一章 その③
洗濯以外の方に時間の掛かる洗濯を終えて家に戻り、軒下に洗った服を干して行きます。朝の日課ももう手慣れたもので、全て済ませてもまだ七の刻にもなりません。
起床の遅い人だとまだ寝ている様な時間です。
ステンはそんな朝も早い時間に家を後にします。
念の為、家を出る前にキャップを深く被って顔を分かりづらくしておきました。
向かう先は「斡旋所」と呼ばれている場所です。
斡旋所は依頼人と仕事人を結びつける事を
斡旋所はいつも「何か良い依頼はないかな?」と物色に来る仕事人と、何処に依頼を出せばいいのか分からない人や、どこのギルドにも断られた様な依頼を持って来る人達でごった返しています。真っ当な? 依頼は全体のさて、何割でしょうか。
斡旋所は食堂も備えており、依頼人と仕事人の商談にもよく使われています。それもそのはず、商談で所内のスペースを占有するなら金を払えという所長の言葉に、なら何か出しやがれという
そんな斡旋所も混んで来るのは昼前あたりからで、流石にこの早朝の時間はガラガラです。
食堂にポツポツと朝食を取っているお客さんが居るくらいで、依頼の張り出し板や受付のカウンターの方に人は居ません。
「おっちゃん! 何か良いの入ってる?」
ステンは依頼の受付カウンターに居る所長のバルに声を掛けます。本来は掲示板に貼り出されている中から自分で探すのですが、他に人が居ないので許されています。あと、ステンだからというのも大きな理由でしょう。美少女? はお得なのです。
「おう。ステンか。今日も早いな。お前さん向きのがあるぜ」
掲示板に貼り出されている物は所定の用紙に依頼内容等を書き写した物です。原本は所長が纏めて管理しています。ですので、朝早くに来るとまだ貼り出される前の依頼などがあったりするのです。
そんな原本の束をバサバサバサと捲り、目的の一枚を抜き取ります。
「これだ」
差し出されたそれをステンは受け取ります。
「昨日の夜に出されたモンでな。街の観光案内だな。メジャーどこからマイナーなとこまで、詳しければ詳しい程いいって言ってたぜ」
「ふーん……どんな奴だった?」
依頼内容を一言一句逃さない様に見つめながら依頼人の印象を訊ねます。
人を見る目に関してバルには到底及ばない事をステンは自覚しています。
「そうだな、ぱっと見は優しさの中にしっかりとした芯があるのを感じさせるイケメンのにーちゃんだな」
「へー、そりゃいいじゃん」
「ただ、俺の目は誤魔化せねぇな。ありゃあ只モンじゃねぇ。間違いない。一つ一つの所作から伝わって来る鍛錬の深度に対して、纏ってる気配が全くと言って良い程ない。強者のオーラってのがな。そこらの一般人程にもないってんだから、俺は逆に腰を抜かしそうになったぜ。ありゃーもしかすると、噂に聞く勇者サマって奴かもしれんな」
「へー、そりゃすげぇや」
「おいおいステン、信じてねぇな。マジだからな?」
「信じてる信じてる。はいはい。勇者勇者。ったくそんなもんがこんなトコ観光なんかに来るかってんだ。勇者サマは世界を救うのに忙しいんだろ。知らねーけど」
ステンは呆れた様子でバルの言葉に真面に取り合おうとはしません。
「まあいいや。で? どうする?」
「悪い奴じゃなさそうなんだろ? だったら受けるよ。街の案内なら得意だしな」
「良い奴って訳でもなさそうだったがな。まあ大丈夫だろ」
「勘か?」
「勘だ」
「なら当てになるな」
ニシシとステンは笑います。
「そりゃどうも。見たと思うが、大体の事はそれに書いてある通りだ。依頼人が来るまでまだ時間があるが、飯でも食って行くか?」
「いや、飯は食って来たからいいや。……あー、じゃあ、何かジュースでも頼むよ」
「おう。いい
「あーい」
バルが食堂の料理人にステンのジュースの注文を通しているのを背中で聞きながら、空いていた窓際のテーブルに座ります。
然程も待つ事無く給仕がステンの所に搾りたてのジュースを持って来ました。
先に勘定を済ませてゆっくりとジュースを味わいながら、窓から外を眺めます。
「……うまっ……」
幾つかの果実が絶妙にミックスされたジュースは、思わず声が漏れる程の美味でした。
至高のジュースに舌鼓を打ちつつ道行く人を眺めていると、
その青年をステンはそれとなく眺めていると、青年がキョロキョロと視線を左右に向けています。何かを探している様子です。もしやとステンが思い至るのと、その青年が此方──斡旋所の看板に視線を向けたのはほぼ同時でした。
カランコロン。
斡旋所の扉を開けた証の鈴を鳴らし、
青年はそのまま受付に居るバルの所へ向かいます。
「おはようございます。早速で何ですが、依頼の方は誰か受けて貰えそうですか?」
「おう。おはよーさん。受けてもいいって奴があそこで待ってるぜ」
バルはステンの方を示します。
「ありがとうございます。夜に急な依頼で……」
「構わんよ。それが俺の仕事だからな。あとはお宅らで良い様にしてくれ。ところで……」
「?」
「ウチの自慢の朝食は食って行くかい?」
商売上手なバルの言葉に青年は、「それじゃあ是非」と頷きました。
「初めまして。俺はアストラ・バリエンテ。依頼を受けてくれたのがこんな可憐な少女とは、光栄だ」
「オレはステン・ブルムンだ。依頼を受けるかどうかは今からの交渉次第だ。あと言っとくがな、オレは少女じゃねぇ」
ステンの言葉にアストラはまじまじとステンの全身を見回します。
全体的に華奢な体付きに、十代半ばの男子にしては小柄な体躯、胸は確かにあまり無い様ですが腰はキュッとくびれています。
「どう見ても美少女にしか見えんが……美女だったか。これは失礼」
「そういう事じゃねぇ! オ・ト・コだって言ってんだ!」
「…………? ──っ!」
どこからどう見たって女の子にしか見えないステンの言葉に疑問しか浮かばないアストラでしたが、脳内で閃きました。
(そうか! これがオレ系女子というヤツかっ! まさか男を演じる所までやるモンだとは思わなかったぜ。今度キョウソのヤツにでも教えてやろ)
アストラもステンのご近所さんと違わず、似た様な勘違いをしていました。
女性には年齢関わらず基本お優しいアストラは、そうと気付けば野暮な事は言いません。
「そうか。ステンは男だったか。綺麗過ぎて間違えてしまったようだな。はっはっは」
「……まあ、分かってくれれば良いんだ」
言葉ではそう言いながら、ステンはじとっとした視線をアストラに向けています。
アストラの反応がどうもご近所さんと同じ様に思えるからです。本当にオレが男だって信じてんのか? と疑っていました。
「お待たせいたしました。こちらモーニングセットでございます」
給仕さんがアストラの料理を運んで来ました。
「ああ。ありがとう」
スッと給仕さんに代金より多めの額を渡します。差額はチップです。
「それではごゆっくりどうぞ」
自然な動作でそれを受け取ると、給仕さんは丁寧な所作でテーブルを後にします。
一連の流れを見ていたステンは、疑いの視線から一転、感心の眼差しを向けていました。
何か特別な事をしたつもりのないアストラには、何がステンの琴線に触れたのかが分かりません。
「おーおー、今のチップって奴だろ? 何て言うか、大人! って感じだな!」
ステンは声を落としながらもとても興奮した様子です。
「この国はチップを渡す習慣が……いや、そうでもないか」
あの厭らしくならない自然な動作は、一朝一夕で身に付くものではありません。
「この食堂に来るような奴らはチップを渡せるほど金に余裕がねーのさ。オレもだけどな。う~ん、でも今の見るとやっぱちょっと憧れるぜ」
「そんな御大層なもんじゃないさ。ちょっと今は懐に余裕があるんでね。──それより、食べても?」
アストラはこの街に着く少し前に運よく野良の山賊と遭遇。容赦なく全員成敗した後で金目の物を全て頂戴したので、珍しく懐がホカホカでした。
「おお。食え食え。冷めない内にな。ここの飯は安いくせに美味いんだ」
ステンの了承も得て、アストラは運ばれて来た朝食を口にします。
「おお! 美味い!」
「だろ?」
何故か得意げなステンは、バルから受け取った依頼書をテーブルに置きます。
「ああ、いい。食べながら聞いて、良ければ頷いてくれ」
一旦食事を中断しようとしたアストラに、ステンはそのまま食べているよう促します。
「依頼内容は街の案内となってるが、観光か?」
アストラは少し考えて首を横に振ります。
「観光ではないけど、街の中を色々見て回りたいって事か。その中には観光スポットがあってもいい? とかそんな所か?」
コクリと頷きます。
「了解だ。期間は短ければ数日、長ければ一月程度。結構幅があるけど何かあるのか?」
これにも頷きます。
「報酬は応相談っと。オレの希望としては一時間あたり五千ドーン──アストラが食べているモーニングセットが五百ドーン、ステンのジュースは三百ドーン──ってとこだけど、どうだ?」
内容は悪くない──どころかステンにとって有難いにも程がある依頼で、絶対に逃したくない……だけに、旅慣れてそうなアストラ相手に足元を見られない様に、ステンは初め少し報酬を吹っ掛けました。ステンくらいの子供の案内人の報酬額は、一時間で精々千から二千が相場でした。観光ギルドのプロの案内人の場合は桁が一つは違ってきます。その間を取っての出来る案内人アピールのつもりです。
これに勿論アストラは首を横に振ります。
「ははっ。流石に分かってるじゃねーか」
自分の思った通りの流れに、ステンは気を良くします。
「じゃあ四千ならどうだ?」ブンブン。「三千」ブンブン。「二千五百」ブンブン。「二千!」ブンブンブン。
あまりの否定っぷりに少し焦りが出て来るステン。もしかして最初に吹っ掛けたのが気に入らなかったのか? と顔が蒼褪めて来ています。
「じゃ……じゃあ……」
最後の一声。コレで駄目ならどうしようと思いつつ切り出そうとしたステンを、空いていた右手を突き出してアストラは待ったを掛けます。
モグモグゴクン。
手早く食事を食べ終えたアストラが口を開きます。
「何か誤解してそうだからちょっと待て。報酬は一日三万ドーン。日の出から日の入りまで。もしくは期間中ずっと行動を共にしてくれるなら、一日五万ドーン出そう。どうだ?」
アストラの提示した金額はステンにとって十分すぎる額でした。
交渉を始めた時点のステンなら「直ぐに頷いては舐められる」とか考えて、考える素振りなんかしてみせたでしょうが、今のステンにそんな心の余裕はなく、一も二もなく気付いたら頷いていました。
「オーケー。日中だけにするか? 丸々付き合うか?」
これにはステンも少し考えます。
「どっちにしても期間中の費用は全部俺が出すから安心してくれ。俺としては出来ればずっと一緒に居て貰いたいが……」
そう言ってアストラはジッとステンを見つめます。
何かその視線にステンは嫌な物を感じなくもなかったのですが、良くある性欲の対象として向けられる視線の嫌悪感とは違っていました。それに二万ドーンのプラス報酬は、非常に、ひっじょーに! 魅力的でした。
「夜の部屋を別に用意してくれるなら……良い」
「勿論。ただ、夜に出る予定もしているから、その積りでは居てくれ」
「ああ。分かった」
「よし! じゃあ契約成立だな!」
「ああ。宜しく頼むぜ」
ステンとアストラは契約成立の握手を交わしました。
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