第3話 もう・・いいかい ? 参
「これで、良しと」
そう言うと彼女、草薙ターニャはふうっと息を吐いた。
私の部屋のコタツの上には彼女が自宅から持ってきた記号や文字が書かれた紙が置いてあり、その上には草薙さんのお母さんの形見が光っている。
今は午後9時。
あれから私達は正門前で待ち合わせをして私の家に向かった。
草薙さんは学校の近くにある彼女のマンションに寄って、小さめのボストンバックを持ってきた。
それから、コンビニで彼女の夕食を買って私達は家に着いた。
やはり両親はまだ帰っておらず、草薙さんは「お邪魔しまーす」と言って自分の履いていた靴をビニール袋に入れて私の部屋に入った。
私は夕食の準備をしなければならないので、草薙さんを部屋に残して1階へ降りて行かなければならない。
「あのぉ、草薙さん」
少し心配そうな私に彼女は言った。
「わかってるわよ。私だって勝手に人の部屋を物色するようなデリカシーの無い事はしないわ。隣の部屋をもう少し詳しく調べてみる。あなたこそ、ご両親の前では普通にしてるのよ」
「うん。わかった」
それから、私は両親と食事をした。
緊張と不安を抱えた私はどうしてもぎこちなくなってしまう。
心配そうな両親に「ちょっと体調が良くないから」と言ってごまかした。
食事を終えた私は後片付けをお母さんに任せて、緊張しながら自分の部屋に戻った。
部屋の中では草薙さんが神妙な顔つきでコタツの上で何やらやっている。
私はそれが終わるのを待っていた。
「ここに結界を張ったわ。あなたはこのコタツから絶対に出ちゃダメよ」
「結界ってなに ? 」
「とにかく、あなたはコタツから出ない事。それより」
彼女は立ち上がって襖を開けた。
そして、隣の部屋の照明を点けた。
「どうだった ? 」
不安そうに尋ねる私に草薙さんは言った。
「見ての通り。全く異常は無いわ。あなたが何度も調べた通りよ。ただね」
そう言って彼女は畳の上に手を置いた。
「明らかに何かがいた痕跡を感じる。私達が普通に暮らしている分には遭遇しない何か」
「やっぱり、何かがいたのね ? 私の幻聴じゃ無かったのね」
「そうね。でも何故かしら ? 」
「何が ? 」
「これは普通の人なら感じる事や聴こえる事は無い筈のものなのに」
「え・・・」
「どうして、あなたには聴こえたのかしら ? 」
「そ、そんな事。私の方が聞きたいくらいよ!」
「落ち着いて。いずれにせよ、今夜中には何もかもハッキリするわ」
彼女の言葉に私は黙るしか無かった。
「あなたは少し仮眠をとった方が良いわ。でも、どうせ寝られないでしょうから」
そう言って、彼女は持って来たボストンバックの中からペットボトルを取り出した。
「これを飲んで」
「また、薬草水なの ? 」
「そう。気持ちが落ち着くわ」
私はペットボトルに口をつけた。
この前のように、とても冷たく感じられた。
それが身体中に染み渡るのと同時に私は急激な眠気に襲われた。
「く、草薙さん・・ ? 」
「大丈夫。4時間くらいで目が覚めるから」
私は彼女の言葉が終わる前に深い眠りに落ちて行った。
私は静かなピアノの音で目が覚めた。
とてもキレイな旋律だった。
「あ、目が覚めたみたいね」
草薙さんが優しい笑みを浮かべながら声をかけて来た。
彼女はスマホでピアノ曲を聴いていた。
私はまだ少し朦朧としてたけど、彼女の問いに答えた。
「うん。ステキな曲ね。何ていう曲 ? 」
「ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女。ちなみに」
彼女は自分の髪をつまんだ。
「亜麻色って言うのは、この色」
「ふーん。あっ!」
私の頭はやっと覚醒した。
「今、何時 ? 」
「午前1時半」
「えぇっ!」
「そろそろ、お客様が来る時間ね」
そう言って彼女はスマホの曲を止めると真面目な顔つきになった。
「だ、大丈夫なの ? 」
「それは、その何かと会ってみなければわからない」
「あ、会うって ? アイツの姿を見るの ? 嫌よ!怖い!」
震える声の私に彼女は優しく言った。
「確かめなきゃいけない事があるから。あなたはコタツから出ないで」
「で、でも」
ギシッ
聞こえた。
階段を昇って来る音だ。
「く、草薙さん!」
「落ち着いて」
足音は階段を昇って私の部屋に近づいて来る。
私の歯がガチガチ鳴った。
そして、隣の部屋に何かが入って来る気配を感じた。
私は怖くて叫びそうになるのを必死にこらえていた。
「もう・・いいかい ? 」
あの声が聴こえた。
私は震える身体を抱きしめながら草薙さんを見た。
彼女は私を見て頷いた。
彼女にも聴こえているようだ。
「もう・・いいかい ? 」
2回目の声が聴こえると同時に草薙さんが叫んだ。
「もう、いいよ!」
襖がガタガタと震え始めた。
草薙さんはコタツの上にあったお母さんの形見を掴むと身構えた。
ブワッ!
凄まじい勢いで襖が吹き飛んだ。
そして、そこには黒い塊があった。
それは気体のようでもあり液体のようでもあった。
不規則に蠢きながら私の部屋の中に入って来た。
草薙さんはお母さんの形見を掴んだ右手を、それに突き出した。
「草薙の剣。お前がこれを害なすものだと判断するなら、これを滅せよ」
草薙さんの右手が光りを放ち、その光りは剣のような形になった。
「ハアッ!」
草薙さんは間合いを詰めると光の剣を振り下ろした。
黒い塊は一瞬で消え去った。
「お、終わったの ? アイツを倒したの ? 」
「まだよ」
彼女はそう言うと私の部屋の押し入れに歩み寄った。
「だ、駄目!」
ガラッ
彼女は私の声にはお構い無しに押し入れの戸を開いた。
「やっぱり」
彼女は呟いた。
押し入れの中には汚れたクマのぬいぐるみが置いてあった。
その周りには円を描くように小石が並べてある。
そして、ぬいぐるみの脳天には文字の書かれた紙が釘で突き刺さっていた。
そうだ。
これは私がやったのだ。
「誰を呪っていたの ? 」
「ち、違うわ!これはおまじないよ!そう書いてあったんだもの!」
「何に書いてあったの ? 」
「・・雑誌」
「その雑誌を見せて」
私はよろよろと立ち上がって本棚に向かった。
そして、震える手でティーン向けの雑誌を引っ張り出した。
表紙には読モの女の子が可愛い服を着て笑っている姿があった。
私はまだ震えている手で、その雑誌を草薙さんに手渡した。
「これね」
パラパラと雑誌をめくっていた彼女が、そのページを私に見せた。
私は、こくんとうなづいた。
草薙さんは真剣な顔つきで、その好きな人と結ばれるおまじないと題された文章を読んでいたが途中から表情が険しくなった。
「マズイわね」
彼女はポツリと言った。
「え ? 何が ? 」
「これは本当に誰かを呪う事が出来るやり方だわ」
「え・・・そんな!」
草薙さんはため息をついた。
「これを書いた人はネットか何かで調べた事を適当に書いたのね。だから最後の肝心なところが抜けている」
「肝心なところ ? 」
「ええ。この呪いは最後に生贄を捧げなければならないの」
「い、生贄 ? 」
「そう。動物の新鮮な血液よ」
「ひっ!」
「これを書いた人も、流石にマズイと思って書かなかったのかもね。こんな雑誌に新鮮な血液なんて書く訳には行かないでしょうから。でも途中までは本物だからアイツを呼び寄せてしまった」
「そ、それじゃ ? 」
草薙さんは真っ直ぐに私を見つめて言った。
「そう。アイツを呼び寄せたのは、あなたよ!」
私はへなへなと、その場に崩れ落ちた。
「今回の件では、あなたは被害者でもあり加害者でもあった」
私は声が出なかった。
「あなたに呼び出されたアイツは誰を呪えばいいのか判らなかった。それで、あなたのところに確認に来たの。あなたを呪ってもいいのか ? ってね」
「そ、そんな事って!」
「呪いとは、そういうものよ。誰かを呪えば必ず自分にも返ってくる」
「わ、私は誰かを呪ったりなんて・・・」
「そうかしら ? 例えぬいぐるみでも脳天に釘を突き刺すなんてマトモじゃ無い」
「う、うぅ・・・」
私の目から涙がこぼれ落ちた。
草薙さんは優しく私を抱きしめた。
「あなたは好きな人がいるのね。その人に振り向いて欲しかった。恋は盲目って言うけど私には恋愛感情っていうものは良く判らない。多分、その時のあなたは好きな人を想うあまりに正常な判断が出来なくなってしまったと思うの。それで、好きな人に近づく女の子に呪いをかけてしまった」
私は、草薙さんの胸の中で泣き続けた。
「それであなたに呼び出されたアイツは呼び出した人を呪う事にした。もういいかい
? あなたを呪ってもいいかい ? ってね」
「そ、そんな事ってあるの ? 」
少し、落ち着いた私は草薙さんに尋ねた。
「呪いってものはそういうものだって言ったでしょ。誰かを呪えば、必ず自分にも返ってくる。アイツは誰を呪えばいいのかわからないから、呼び出したあなたを呪うしか無かった。そうしなければ元いたところへ帰れないから」
「どこへ帰るの ? 」
「それは私にもわからない。ただ、私達の日常の隣には得体の知れない何かがあるって事」
やっぱり、私にはよくわからない。
「それで、私はこれからどうしたら良いの ? 」
「あなたが呼び出したものは、元いたところへ帰したわ。押し入れの中のものは私が浄化して処分する」
「じゃあ、私は助かったのね」
私は安堵の息をついた。
「念の為に言っておくけど」
草薙さんは怖い顔になった。
「今回の件であなたも懲りたと思うけど。2度と変な事はしないでね。誰かを呪うなんてバカげた事よ。人を妬んだり恨んだりする前に、あなた自身がもっと強くなりなさい。あなたなら出来るわ」
「ホントに ? 」
「ええ。偶然にせよ、あんなものを呼び出せたんだから。あなたには力がある。もっと自分に自信を持ちなさい」
「ありがとう!」
私は草薙さんに抱き着いた。
「ちょ、ちょっと」
草薙さんは驚いたようだったけど、私の事を抱きしめてくれた。
それから、2人で笑いあった。
「私、草薙さんともっと仲良くなりたい。この弱い私を鍛えて欲しい」
草薙さんは、ちょっと目を丸くしたけど悪戯っぽく言った。
「そうねぇ。あなたには素質があるのは事実だし。でも、私の修行はキビシイわよ」
「はい!お師匠様!」
それから、また2人で笑いあった。
私は、こんなに晴れやかな気持ちになれたのは久しぶりだった。
窓の外では満月が優しい光りで、この現世を照らしていた。
第1章 終わり
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