第20話 催涙雨
「きゃああああああ!」
私と草薙さんが坂道を歩いていると耳をつんざくような女性の叫び声がした。
「え ? 何 ? 」
私が驚いていると草薙さんは走り出していた。
「あれよ!」
草薙さんが走って行く方を見ると1台の車椅子が坂道を転がるように疾走している。
その車椅子からは子供の泣き声が聞こえた。
子供が乗ってる!
私の顔は青ざめた。
この坂道の先は県道との交差点だ。
その県道はいつも交通量が多い。
私は思わず交差点の信号を見た。
信号は赤だ。
沢山の車が片道2車線の道路を走っている。
「草薙さぁん!」
草薙さんは凄まじい速さで車椅子に向かって走っている。
でも、車椅子は交差点の間近まで迫っている。
間に合わない!
そう思った時に私の胸が発光したように感じた。
長老さまが私にくれたネックレスが服の中で熱を放っている。
車椅子のスピードが少し遅くなったように感じられた。
「このお!」
草薙さんは走りながらジャンプした。
凄い跳躍力だ。
草薙さんは交差点の数メートル手前で車椅子の前に着地した。
ガシッ
片手をついて着地した草薙さんは両足を踏ん張り両手で車椅子を止めた。
車椅子のタイヤのゴムが焦げる匂いが辺りに起ち込めた。
「大丈夫 ? 草薙さん」
駆け寄った私に草薙さんはゼイゼイと荒い息を吐きながら言った。
「この子は大丈夫。気を失ってるだけよ。それより」
草薙さんは坂道の上の方を見上げた。
「悲鳴をあげた女の人が気になるわ」
そう言って草薙さんは坂道を上り始めた。
「えっと、私はどうするの ? 」
「その車椅子を押して上がって来て。ブレーキが壊れてるから慎重にね」
そっか。
車椅子が走り出したのはブレーキが壊れてたからなんだ。
子供用の車椅子だから軽かったけど私は慎重に草薙さんの後に続いた。
暑い。
車椅子を両手で慎重に持って歩く私の額から汗が流れて来た。
普段ならそんなに大変に感じない坂道がいやに長く感じられた。
車椅子や乳母車を押している人は、こんなに大変なんだ。
私は改めてそう感じた。
車椅子の男の子は7歳くらいかな。
今は気絶しているようだけど顔色が良くないのが気になる。
坂道をほぼ登り切った私は草薙さんと彼女が上半身を支えている女性を発見した。
女性は右足と頭部から出血していた。
「草薙さん!」
狼狽する私に草薙さんは冷静に言った。
「さっき救急車を呼んだわ。もうすぐ着くと思う」
「その女の人は大丈夫なの ? 」
草薙さんは女の人を支えながら言葉を続けた。
「この人はその子のお母さんね。坂道に入ったから手動ブレーキをかけながら下ろうとした。そこでブレーキが壊れている事に気が付いたみたい。慌てて引き返そうとしたら車椅子を持つ手が滑ってしまい車椅子が走り出した。焦って追いかけようとして転んでしまった」
「その人は大丈夫なの ? 」
「転んだ時に頭部を打ったみたいだけど命に別条は無いと思うわ。問題は」
草薙さんは車椅子で気絶している男の子を見た。
「その子の方だわ」
「えっ!」
私は今は眠っている男の子を見た。
ちゃんと息はしてる。
でも、さっき感じたように顔色が悪いし唇の赤みも感じられない。
「この子がどうかしたの ? 」
「もうすぐ大きな手術をするみたいなの」
「えぇっ!」
私はビックリして大きな声を出してしまった。
「なんの手術なの ? 」
「そこまでは判らない。ただこの人がうわ言のように、あの子の手術が・・って言ってたから」
そんな事を話している間に救急車のサイレンが近づいて来た。
「本当にありがうございました」
その女の人、車椅子に乗っていた子のお母さんは私達に向かって何度も頭を下げた。
頭と足に包帯を巻いているけど幸いにも軽傷だった。
今、私達が居るのはこの地方都市ではなり大きな病院の正面入口だ。
大きな病院と言ってもこの病院に緊急外来は無い。
草薙さんが救急車の中で「この子は近々大きな手術をするみたいです。この子の服の名札に住所と氏名が書いてありますので、この子が入院している病院に向かって頂けないでしょうか ? 」と緊急隊員の人達にお願いしたのだ。
緊急隊員の人がタブレットで調べたらこの病院がヒットしたので、特別処置としてこの病院への搬送が可能となったのだ。
「本当に何とお礼を言ったら良いのか」
女の人は何度目か判らなくなるくらいのお礼を言った。
「いえ、もう頭をお上げ下さい。それで、あの子の手術の方は ? 」
「はい。担当のお医者様は精密検査の結果はまだですけど、手術の方は予定通りに出来るでしょうと言って下さいました」
草薙さんの問いに女の人が答えた。
「あの、失礼かとは思いますが手術は何日後なのでしょうか ? 」
「5日後の7月8日です」
女の人は、はっきりとした口調で言った。
「七夕の翌日ですね」
「シチセキって何 ? 」
私の質問に草薙さんは振り向いて答えた。
「タナバタ、の事よ」
「そうなんです。それであの子のベッドに小さな笹を飾りまして。短冊を飾ったり」
女の人の言葉が途中で止まってしまった。
手を口に当てて肩が震えている。
「すみません。余計な事を言ってしまったでしょうか ? 」
草薙さんは慌てていたが、女の人は「いいえ」とかぶりを振った。
「・・・織姫と彦星の話をしましたら、あの子は」
女の人は涙を拭いた。
「七夕の日に織姫さんと彦星さんが会えたら僕の手術も成功して、前みたいに皆と遊べるねって」
「・・そうでしたか」
そんな時に私は言ってしまった。
「大丈夫ですよ!必ず晴れます」
草薙さんはジロリと私を睨んだ。
え ?
私、変な事言っちゃった ?
「この狸さんが無神経な事を言ってしまい申し訳ありません」
草薙さんはペコリと頭を下げた。
女の人は大きく手を振った。
「いえ、その方のお言葉をとても嬉しく思います」
女の人は笑顔を作りながら言った。
「アタシ達は手術の成功を心から祈っています」
「はい。私も勇気づけられました。ありがとうございます」
お互いに深々と頭を下げてから、私達は病院を後にした。
「ねぇ。私、何かマズイ事言っちゃった ? 」
私は恐る恐る草薙さんに尋ねた。
「貴女、シチセキの夜が晴れる確率を知ってるの ? 」
「・・知らない」
「この10年で晴れたのは2回だけよ」
私は絶句してしまった。
だって七夕なんて幼稚園の頃にやったきりだもん。
最近じゃテレビとかでも話題になんないし。
「まぁ、旧暦の7月7日だから仕方ないけど」
「そうなの ? 」
「そうよ。今の新暦だと8月の上旬から中旬ね」
私は下を向いて黙ってしまった。
「どうしたの ? 狸さん」
「・・私、スゴク無神経な事言っちゃった」
「あの女の人だって貴女が善意で言った事だと理解してるわ」
草薙さんは私の手を握って慰めてくれる。
「・・でも、作り笑顔だった」
「それはお子さんの手術の事で頭が一杯だからよ。勇気づけられた、って言うのは本心だと思う」
私は思い切って草薙さんに言ってみた。
「ねえ。私と草薙さんの力で、あの子を助けるって」
「無茶な事、言わないで!」
草薙さんは怒ったような声で私の言葉を遮った。
「首なし地蔵さまの言葉を忘れたの ? この世には理があるって」
「・・・コトワリ」
振り返った草薙さんは怒りと悔しさが入り交じった顔をしてる。
そして、悲しそうでもあった。
「この現世を生きている生命にはそれぞれの運命がある」
「でも、運命を変える事だって出来るんじゃないの ? 」
私の問いに草薙さんは下を向いた。
「そうね。でも、それは本人がやらなければならない。本人以外の人が超常の力でそれに介入してはいけないの」
「だけど、草薙さんはその力で沢山の人を助けて来たじゃない」
「それは相手が超常の力で理を乱そうとしたから。あの子の場合はそうじゃない。座敷童さまを身につけてる人も言ってたでしょ。自分の人生は自分の手で切り開くって」
草薙さんの両手が震えていた。
そうだ。
1番悔しいのは草薙さんなんだ。
「ごめんなさい!私、草薙さんの気持ちも考えずに」
私は涙声になってしまっていた。
「・・良いのよ。貴女の気持ちは判ってるから」
そう言って草薙さんは微笑んだ。
草薙さん、無理に笑わなくて良いよ。
私の方が悲しくなるじゃない。
「貴女が泣いてどうするの ? 狸さん」
「もう。狸って言うなぁ」
草薙さんは私の涙を優しくハンカチで拭ってくれた。
草薙さんの指から温かいものが流れ込んで来る。
私もいつまでも泣いてるだけじゃいけない。
「私達に出来る事って手術の成功を祈るしか無いのかなぁ」
「そうね」
草薙さんはスマホを操作しながらため息をついた。
「やっぱり今年の7月7日も催涙雨になりそうね」
「サイルイウ ? 」
草薙さんは悲しそうに言った。
「七夕の日に振る雨をそう言うのよ。織姫と彦星が会えなくて流す涙って事ね」
私もスマホで調べてみた。
七夕の前後もあわせて降水確率は高い。
私もため息をついた。
「何とか、あの子に星空を見せてあげたいなぁ」
「そうね。病は気からって言う言葉はあながち間違ってはいない」
草薙さんは呟いた。
「最後の決め手は精神力だから。それともう1つ」
「私、前の日は沢山てるてる坊主を作る!」
私は勇んで言った。
そんな私を草薙さんは微笑みながら見てた。
7月7日 午後5時
私と草薙さんはあの子が手術をする病院に来ていた。
雨がしとしと、と降っていた。
「あー、私の作ったてるてる坊主。全然ダメじゃない!」
「でもこのくらいの雨雲なら何とかなるかも」
「え ? 」
草薙さんは私の手を引いて病院の裏手の人目につかない場所へ移動した。
「これから何をやるのか判ってるわね」
草薙さんは胸元からお母さんの形見を引っ張り出した。
「うん!」
私も長老さまに頂いたネックレスを握りしめた。
そして、私達は手を繋いだ。
「雑念を振り払って集中するのよ」
「うん。草薙さんと同調する」
草薙さんはニッコリと笑うとお母さんの形見を持った右手を天に伸ばした。
「天叢雲の剣。暮れ六つから五つの間この上空に星空を呼べ!」
熱田神宮の草薙院の時のように草薙さんの右手が発光した。
同時に私のネックレスも発光した。
それらの光りは十数秒光り続けた。
私は身体の力が一時的に抜けて倒れそうになった。
そんな私を草薙さんが支えてくれた。
そして、薬草水を飲ませてくれた。
「・・・どう、なったの ? 」
「見て」
草薙さんは上空を見ている。
私も見た。
雨が止んでる!
「草薙さん、雨が止んでるよ!」
「それだけじゃ無いわ」
草薙さんが指さした。
雲に切れ目が出来てる。
そして。
「あ、星が見えた!」
私は思わず大きな声を出してしまっていた。
草薙さんも頷いている。
私達はしばらくベガとアルタイルを探していた。
「でも草薙さんスゴイよ!ホントに星空にしたんだから」
私は帰り道で興奮気味に喋っていた。
「運が良かっただけよ」
草薙さんが冷静に言った。
「病院の上空の雨雲が薄かったから」
「もう。草薙さんは素直じゃないなぁ」
少しむくれる私に草薙さんは悪戯っぽく言った。
「アタシの言葉の意味が判らなかった ? アタシは運が良かったって言ったのよ」
私はハッとした。
「それってつまり」
「そう。あの子は運を持っている。アタシが精神力ともう1つ、って言ったわよね。それは運を持っているかどうかよ」
私の顔がパアッと明るくなった。
「それってつまり」
「ええ。あの子の手術は成功すると思う」
草薙さんは優しく微笑んだ。
「良かったぁ」
私も同じように微笑んだ。
「この辺りになると雨雲が濃いわね」
私は上空を見た。
「まだ梅雨明けしてないからこんなもんでしょ」
「草薙さんは素っ気ないなぁ。せっかくの七夕なのに」
私は口ずさんだ。
「ささの葉さらさら のきばにゆれる」
「お星さまきらきら きんぎんすなご」
私はビックリした。
草薙さんが続きを歌ったからだ。
それは伸びやかに透き通るような声だった。
「草薙さん、この歌知ってるの ? 」
「アタシだって幼稚園の頃に七夕さまはやったわよ」
そう言ってプイと横を向いた。
あ、照れてる。
やっぱり草薙さんはカワイイなぁ。
「じゃあ続きも一緒に歌おうよ」
「えぇー」
「良いからぁ」
私は半ば強引に草薙さんと一緒に歌った。
「ごしきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる」
空からはしとしとと雨が降って来た。
それはこの現世を慈しむような雨だった。
第10章 終わり
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