなかった。

この小氷河期と呼ばれる時代は後1500年続くとされている。それまで人類は存続できるのだろうか?



コンタは巨大な壁の前に立っていた。

ここがナゴヤ・シェルターの外壁とされている場所である。

コンタは外壁に沿って歩きだした。


「おし。ここだ」


コンタは腕輪から先程のスクリーンを呼び出して座標を確認した。そして何やら入力している。

すると。

外壁の1部がすっと開いた。コンタはその中に入って行った。コンタが中に入ると外壁の1部が閉じた。


その先は細長い通路になっていた。

両側は金属質の壁になっていて無数の大小のパイプが走っている。

コンタは30分くらい歩き続けた。


通路の先にいきなり広大な空間が現れた。

600年前にあったとされるナゴヤドーム100個分の広さだそうだ。

その広大な空間には巨大なタンクがこれも100個くらい並んでいる。


ジジィが言うにはこのタンクの中では植物プランクトンが培養されていて光合成によって酸素が作り出されているそうだ。

核融合炉の燃料として海水から水素を取り出す際にも酸素は発生するが、その酸素には人間が直接吸うには都合の悪い物質も含まれているらしい。

そこでシェルター内部で発生した二酸化炭素をここへ送って光合成によって酸素とグルコースと言われるブドウ糖を作っているらしい。


この場所が地図から削除されているのはそれだけ重要な場所だと言う事だ。何でこの場所をあのジジィが知っていたのかはコンタにも判らない。


「あのジジィには生体チップも埋め込まれて無いんだよなぁ」


生体チップとは赤ちゃんとして産まれた時に身体に埋め込まれるチップだ。

それは微小なモノで生命維持には何の影響も無い。そのチップには固有の番号が記されていてその番号を入力すればその個体の現在位置が判るようになっている。

このシェルター内で生体チップを埋め込まれていないのはあのジジィだけかも知れない。


タンクの群れの間をコンタは歩いて行った。そして再び現れた外壁に沿ってしばらく歩くと立ち止まった。

そこにはエレベーターのようなモノがあった。

このシェルターに何かしらの問題が発生した時に地表へと脱出する為に作られたらしい。シェルター内にはこのような脱出用のエレベーターはいくつか設置されている、とジジィは言っていた。そしてそれは秘密にされている、とも。身体に埋め込まれている生体チップはその人間の生体情報やどのような思考をするのかもAIに送信しているらしい。それによってAIが脱出させる人間の優先順位を決めるのだそうだ。


コンタは再び腕輪からスクリーンを呼び出すと10桁くらいの数字と漢字が入り交じったものを入力した。

エレベーターの扉が開いた。コンタは乗り込むと「脱出」と書かれたボタンを押した。扉が閉まりエレベーターは上昇を始めた。


「地表まで7分か。このエレベーターとかいうヤツ、時速150kmくらい出てるんじゃねぇかな」


エレベーターの中は全く振動を感じない。

リニアエレベーターというモノらしいがコンタにはその動作系の理屈はよく判らない。コンタは持ってきた防寒着を着こんだ。

しばらくしてエレベーターは地表に到達した。


エレベーターの扉が開く。

地表特有の匂いと寒気がなだれ込んでくる。

その匂いは決して良い匂いとは言えないがコンタは嫌いでは無かった。


「うぅ。寒みぃ」


コンタはそう呟くと円形の形をしたエレベーターの扉が閉じるのを確認してから地表を歩き始めた。所々に氷は残っていたがコケのようなものも生育している。

600年前と比べると地表の緑地は100分の1以下になっていた。それでも亜寒帯の海洋で培養されている植物プランクトンのお陰で生物が生きていく位の酸素濃度はある。地表にこれ以上の生物が生息しなければ、と言う前提ではあるが。

コンタは歩き馴れた走路を歩いて行った。


走路と言っても道がある訳では無い。

あのジジィが居る場所には何十回も行っているので身体が憶えている。

コンタは何も無い地表に着くと頭の中で喋った。


「ジジィ、来たぜ」


しばらくするとジジィからの返答があった。


「ちょっと待て。・・よし、良いぞ」


コンタは目を閉じると何も無い空間に足を踏み入れた。



ぐにゃり



一瞬の眩暈を感じたコンタの鼻に良い香りが漂って来る。

コンタは目を開けた。


コンタの目に飛び込んできたのは一面の鮮やかな緑だった。

大小の樹々が緑の葉を広げている。

足元の草むらには小さな花も咲いている。


「うーん。ここの空気はいつ来ても美味いなぁ」


コンタは思いっきり深呼吸をした。

ここは半径5kmくらいはこんな感じである。600年前以前のここはこんな場所だったそうだ。ここだけでは無い。その時代の地表にはこのような緑が地球には沢山あったそうだ。今のコンタには想像もつかない。

そもそも、この場所の存在自体がコンタには信じられない。ここは目に見えないだけでは無くレーダーや赤外線でも探知されない。ジジィは結界とか言ってたが。


防寒着を脱いでしばらく樹々の間を歩いて行くと木造の建築物が見えて来た。

ジジィは「草薙院」と呼んでいる。

今から2600年前に原型の建物が造られたそうだが、コンタは信じてはいない。


「おーい。ジジィ、何処だぁ」


コンタは大きな声で叫んだ。

別に声を出す必要は無かったが、ここに来ると大きな声を出したくなる。


「草薙院の中に入って来い」


頭の中でジジィの声が響く。

コンタは草薙院の玄関の方へ向かった。


ここには600年前には熱田神宮と言う神社があったそうだ。

地球の寒冷化が始まる頃に長老さまとか言う人がその命を賭してここに強大な結界を張ったそうだ。ジジィの言う事はよく判らない。そもそも神社って何だ?長老さまって誰だ?

しかし、実際に今このような場所がある以上信じるしか仕方が無い。


コンタは草薙院の玄関の中に入ると靴を脱いで建物の奥に向かった。

ここでは建物の中に入るには靴を脱がなくてはならない。

最初に靴を履いたまま上がり込んだらジジィに大目玉を喰らったな。


建物の中に入ると木造の廊下が続いている。

しばらく行くと大広間のような場所に着いた。

そこにはジジィが座っていた。


「遅いぞ」


ジジィはコンタの方を向いた。


コンタには判らなかったが、そのジジィは600年前の長老さまとそっくりだった。





つづく




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