第4話 首なし地蔵
「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ」
彼は猛スピードで車を走らせていた。
顔は青ざめ、身体中は冷や汗でびっしょりだった。
時刻は午後11時。
彼は地元の代議士である。
今夜は彼を支援している団体の後援会があった。
当然のようにアルコールも飲んだ。
彼自身も酔っているという自覚はあったが、いつもの事なので車を運転して自宅に向かった。
昼過ぎから降り始めた雨で視界は悪かった。
そして、彼は不意に道路に飛び出した人影に気付くのが遅れた。
キィィィッ!
慌てて急ブレーキを踏んだが間に合わなかった。
ドンッ
鈍い音がして車に振動が伝わった。
明らかに、飛び出した人影を跳ねてしまった。
彼は慌てて車から飛び出した。
彼が跳ねたと思われる人物が道路の端に横たわっていた。
雨が降り続く中で、その人物の頭部からは血が流れ出していた。
まだ、子供のようだった。
スマホで救急車を呼ぼうとした彼の指が止まった。
改めて周囲を注意深く見回した。
この辺りは人家も少なく、コンビニなどの店は無い。
街灯もまばらにしか存在しない。
彼が見る限り周囲に人影は無い。
これまでにすれ違った車は1台も無かった。
通り慣れた道だから、この辺りには防犯用の監視カメラは無い事は知っていた。
彼は逡巡した。
このまま、救急車を呼べば警察も来て飲酒運転をしていた事がバレてしまう。
飲酒運転で人を跳ねたのだから、間違いなく有罪となる。
そうなれば彼の代議士生命は終わりだ。
これまで積み上げてきたキャリアが一瞬で消え去る。
刑務所に入らなければいけなくなる可能性も高い。
目撃者はいないし監視カメラも無い。
彼の車が人を跳ねたという目撃証拠は存在しない。
彼は複数の車を所持しているから、この車は車庫に入れっぱなしにしておけば良い。
後援会の連中など、どうにでもなる。
警察の初動調査さえ乗り切れば、彼の代議士としての権力を最大限に利用すれば何とでもなる。
そこまで考えてから、彼は再び車に乗り込んだ。
途中から、彼は旧道を走り始めた。
一刻も早く車を自宅に隠さなければならないが、自分がこの車に乗っている事は誰にも見られてはならない。
「クソッ。相変わらず走りにくい道だ」
戦後に新道が開通してからは、この旧道を走る車は殆ど無い。
この時間に人が歩いている事も、まず無い。
彼は制限速度など無視して走り続けた。
その頭の中には、自分が跳ねた子供の事などは微塵も無かった。
彼の頭の中には自分の保身しか無い。
とにかく、早く車を隠さなければ。
舗装もされていない道は運転しづらかったが、必死に車を走らせた。
ガクン
何の前触れもなく車が停止した。
彼の身体は前につんのめった。
シートベルトをしていなかったら、フロントガラスを突き破っていたかも知れない。
「な、なんだ ? 」
ブレーキを踏んだ訳でも無いのに車が停止した。
ヘッドライトも消えていた。
「くそっ!動け!」
彼はエンジンの始動ボタンを押したが何の反応も無い。
ガソリンはまだ充分にある筈だ。
車内灯を点けようとボタンを押しても、こちらも何の反応も無い。
「なんだ ? どうしたんだ ? 」
彼がどんな操作をしても何も反応しなかった。
まるで車という生き物から魂が抜けてしまったように感じられた。
彼の背筋に悪寒が走った。
何か、とんでもない事が起こりそうな予感がした。
彼は慌てて車から飛び出した。
「何だって言うんだ。ここは何処だ ? 」
雨はまだ降り続いていた。
辺りを見回した彼は人影を感じて、ギョッとした。
「何だ。首なし地蔵か。驚かせやがって」
旧道の脇に7体の地蔵が立っていた。
真ん中の地蔵は首から上が無かった。
それが、これらが首なし地蔵と呼ばれる由縁だった。
この首なし地蔵がいつから此処にあるのか、詳しい事は判っていない。
この辺り一帯を治めていた庄屋に残された文献によると、元号が永禄の時には既に此処にあったらしい。
永禄と言えば、今から550年前だ。
その頃は戦国時代であったから、亡くなる人も多かった事だろう。
それらの人々の供養の為に作られた、と言う説が一般的になっている。
しかし何故、真ん中の地蔵の首が無いのか ?
これについては未だに謎のままである。
誰かが壊した、と言う人もいれば、いや最初から首なしだったと言う人もいる。
その真偽は不明である。
「ちっ、薄気味悪いところで停まっちまった」
彼は呟いた。
夜の雨の中で見る首なし地蔵は不気味だった。
「へっ、ただの石のくせに」
彼は強がって右端の地蔵に唾を吐いた。
すると。
唾をかけられた地蔵の目が開いた。
「ひっ!」
彼はびっくりして腰を落とした。
水たまりの水が跳ねた。
彼はへたり込んだまま、目をこすった。
地蔵は何事もなかったように目を閉じていた。
「目の錯覚か ? 俺も気が動転してるな」
彼はよろよろと立ち上がった。
「ズボンがびしょ濡れだ。驚かせやがって!」
彼は腹立ちまぎれに真ん中の地蔵を蹴った。
すると。
「首が欲しいぃ」
誰かの声がした。
驚いた彼は辺りを見回した。
誰もいない。
「首が欲しいぃ」
また、声がした。
彼は目を丸くした。
その声は確かに地蔵から聴こえた。
首のない地蔵から。
「うわあぁぁぁっ!」
今度は腰を抜かした。
喋ってる。
首のない地蔵が喋ってる。
「お前の首をよこせぇ」
彼は慌てて逃げ出そうとした。
しかし、腰を抜かしているので動けない。
「た、助けてくれ!」
かろうじて出した声は雨の音にかき消された。
なんとか逃げようとしたが、何者かが彼の身体を押さえつけていた。
彼の目の前には、首なし地蔵がいた。
「お前の首をよこせぇ」
彼の頭を何者かが掴んだ。
それは物凄い力で彼の頭を引きちぎった。
翌日。
代議士の死体が車から発見された。
何故か、死体の頭部が無くなっていた。
車は首なし地蔵の前の旧道に停車していた。
同じ日に、新道で車に跳ねられたであろう男の子が発見された。
男の子は発見された時には息をしていなかった。
ザアアアアアアァァァ
代議士の死体が発見された数日後。
私と草薙さんは首なし地蔵の前に来ていた。
この日は凄い土砂降りだった。
代議士の死体の件は警察が事件として捜査したが何の手がかりも無く迷宮入りになった。
ただ、代議士の車が男の子を跳ねた事は確認された。
草薙さんは傘から出て首なし地蔵の前に立っていた。
彼女はずぶ濡れになりながら、首のない地蔵の前に立ち続けている。
「草薙さん。風邪ひいちゃうわよ」
「あなたには見えないの ? 」
「何が ? 」
私は首なし地蔵を見たけど普段と変わったところは無い。
「・・・あなたには見えない方が良いのかも」
草薙ターニャには見えていた。
首なし地蔵に首がついているのを。
それが、人間の生首である事も。
「・・因果応報って事かしらね」
彼女は母親の形見を右手に巻き付けて両手をあわせた。
そして頭を下げた。
雨の中、彼女はいつまでも手をあわせ続けていた。
第2章 終わり
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