三章 その②

「セレーネさん。こんな事に巻き込んでしまってすまないな」

 その時、ドレンが念話の魔法でオヨメに謝罪の言葉を送って来ました。

 そのたった一言でオヨメの心はメロメロです。有頂天です。正に夢見心地でした。

 マイト司教への殺意などどこかに消し飛び、ドレンの気遣いだけがオヨメの脳内を占拠してしまいました。恐るべしオヨメ脳。

「いえ。問題ありません。私はドレン様をお守りするだけですので。むしろこういった危険な場に立ち会えて良かったと思っております」

 内心の浮かれ振りなど露とも表さず、お澄まし顔で言ってのけます。これもオヨメの持つ花嫁スキルの内の一つです。

 状況は混沌としながらも徐々に教会騎士達の方へ天秤は傾いて行きます。

 王国軍の半数近くが倒され、ゴロツキ達も自分達が優勢であると気付けば現金なもので、冷静さを取り戻すと周囲の者たちと連携を図り、組織立って王国軍に襲い掛かり始めました。

「一時はどうなるかと思ったが、あ奴らも思ったよりは使えるな。無事に切り抜けられそうだな」

 マイト司教は戦況の推移に安堵の言葉を漏らします。

「いえ。直に王国軍の本隊が到着するでしょう。そうなれば今度はこちらが挟撃される側となりましょう。一刻も早くこの場から移動したい所ですが……」

 ドレンはマイト司教に諫言しながら周囲の警戒も怠りません。そしてその目が一筋の希望を捉えます。

 ある一本の路地の奥、ゴロツキ達の後ろから教会騎士の姿が見えたのです。

 遂に脱出口が開けた瞬間でした。

「司教様。こちらへ」

 路地を駆け抜けて来た教会騎士がドレンに対して合図を送っていました。

 それを受けて直ぐにドレンは司教を逃がす手筈を整えます。

 ゴロツキ達は王国軍を蹂躙するのに夢中で、司教たちの動きには気付いていません。

 このまま路地から脱出を図ろうとしたその時でした──。

「マイト司教ともあろう御方が! こそこそと逃げ出すとは! 嘆かわしい限りですな!」

 空からマイト司教をなじる、朗々ろうろうとした声が降って来ました。

 多くの者は一時戦いの手を止め思わず空を見上げました。一部の目敏い者は司教の姿を探していました。

 振り仰いだ視線のその先、マイト司教達から見て路地の入り口にあたる民家の屋根に二つの人影がありました。

 その内の一人、若い男が威風堂々たる姿で大通りを埋め尽くす有象無象達を見下ろしていました。

「きぃさまぁぁぁぁぁ! ザウルめ! よくも嵌めてくれおったなっ! 今直ぐ八つ裂きにしてくれるわ!」

「カカカ! 醜い豚は良く吠えおる! そうは思わんか?」

 ザウルは横の男──キョウソに問いかけます。

「ははは。それは豚に失礼というものでしょう。彼らは非常に有用です。あの様な生ごみと一緒にしてはいけませんよ殿下」

「くっははは! お主の言う通りだ! これは私の間違いを謝罪せねばなるまい!」

 二人の挑発に怒髪天に達したマイト司教は、周囲の教会騎士達に攻撃を命じます。

「マイト司教! 脱出が先です! どうか! 今はこらえて下さい!」

「うるさい! 黙れぃ!」

 ドレンの必死の言葉も今のマイト司教には届きません。むしろ邪魔者扱いです。

 しかしそんな程度で怯む様なドレンではありません。ヴェンストの叱責に比べればどうという程の事もありません。

 ザウルがここにこうして堂々と姿を現した以上、時間的猶予がなくなったか、もしくは最後の僅かな時間を稼ぐためかのどちらかに違いないとドレンは読んでいました。

 正解は──前者の方でした。

「マイト司教! 最早貴様に逃げ道はない! 観念するのだな!」

 ザウルは剣を高々と掲げます。

 キラリ。と陽光を反射して光る抜き身のつるぎを、マイト司教を指し示す様に振り下ろします。

「全軍! 掛かれ!」

「うおおおおおおおおおおおおおお!」

 ザウルの号令一下、王国軍本隊の大音声だいおんじょうがビリビリとドレン達教会騎士の体を震わせます。

 王国軍本隊は孤立している別動隊を囲む教会騎士を、更に包囲する形で展開しています。

 教会騎士とゴロツキ達は完全に袋の鼠と化していました。

 これが普通の兵士が相手であればここで勝敗は決する所ですが、信仰に命を捧げた教会騎士達は違いました。

 逃げ場が無くなったと理解した瞬間、彼らの意識は司教の救助から死を恐れぬ狂戦士のそれへと変貌を遂げていました。

「ああああああああああああああああああああああ!」

 数で勝る王国軍に一歩も怯む事無く突撃を開始しました。

 槍で突かれ、剣で斬り伏せられても、その足が、腕が、指が動く限り戦い続けるのです。

 一方的な展開になるかと思われた状況から、正に死力を尽くしての抗戦で戦況は拮抗していました。

 本来なら死兵とならない様に逃げ道を一つは残しておくのが常道ですが、万一にもマイト司教を逃す訳にはいかないという判断でした。

 双方に多大な被害が出るのを承知で、それでもなおザウルはこの機会を逃す積りはありませんでした。ですが、決して被害の拡大を甘んじて見ている積りもありませんでした。

 戦況が硬直し始めたのを見て取ったザウルは屋根から一息に飛び降ります。

「その首、私自らの手で刎ねてやろう!」

 敵の首魁を討取り、早期に決着を図ろうというのでしょう。

 自ら危地に飛び込む事を何とも思っていない様でした。

「させん!」

 ドレンが今にもマイト司教に斬り掛ろうとするザウルの前に立ちはだかります。

 ガキィン!

 ぶつかり合うザウルとドレンの剣が火花を散らします。

「莫迦め! 自ら飛び込んで来よるとわ! 今がチャンスだ! 討取れぃ!」

 マイト司教の号令で、周囲を警戒していた教会騎士達が振り返り、ドレンと斬り結んでいるザウルに襲い掛かります。

「やはり貴様は愚かだな! 坊主は坊主らしく祈りだけ挙げていれば良かったものを!」

「ほざけ! これだけの数、幾ら貴様の剣の腕が立とうとも、捌き切れるものではないわ!」

 その言葉通り、四方八方から繰り出される剣撃を一本の剣で捌くのは、普通の人間の範疇であるザウルには不可能な事でした。

「まさか何の用意もなく飛び込んで来たと、本気で思っているのか? 馬鹿めがっ!」

 ザウルがそう言い放つと同時、教会騎士達の剣がザウルに叩き込まれました。

 バシィィィィィィィン!

 と聞きなれない、剣が肉や骨を断つものとは大きく異なる音が響きます。

 見ればザウルを捉えた教会騎士達の剣は、全て粉々に砕け散り雲散霧消していました。

「ば……莫迦な……」

 一方ザウルの体は薄膜の様な光のヴェールに覆われていました。

 キョウソに事前に防御の秘術を掛けて貰っていたのです。

 キョウソがザウルに掛けた光のヴェールは、あらゆる攻撃から身を守ってくれる万能な代物です。物理・魔法はおろか、呪いや毒の類にも効果を発揮します。強度は術者の力量に比例するため、その光のヴェールは通常では考えられない程の防御力を備えています。

 常にキョウソが纏っている防御膜と同じものを施していますので、ユーシャやオヨメに匹敵する様な連中でなければ攻撃を通す事など不可能と言っても過言ではありません。

 更に魔力の弱い武器などは防御膜の反動に耐え切れず、砕け散る定めにありました。

 つまり、この場でザウルを止める事が出来る者は、傍観しているユーシャとドレンの事しか眼中にないオヨメだけだという事です。

 ドレンの武器が破壊されていないのは、ザウルと斬り結んでいたからで、それはドレンの武器が破壊されればオヨメが参戦してくる可能性があるからです。ドレンを窮地に追い込まない事が大事ですよと、キョウソからのアドヴァイスでした。

「殿下はそのままドレン殿と遊んでいてくださいね」

 キョウソもふわりと屋根から飛び降りて着地すると、急ぐ様子もなくスタスタとマイト司教へと歩み寄ります。

「待て! ……くっ!?」

「貴公の相手は私だ。余所見をしていると怪我をするぞ?」

 キョウソを止めようとしたドレンをザウルが牽制します。

 他の教会騎士達はザウルを仕留めに行けばいいのか、キョウソを止めればいいのか判断に迷い、迷った結果行動は遅れ、更に個々がバラバラに判断して動いてしまった為に集団の利を活かせていませんでした。

 キョウソを捕らえ様と掴みかかって来る教会騎士達を軽くあしらい、何の障害もなかったかの様に一歩、一歩マイト司教へと着実に近付いて行きます。

 一足飛びで目の前まで行く事は容易ですが、敢えてキョウソは時間を掛けていました。

 マイト司教が恐怖を味わう時間を長引かせるためです。

「グゥゥゥ……貴様……星霊教会の司教たるこの儂を手に掛ければどうなるか……。分かって居らんようだな!」

「はっはっ! あなたこそ私が誰か分かって物を言うのですね。腐った星霊教会のゴミ共は全て私が掃除してくれましょう」

「貴様一人で星霊教会を敵にまわそうというのか? 莫迦めがっ!」

「プロペート・クレンティア。司教ともなれば、この名に聞き覚えがあるのでは?」

「プロペートだと……? ふん。そんな名前など……プロペート……プロペート……はっ!?」

 司祭以上の位階の者には伝えられている現界する悪魔の名。絶対なる教会の敵対者──。

 この一年だけでも彼の者により星霊教会の重鎮が幾人も殺されていました。その全員が全員、待ち構えていた教会騎士の精鋭達ごと殺されていたのです。この事実は教会指導部を震え上がらせていました。奴に狙われたら逃れる術はないという事を示していたからです。

 彼の悪魔が活動を開始してから十と余年で、教会の犠牲者は万にも及ぶのではないかと言われています。

「貴様があの……死王プロペート……」

 マイト司教の顔は驚愕に染まっていました。

「おや? 教会ではそんな風に呼ばれているのですね。まあ、あなた方に何と呼ばれようとどうでも良い事ですが。ですが、折角の呼び名ですし、期待に添いましょうか」

「ヒィィィィ! 寄るな! 来るな! 来るんじゃない! おい! 貴様ら! 儂を早く助けんか! 破門にするぞ!!」

 マイト司教の絶叫を受けて、ザウルを取り囲んでいた教会騎士達もキョウソへと向かって行きます。

 しかしそれでもキョウソを止める事は叶いません。

 着実に、確実に近付いて来るキョウソに、マイト司教は只々後退り距離を取るしか出来ません。とはいえ、広い大通りにも終わりはあります。そしてその先は深い深い王城の堀です。

 落下防止の柵まで追い詰められたマイト司教は今にも堀に飛び込みそうな勢いです。

「あああああああああああああ! 来るな来るな来るな来るな!」

 半狂乱になって叫ぶマイト司教には、最早正常な判断能力などありません。キョウソから逃れる為だけに、ついに堀へと飛び込んでしまいました。

裁きの一撃ジャッジメント・レイ!」

 堀の水面に向かって落ちて行くマイト司教を、キョウソが放った光の筋が貫きます。

 ドボンとマイト司教が落水した場所は、赤く染まっていきました。

「ゴミに相応しい死に様でしたね」

 放って置いても溺死するのは確実でしたが、キョウソは自らの手で確実に始末する事にしていました。

「さて。どうしますか?」

 キョウソは教会騎士達を振り返り、そう問いかけます。

 マイト司教の死を目の当たりにした教会騎士は、次々と剣を手放し投降の意を表しました。

「我々は、これからどうなりますか?」

 他の教会騎士と同じく、剣を放り出し抵抗を諦めたドレンはザウルに問います。

「どうもせんよ。司教と弟の命にしか用はないのでな。無用な血は好まん」

「信じましょう。司教の事は上手く処理しておきますよ」

「そうしてくれると助かる。教会と対立せずに済むならそれに越した事はない」

「ヴェンスト殿下の事は……」

 それはドレンに残された唯一の気がかりでした。

「継承戦争の習わしだ。死んで貰う以外にはない」

「…………ですか」

 ザウルの断言に、ドレンは慙愧ざんきに堪えません。しかし今更どうする事も出来ませんでした。

 王国軍によってゴロツキ達は連行、教会騎士達は武装解除の後に教会に暫く謹慎しているように命じられました。

 王国軍と教会騎士団との会戦は、王国軍側の勝利で幕を閉じました。

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