第7話 落とし穴 参
「ここが、その階段なのね ? 」
「うん。そうなんだけど」
草薙さんの問いかけに彼は曖昧な返事をする。
何か自信なさげな感じで。
「ちょっと。あなたはその人が行方不明になった時に一緒に居たんでしょ ? 」
草薙さんは少し苛立たしそうに言った。
彼は中学の時の私の同級生。
草薙さんのマンションにいた私に電話をして来た人だ。
彼は頭も良くて人付き合いも良かったから友人は沢山いた。
私も、一応その中の1人だった。
でもスマホの番号を交換する程の仲では無かった筈だ。
どうも彼は幾人かの友人を介して私の番号を調べたらしい。
彼がそこまでして私に電話をして来たのは、草薙さんに相談がしたかったと言うのだ。
彼が言うには、草薙さんは市内の高校の中ではかなりの有名人らしいのだ。
その外見の愛らしさと共に霊とか超常現象の相談者として。
私は彼との通話の後に、その事を草薙さんに聞いてみた。
他校の生徒の相談にも乗った事があるのか ? と。
すると草薙さんは「時々あるわよ」とあっけらかんと言った。
そして、私の着信履歴にある彼のスマホに電話して彼の友人が行方不明になった事の顛末を詳しく聞いていた。
聞き終わった彼女は、その日のうちに彼と会う約束を取り付けた。
彼女曰く「急いだ方が良い」と言う事らしい。
そして、彼の指定したコンビニで待ち合わせて北高まで来たのだった。
彼と会う約束をした後、草薙さんは私を連れて行くべきか悩んでいた。
「私も一緒に行く!当たり前でしょ」
「・・でもねぇ」
あ、草薙さんは私を疑っている。
私が足手まといになると思ってる!
「絶対に一緒に行くから!私は草薙さんの弟子なんだし。それに私が一緒に居れば草薙さんの力も増幅するんでしょ ? 」
「それはまぁ、そうなんだけど」
「だったら、一緒に行く!」
「ちょっと、落ち着いて。まだ、この件がどの程度のものなのか判ってないし。危険な目に遭う可能性もあるのよ ? 」
「それなら尚更よ。死ぬ時は一緒よ!」
「あのねぇ」
草薙さんはおでこに指を当てて眉を顰めた。
「死ぬ、なんて軽々しく言わないで。あなたは1人で今まで生きてきた訳じゃ無いのよ。あなたが現世にいるのは奇跡みたいなもの何だから。あなたには生きる義務があるのよ」
「義務 ? 」
「そう。権利じゃなくて義務。生物は他の生物を捕食して生きている。アタシ達もそう。他の生命の犠牲の上でアタシ達は生きている。犠牲になった生命の為にもアタシ達には生きる義務があるのよ。それにあなたが死んだらご両親や友達が悲しむでしょう ? あなたが呪いをかけるほど好きだった人とも会えなくなるのよ ? 」
「あの人の事は、もう何とも思って無いって言ったでしょ!」
これは本当だった。
あの事件以来、あの人に対する恋愛感情はウソのように消え去ってしまった。
今の私は草薙さんと一緒にいる時間の方が遥かに重要だった。
だから。
「論点をずらさないで。アタシの言い方も悪かったけど」
「何よ。偉そうな事ばかり言って!草薙さんは私の気持ちなんて全然考えて無いじゃない!」
「・・あなたの気持ち ? 」
「そうよ!もし草薙さんに何かあったら。もう草薙さんに会えなくなってしまったら。草薙さんの笑顔が2度と見られなくなってしまったら。そんな私の気持ちを草薙さんは全くわかってない!」
私の目からは涙がボロボロ零れた。
鼻水も出て来て私の顔はぐしゃぐしゃだった。
草薙さんは呆気にとられたように私のぐしゃぐしゃの顔を見ていた。
そして、しばらく考えこんだ後に私の近くに来てハンカチで私の涙を拭ってくれた。
「ゴメンね」
草薙さんは優しく話しかけてくれた。
それから私をそっと抱きしめてくれた。
彼女の香りと体温が伝わってくる。
「あなたの言う通りだわ。アタシは自分の事しか考えて無かった。1人でいる事に慣れ過ぎてしまったのかも知れない」
私は何も言えずに泣き続けた。
「さあ、もう泣くのは止めてシャンとしなさい。あなたはアタシの1番弟子なんだから」
「え ? それじゃあ ? 」
草薙さんは少し照れたように言った。
「あなたも連れて行くわ。ただし」
彼女は真顔になった。
「絶対にアタシの指示に従う事。さぁ、そのみっともない顔を何とかしなさい。出かけるわよ」
「フンだ。みっともなくて悪かったわね」
私は嬉しさで一杯になりながら、ぐしゃぐしゃの顔をタオルでこすった。
彼とコンビニで待ち合わせてから北高に向かった。
彼は初めて見る草薙さんに少しビックリしていた。
想像以上に彼女が小柄で華奢なのと、想像以上に彼女が美しかったからだろう。
私は2人をそれぞれ紹介した。
それから、他校の生徒である私達がどうやって北高の中に入るのか聞いてみた。
彼が言うには北高は市内でも有数の進学校だから、土曜日でも自由に出入りして勉強できるらしい。
確かに彼の言う通り校門は開いており、制服や私服の生徒も結構いた。
かなり自由な校風のようだ。
そして、私達は校舎の中に入り問題の階段に向かった。
生徒達は殆どが図書館にいるので、この外れ校舎には私達以外の人はいなかった。
「あなたは行方不明になった現場に居たんでしょ ? 違うの ? 」
現場となった階段の踊り場で、草薙さんは少し大きな声を出した。
「それは間違いないよ。でも警察の鑑識課の人達が調べても何も出て来ないし」
「警察を呼んだの ? テレビや新聞じゃ何も報道して無いけど」
私は素っ頓狂な声を出してしまった。
「もちろん内密にだよ。僕らは未成年者だし。ウチは市内でも、いや県内でも名の知られた進学校だし」
「え ? 人が行方不明になったのに ? 」
「大人の事情、ってヤツね」
訳が判らない私に草薙さんが答えた。
「そういう事だね」
彼もため息をついて言った。
「え ? どういう事 ? 」
2人には判っていて、私だけが判って無いみたい。
「つまりさ」
彼が説明してくれた。
「行方不明者が出たって事は1つの事件だろ ? さっきも言ったけどウチは名の知られた進学校なんだ。大学の内定が出ている3年生もいる。そこで何らかの事件が起きたら、どうなると思う ? 」
「どうなるって・・」
草薙さんが後を続けた。
「内定を取り消されるかも知れない。そして、学校の名前に傷がつく。そんな所かしら ? 」
「そう言う事だね」
彼は肩をすくめながらも悔しそうに言った。
「そんな!実際に人が居なくなってしまったのに」
「それが、大人の事情ってヤツよ」
草薙さんも肩をすくめた。
それから、彼に向かって言った。
「あなたの率直な意見を聞かせて欲しいわ」
「僕にも良く判らなくなってしまったんだ」
困惑したように彼は続けた。
「ヤツが姿を消す前に最後に言葉を交わしたのは僕だ。でもいくら探してもヤツはいない。ヤツの家に何回も電話したけど、家にも帰っていない。家の人と相談して学校に連絡して警察の人にも来て貰ったけど何も出て来ない」
「ちょっと待って」
草薙さんが口を挟んだ。
「何も出て来ないって ? この階段に彼の上履きの足跡はあったんでしょ ? 」
「それが」
彼は困ったように答えた。
「警察の鑑識課の人が僕の上履きの痕跡はいくつか確認した。でもヤツの上履きの痕跡は確認出来なかった」
「ちょっと、待ってよ」
私は口を挟んだ。
「上履きの靴底なんて皆、一緒じゃ無いの ? どうして居なくなった人の痕跡が無いって判るの ? 」
「バカね」
草薙さんが呆れたように言った。
「上履きのサイズが違うのよ」
「そう。ヤツの家から履き替え用の上履きを借りて来て警察の人が確認したんだよ」
「あ、そう言う事か」
私は照れ隠しに頭をコツンした。
「コホン」
草薙さんがわざとらしく咳払いをした。
うぅ、草薙さんの意地悪ぅぅ。
「あなたの感じた違和感の事は話したの ? 」
「そりゃ、話したよ。でも全く相手にされなかった」
「でしょうね。それで警察の結論はどうなったの ? 」
「ヤツはふざけて僕から隠れた。それで学校から家に帰る途中で何らかのトラブルに巻き込まれたんじゃないか、って」
「まぁ、そんな所でしょうね」
草薙さんは続けた。
「それで私に相談したい、って事ね。でも何で今日連絡して来たの ? 」
「土曜日だし今日なら他校の生徒でも校内に入れると思ったんだ。それに」
「それに ? 」
「何か虫の知らせって言うか。今日じゃなきゃダメのような気がしたんだ。僕にも上手く説明できないけど」
「今日は行方不明になってから何日目なの ? 」
「え ? 7日目だけど」
「なるほどね」
草薙さんは意味ありげに微笑んだ。
「え ? 何なの ? 」
私には何も判らないので思わず草薙さんに聞いてみた。
「初七日って言葉は知ってるでしょ ? 七回忌とか ? 」
「うん。聞いた事ある」
「ちなみに春と秋のお彼岸も7日間。古来より日本では7と言う数字には特別な意味があるの」
「ふーん。あれ ? でもそれって仏様の話よね。草薙さんのお母さんは熱田神宮の巫女さんじゃ無かったっけ ? それって神様じゃ無いの ? 」
「どっちでも良いのよ」
草薙さんはあっけらかんと言った。
「日本では仏様も神の1部みたいなものだから。八百万の神々の1つね」
「日本は外国人からは無宗教の国って言われてるからね。クリスマスやバレンタイン、最近じゃハロウィンもやってるだろ」
彼が補足の説明をしてくれた。
まぁ、確かにそうだけど。
「信仰する気持ちがあれば良いのよ。話を元に戻すわね」
そう言って草薙さんは踊り場をぐるりと見回した。
「今日は彼が現世から消え去ってから7日目。アタシ達の現世である此岸と彼がいるであろう彼岸が最も近づく日。今日が最後のチャンスかも知れない」
草薙さんは胸元からお母さんの形見を取り出した。
そして、私に声をかけた。
「これから草薙の剣の力を使ってみる。私が逃げるように言ったら彼を連れて逃げるのよ」
草薙さんの瞳が紅く光って来た。
その瞳からは私を信頼してくれているのが伝わって来た。
「うん!わかった」
「ちょっと待って。何を始める気なの ? 」
「良いから。草薙さんを信じなさい」
私は訳が判らないという表情の彼を引っ張って、草薙さんから離れた。
草薙さんはお母さんの形見を、そっと踊り場の床に置いた。
そして右手をその上に置いた。
「草薙の剣。ここに彼岸への扉があるのなら、それを開け」
草薙さんの右手が光り始めた。
その光りは少しずつ強くなっていった。
ぐにゃり
「うっ!」
「きゃっ!」
私と彼は同時に声を出した。
眩暈のような変な感覚。
これが彼の言っていた違和感なのだろうか。
「あっ!あれ!」
彼が踊り場の一角を指さした。
そこには、真っ黒な穴があった。
直径1mくらいの穴としか表現できない真っ黒なもの。
「呼びかけて!」
草薙さんが叫んだ。
彼は穴のすぐ近くまで行って大声を出した。
「おーい!誰かいるのかぁ!お前はいるのかぁっ!」
彼がよびかけると答えるように穴の中から声がした。
「・・・た・・助けてくれ・・」
「ヤツの声だ!間違いない」
「草薙さん!」
草薙さんは歯を食いしばって左手も添えた。
「草薙の剣。あの者を現世に戻せ!」
ぼうっと穴の中に何かが見えた。
人の手だった。
その手は少しずつ穴の外に出て来た。
「掴んで!引っ張り上げて!」
草薙さんは汗びっしょりになりながら再び叫んだ。
彼は穴から出て来た手を掴んだ。
「帰って来い!」
そう言いながら引っ張り上げた。
するん
呆気なく穴の中から人が出て来た。
「そこから離れて!もう、持たない」
草薙さんの声を聞いた私は2人にアタックするように飛びついた。
ドタッ
私達3人は穴から離れた踊り場に転がった。
それと同時に穴は消滅した。
後には何の変哲も無い踊り場だけがあった。
「ねぇ、その人って ? 」
「あぁ、間違いない。ヤツだ。生きてる・・良かった」
彼が涙を浮かべながら言った。
「草薙さん、スゴイよ!く・・・・」
私は血の気が引いた。
草薙さんが踊り場の床にうつ伏せになって倒れていた。
私はすぐに駆け寄って彼女を抱き起した。
「草薙さん!草薙さん!」
返事は無い。
私は彼女の胸に手を当てた。
ノーブラだった。
いやいやいや。
心臓は鼓動していた。
「・・良かったぁ」
私は安堵のあまり、へなへなとその場に座り込んだ。
「あ、そうだ」
私は彼女のマンションを出る時に手渡されたペットボトルをバッグから取り出した。
そして、薬草水を口に含むと未だ意識の無い彼女に口移しで飲ませた。
草薙さんの唇は柔らかくて甘い味がした。
「うーん」
やっと彼女は意識を取り戻した。
「草薙さん、大丈夫 ? 」
「アタシは大丈夫・・・彼は ? 」
「無事よ。行方不明になってた人も」
「そう、良かった。アタシはしばらく・・眠るから」
そう言って彼女は目を閉じると小さな寝息を立て始めた。
「もう、草薙さんったら」
私は涙が出そうになるのをこらえながら優しく彼女を抱きしめた。
彼女の香りと体温を身体中に染み込ませるように。
第3章 終わり
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