第6話 落とし穴 弐
「ふぅっ、疲れたぁ」
「何、言ってんの。こんなのまだ基礎の基礎よ」
私は、あの事件以来毎日のように草薙さんのマンションを訪れている。
そう、私が得体の知れない何かを呼び出してしまったあの事件以来。
草薙さんが1人暮らしをしているマンションは学校のすぐ近くにある。
両親の帰りが遅い私は彼女のマンションに寄るのが日課のようになっていた。
今日は土曜日なので午前中からお邪魔させて貰っている。
そして、彼女から1時間の座禅を命じられていたのだ。
「ホントにこんな事が修行なの ? 」
「そうよ。常に平常心を保つ事。また、あんなものを呼び出されたらたまったもんじゃ無いわ」
「もう!その事は言わないって約束したじゃない!」
私はぷくっと頬を膨らませた。
それから、2人で笑いあった。
こうして彼女と一緒にいるだけで心が穏やかになる。
そして、あの事件の時の私が如何に異常な精神状態であったかと言う事もわかる。
あの時の私は異様な興奮状態と睡眠不足などで、精神的にも肉体的にもかなり参っていた。
事件が解決した後も私の事を心配した草薙さんが彼女のマンションに来る事を奨めてくれた。
毎日のように彼女がブレンドしてくれた薬草水を飲み、彼女のお母さんの形見を使って私の浄化をしてくれた。
この浄化って言うのは私にもよく判らないんだけど。
でも、彼女のお母さんの形見から私の中に流れ込んでくる力のようなものは感じた。
それは私の身体の隅々に染み渡るようで、私の心と身体を癒してくれた。
こうして私の心と身体は徐々に回復していった。
その効果は日を増すごとに大きくなり、通い始めて10日くらいで「もう大丈夫ね」と言う彼女のお墨付きを貰えた。
草薙さんが何で私にこんなに親切にしてくれるのかが不思議だった。
隣のクラスと言う接点しか無かった、それまで全く面識の無かった私を。
そもそも草薙さんは誰とでも分け隔てなく話すけど、特別に中の良い友達はいなかった筈だ。勿論、彼氏なんて言う存在も。
私は自分で言うのも何だけど、特に取柄がある訳でも無い普通の女の子なのに。
その事を草薙さんに話した事がある。
「ねえ ? 草薙さんはどうして私にこんなに親切にしてくれるの ? 私なんて何の取柄も無い女の子なのに」
草薙さんはキョトンとしていたが、強い口調で言った。
「あなたねぇ。その私なんて、を止めなさい!取柄が無い ? そんな事あるワケ無いでしょ!人間なら誰だって長所や短所はある。何の取柄も無い人なんて存在しないの!」
「でも・・・」
私には自分と言う存在に自信が持てなかった。
別に他人と比べて劣っているとは思わなかったけど。
「あなたと一緒にいる事はアタシにとってもプラスになるの」
この草薙さんの言葉は私にとっては意外だった。
「それって、どういう事 ? 」
「あなたと一緒にいるとアタシの中の力みたいなものが増幅するの。言葉で説明するのは難しいんだけど。あなたとアタシの生命力や精神力の波長が同調するのね。こんな人はあなたが初めてだわ」
「それじゃ、私と一緒にいる事が草薙さんの為にもなるって言う事 ? 」
「そう言う事。前にも言ったけど、あなたには力がある。それがアタシの中の力と同調してるんじゃないかしら ? 」
これは私にとっては例えようも無いほど嬉しい言葉だった。
私が草薙さんの役に立っている。私なんかでも誰かの役に立てる。
これほど嬉しかった事は無かった。
私は、この日本という平和な国に生まれて特に苦労もしないで生きてきた。
自分の将来とか、自分が生きている意味なんて考えた事も無かった。
周りに流されて当たり前のように今まで生きてきた。
私は自分を甘やかしていたのだ。
そんな私の弱さが、あのような事件を起こしてしまったのだ。
強くなりたい。
あの事件の後、私は心からそう思った。
そして、私は草薙さんの事をもっと知りたくなった。
「あの・・・草薙さんに聞きたい事があるんだけど」
「何 ? 」
「その・・・草薙さんって誰とでも分け隔てなく接してるよね ? そして凄く皆から好かれてる。でも、特別に親しい友達はいない。それって何か訳でもあるの ? 」
「あぁ、その事か」
草薙さんはちょっと寂しそうな表情になった。
「アタシには普通の人が見えないものが見える。普通の人が感じる事が無い事も感じられる。得体の知れない何かを。それは時として危険な場合もある。そんな時に他人を巻き込みたく無いの。だから、アタシは1人で生きていくしか無いの」
「そんな・・・草薙さんはそれで良いの ? 寂しくは無いの ? 心細くは無いの ? 」
「もう、馴れちゃったから」
そんな草薙さんを見ていた私は思わず口走ってしまった。
「じゃあ、私が側にいる!私が草薙さんを支える!」
草薙さんはビックリしたような顔をしていたが、すぐに真剣な顔つきになった。
「本気で言ってるの ? 」
「もちろんよ!」
「本当に危険な目にあうかも知れないのよ ? 」
「構わない!草薙さんと一緒なら!草薙さんは私を救ってくれたんだもの!」
草薙さんは、しばらく無言で私の目を見ていた。
また、光の加減で彼女の瞳が紅く光ったように見えた。
ちょっと怖かった。
でも、私は絶対に引き下がるつもりは無かった。
強くなるんだから。
草薙さんを1人ぼっちになんて絶対にさせない。
しばしの沈黙の後、草薙さんはふっと息をついた。
そして、口元に笑みを浮かべた。
「本当に本気みたいね ? 」
「・・・・・」
「わかったわ」
「え ? それじゃあ!」
喜色満面の私に釘を刺すように彼女は言った。
「ただし、ちゃんとした修行をして貰うわよ」
「うん!事件の後にも言ったじゃない。私を鍛えて、って」
「アタシと行動を共にする以上、危険な目にあう可能性が高くなるけど。その覚悟は出来てるの ? 」
「もちろんよ!私は強くなりたいの。草薙さんのように誰かを助ける存在になりたいの」
話している間に私の目をずっと見ていた草薙さんは、今度は本当の笑顔になった。
「了解しました。あなたを弟子として認めます」
「ホント!」
「ええ。あなたが一緒ならアタシの力も増幅されるみたいだから」
「草薙さん!」
事件の後の夜のように、私は草薙さんに抱き着いた。
改めて華奢な身体だな、と思った。
それでもその身体は柔らかくて、やっぱり女の子だなと思った。
「ちょ、ちょっと」
草薙さんは慌てていた。
普段のクールな彼女からは想像できない顔をしている。
そんな草薙さんは、とても可愛かった。
「ちょっと、何ニヤニヤしてんの」
草薙さんの声で私は我に帰った。
そうだった。私は今は修行中なのだ。
「アタシはさっきから話しかけてるんですけどぉ」
「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事してたの」
「考え事ぉ ? 」
草薙さんがジロリと私を一瞥する。
言えない。
言えないよぉ。
あの時の草薙さんがとても可愛かった、なんて口が裂けても言えない。
「ふぅ」
草薙さんがため息をついた。
「この修行で1番大切な事は ? 」
「・・集中力」
「そう!今度は座禅2時間!」
「えぇーっ!」
「えぇーっ、じゃないでしょ。今のアナタじゃ危なかしくって一緒に行動なんて出来ないわ」
「やるわよ。やれば良いんでしょ」
「余計な事は考えないでね」
「うん。あ、でももうお昼よ。お昼も食べないで2時間も座禅するの ? 」
私の懇願するような声に草薙さんは、やれやれというポーズをとった。
「そうね。お腹が空いてたら集中なんて出来ないだろうし」
「うん、うん」
「ちょっと休憩にしてお昼にしましょ」
「やったぁ♪」
私は急いで立ち上がろうとしたけど足の感覚が無い。
「きゃあ!」
倒れそうになった私を草薙さんが抱き留めてくれた。
彼女の香りと体温を感じた。
とても良い香りだった。
「大丈夫 ? 」
草薙さんが心配そうに覗き込む。
彼女の香りが強くなった。
「ごめんなさい。足が痺れたみたい」
そう言いながら私はもっと彼女の体温を感じていたい、なんて考えていた。
ちょっと、何考えてるの私。
相手は女の子なのよ。
私達は女の子同士なんだから。
「慣れない座禅をしたせいね。まだ痺れてる ? 」
そんな私の胸中なんて意に介さないように彼女は言った。
「え ? あ、もう大丈夫だから」
私は慌てて言った。
「そう。しばらくそこの椅子に腰かけていなさい」
草薙さんは私を椅子に座らせるとキッチンの方へ向かった。
危ない、危ない。
草薙さんはカンが鋭いのだ。
それにしても、さっきの私の感情は ?
私はブンブンと首を振った。
友情。
そうだ、あれは友情なのだ。
でも、ひょっとして ?
いやいやいやいやいや。
私達は女の子同士なんだから。友情以外にある訳ないでしょ!
「1人でなにをブツブツ言ってるの ? 」
「ひゃあっ!」
いきなり草薙さんの声がして私はビックリして顔を上げた。
草薙さんが私の顔を覗き込んでいる。
草薙さん、顔が近いよ。近すぎるよ。
相変わらずお人形のように整った愛くるしい顔立ち。
私は草薙さんを抱きしめたいという衝動を必死に抑えた。
「アナタって面白いわね」
そう言って彼女はペットボトルを私に差し出した。
「あ、薬草水」
「まず、これを飲んで落ち着きなさい。何を考えてるのかは詮索しないから」
なんだか私の心の中を見透かされているようで、私は慌てて薬草水を飲んだ。
その時、私のスマホから音楽が流れて来た。
「アナタのスマホね。電話みたいよ」
「出ても良い ? 」
「モチロンよ。アタシはキッチンに行ってるわ」
電話は中学の時の同級生からだった。
私が通話を終えてからしばらくして草薙さんが戻ってきた。
そして困惑している私を見て声をかけて来た。
「何かあったの ? 」
「それが中学の時の同級生だった人で。今は北高に行ってるんだけど」
「うん。それで ? 」
「その人の友達が行方不明になったらしいの」
つづく
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