一章 その②

「──なんて言っておるのだろうな、あの馬鹿な弟は」

 王城にある寝室でザウルは窓から見える丘の上の教会に、憐みの視線を向けていました。

「まあ、それもこれも、直ぐに全員を殺してやれなかった私の不徳の致すところであるな」

「左様で御座いますな。遅くとも三日の内には済ませてしまっておくべきでしたな。可能であれば当日中が最善ではありましたが。まあ今となっては詮無きこと」

 ザウルに敢えて苦言を呈するのは、古くからノールデン王家に仕える老騎士スホルステン・ライバッハです。先王の継承戦争時には既に王の右腕として仕えていた古参の重鎮です。老齢の域に突入していますがまだまだ矍鑠かくしゃくとしており、こうしてまだ若いザウルの補佐を務めています。ザウルも自らの寝室に招くほど彼には信を置き、時折はわずらわしく思う事もありますがこれも私の事を思っての事と、能々わざわざ彼の言葉に耳を傾ける様にしていました。

「父上がああも早く身罷みまかられるとは思わなかったからな。流石に準備が足りなかったゆえ、討ち漏らしが出たのは致し方ない。教会が匿ったのはちと予想外であったが」

「今の司教殿は実に分かり易いお方ですからな。目の前に転がり込んで来た鴨を逃がしてやる気にはなれなかったのでしょうな。目先の欲に忠実な御仁ですからなあ」

「マイト司教か。あれは実に俗物の化身の様な男だからな。利に聡いと言えば聞こえは良いが、欲にまみれておるだけだ。まあだからこそ今までこちらの良い様に転がすには丁度良い男であったが……こうして敵に回すと中々に面倒な相手よ」

「いざいざとなれば、それがしら一同、教会騎士ばらに遅れを取るものではありませぬぞ。一命を賭して見事討ち果たして見せる事、お約束申し上げまする」

「その様な心配はしておらぬよ。数、質、共に我らが上ぞ。そこにお主等の武勇が加われば負ける道理などあるはずもなし」

「有難き幸せ」

「懸念が一つあるとすれば……」

「第三の継承者……でございましょうか?」

「いや……それも私は気にしておらんよ。覚悟のないあいつは血眼になって探しておる事だろうがな。本当に……馬鹿なヤツよ」

「何かお考えがあるようで、安心いたしました」

「何だ。お主までそんな事を気にしておったのか」

「この歳にもなると些細な事も気になってしまうようでしてな」

 スホルステンは茶目っ気のある笑みを浮かべます。

「ぬかしおる。まあよい。私の懸念は司教以上の者だけが持つ権限だ」

「破門……ですな。ふぅむ……確かに、破門を言い渡されては兵の士気はガタ落ちでしょうな。下手をすれば戦わずして軍が瓦解しかねませぬ」

「手は打ってはみたが、僧侶殿の働きはどうか?」

「……? ……ああっ! あの僧侶殿ですか。教会と対立しておるのに、堂々と城の中を歩き回って説法をしておったので一体何者かと思うてはおりましたが、殿下の差配でしたか。兵達も熱心に耳を傾けて居りましたぞ」

「そうか。順調そうで何よりだ」

「どういった御仁で?」

 スホルステンは当然の疑問をザウルに投げ掛けます。平時ならともかく、今は戦時にも等しい状況です。ザウルが雇った人物と言っても、頭から信じる訳にはいきません。得体の知れぬ僧侶だとして実は部下の者に密かに見張らせていました。

「『神』というものを信仰しておるそうだ。星霊教そのものは信に値するものの、星霊教会という組織は潰してしまった方が良いと、あの教会の前で堂々と説法していたのを見てな、これは余程の馬鹿か大物だと思うてな」

 カッカッとその時の様子を思い出してザウルは笑います。

「それは確かに中々に豪胆ですなあ」

「その後がまた実に愉快でな」

「と、申しますと?」

「当然その様な奴ばらがれば、教会の人間が黙っている筈もなし。とは言え、何か暴れている訳で無し、直ぐに暴力に訴えては教会の沽券に係わると思うてか、まずは司祭達が教会批判を止める様説得に行ったのだが、逆に喝破されて這う這うの体で逃げ戻って行く姿は実に滑稽であったわ」

「しかし、そこまでやってしまいますと──」

「そうだ。今度は教会騎士達が数人出てきおった。今直ぐ立ち去るなら良し。さもなくば実力で排除する事になるぞと、その僧侶を脅した訳だ。そうしたら僧侶はどうしたと思う?」

「頭と口のキレる御仁の様ですが、流石に武装した兵を複数人は相手に出来ますまい。今この城に滞在しておる事を考えれば、殿下が場を収められたのでは?」

 とスホルステンは至極真っ当な解答を導き出します。僧侶というものは基本的には頭脳派──悪く言えば頭でっかちな連中が大概だというのがスホルステンの認識です。中には厳しい修行を経て肉体と精神を鍛え上げ、武芸にも深く通じている者も居る事は承知していますが、そういった人物こそ逆に争いは好まない傾向にある上に、武装した兵を複数相手取れる様な達人はどれ程も居ません。

「私もここらが潮時と思うて助けを出そうかと思うたその時だ。あ奴はまたしてもぬけぬけと言い放ちおった」


「口で負けたから手で勝とうとは、教会の程度がしれますね。まあいいです。どうぞ掛かって来なさい。恥の上塗りをさせてあげましょう」


「まるで臆する事無くな。その挑発にまんまと乗った教会騎士が僧侶に襲い掛かったのだが、奴らの武器が僧侶の体に触れる事は一度としてなかったのだ。僧侶の張った防御結界に触れるや否や粉々に砕け散っておったわ。それを見て慌てて応援を呼んだのはむしろ逆効果であったな。応援に駆け付けた騎士達も皆武器を破壊され、ニコニコと笑みを浮かべている僧侶に一人ずつ確実に打ち倒されて行く様は、最早憐れを誘っておったわ」

「それはまたとんでものう御座いますな……」

 ザウルの話が余りにも現実離れし過ぎていて、信じていいやら冗談が過ぎると笑えばいいのやら、流石のスホルステンも反応に困っている様に見えます。

「爺め、信じておらぬな? まあ無理もない。私も自分の目で見ておらねば到底信じられん話だ。だが、私が言っている事は全て真にあった事だ。しかもまだそう前の事ではないぞ? 一部始終を見ていた信者たちも居ったからな、裏取りでも何でも後でしてみるが良い」

「それには及びませぬ」

 一転、ニヤリとスホルステンは意地の悪い笑みを浮かべます。

「ふ……手の早い事だ」

 既に調べ上げていた様です。

 その上で、さも何も知らない様なフリをしてザウルの反応を窺っていた様です。

 スホルステンの調べによると、くだんの僧侶の名はプロペート・クレンティア。三十五歳独身。各地を転々と旅しながら新興宗教の布教に努めており、金に五月蠅く契約に厳しいとの事。裏は取れていないが、次代の勇者と目される人物の仲間であるとかないとか。仲間内からはキョウソと呼ばれているらしい。

 ザウルはキョウソ本人から聞かされていた内容と、スホルステンの報告に違いがない事に一つ頷きます。

「流石は爺。私は良き臣下を持った」

「勿体なきお言葉。殿下こそ、この時期にこの様な都合の良い人物を見付けて来られるとは、天が味方しておられるようですな」

「これでマイト司教も、そう易々と破門の切符は切れなくなったであろうよ」

「噂の方も抜かりなく。既に教会にも伝わっておりましょう」

「でなくば困るわ。我らが改宗したと聞いたマイト司教の顔が拝めんのが少々残念だな」

 はっはっはっ、と二人してマイト司教を肴に笑い合います。

「ところで──」

 またもやスッと表情を一転させたスホルステンから、激しい怒気が放たれます。

 気の弱い兵士なら腰を抜かし涙を流しながら這う這うの体で逃げ出し、熟練の兵達でも体が硬直してしまう程の強烈な気配に、ザウルの体も反射的に「ビクッ!」と反応しています。


「供回りも連れず城外を出歩くなど、何を考えていらっしゃるのか! この大馬鹿者がっ!!」


 スホルステンの怒声に、ガラスの窓はビリビリと震え、部屋の外で番をしていた兵は自分が叱られている訳でもないのに慌てて居住まいを正しています。

 スホルステンの怒りはもっともで、ザウルも気まずそうな顔で明後日の方を向くしかありません。

 ヴェンスト派に命を狙われている立場でありながら、護衛もろくに伴わず城外へ出るなど暗殺してくれと言っているようなものです。

「こうして今ここに居るのだからいいではないか……」

「いい訳がありますかっ!」

 ザウルの苦しい言い訳は、スホルステンの怒りに油を注いだだけでした。

「まったく、大体昔から殿下は…………」

 その後、スホルステンのお説教は日を跨ぐまで続けられたとか。


 ◇


 男達からの逃亡劇から一夜明け、ステンは陽が顔を出す頃には自然と目を覚まします。幼い頃からの習慣なだけで今ではそこまで早起きする必要はないのですが、そんな習慣が早々抜ける訳もなく、特に不都合も感じていなかったので改める気もありませんでした。

 昨日は着の身着のままで寝てしまったので、着替えを取りにクローゼットへ向かいます。クローゼットを開けると中は母が生前買ってくれた服で一杯です。比率としては男物三に対し、女物が七です。勿論全部ステンの物です。母の服は欲しがった夜の客に高値で売り付けてやりました。当面の良い生活費になりました。

(こんなモンばっか買ってるから金が貯まらねぇんだよ。ったく……)

 母はお金に余裕が出来るとすぐステンに服を、それも女物を買って来て着せるのが趣味でした。嫌がるととても悲しそうな顔をし、着てやると大喜びするので、渋々母の着せ替えショーに付き合っていました。

 少ないながらも確保されている男物は、自分の小遣いから買った物です。

 女物の服はもう必要ない物ですが、母から貰った思い出の品でもあって中々手放せず、こうして今でも肥やしになっていました。

 その中から男物の上下を引っ張り出して着替えると、脱いだ服を持って一階へ。朝食を済ませると、共同の洗い場へ行き服を洗ってしまいます。

「あら、ステンちゃん。今日も早いわね。ちゃんと食べてるかい?」

「おはよう、バットさん。育ち盛りだからね。食べなきゃやってられないよ」

 親し気に彼女? ──ステンに声を掛けて来た恰幅の良い中年女性に、ステンはにこやかに応えます。この位の時間の常連同士で近所なので、良く知った仲でした。

 天気の話から始まり、旦那の愚痴から惚気、ご近所の色んな噂話などを滔々とうとうと聞かされるのもいつもの事。

「何か困った事があったらいつでもウチに来な。飯と寝る所くらいはいっくらでも用意出来るからね。お金は大してないけどね! なんならそのまま住んだって構わないよ。丁度娘が欲しかったところさね」

 アッハッハッハッ! と豪快に笑うバットさん。

「知ってる。あと娘じゃねーし!」

「相変わらず冗談が下手だねぇ。こーんな美人な顔の男がどこに居るのさ」

 これはバットさんに限らず、ご近所さん皆の感想です。未だに男だと信じて貰えておらず、男の子っぽく振舞っている女の子だというのが共通認識です。

「むぅ……」

 ステンが唇を尖らせて不貞腐れていると、

「ほーらまたそうやって! こんなおばさんをその可愛さでメロメロにしてどうしようってんだい」

 バットさんはぎゅーっと力強くステンをハグします。

 バットさんの豊満な胸に顔を埋める事になったステンは、恥ずかしさと苦しさでジタバタと暴れますが、腕力でも体重でも到底及ばないため振り解く事は出来ませんでした。ステンからは見えませんでしたが、バットさんは少し辛そうな、悲しそうな表情を浮かべていました。

「ぷはっ!」

 満足いくまでハグされ、やっと解放されたステンは酸素を求めて呼吸を荒げています。

「あーもうっ! 窒息死するかと思っただろ!」

「羨ましいかい? ステンちゃんは美人さんだけどペッタンコだからねぇ……」

「あ・た・り・ま・え・だ!」

「怒らない怒らない。また今度おっぱいを大きくする秘訣を教えてあげるさね」

「だからオレは男なの!」

「はいはい。分かってる分かってる」

 絶対分かってくれてない返事の仕方です。

 そんな二人の遣り取りを周囲のご近所さんも楽しそうに見守っています。

 大体いつも二人の会話といえばこんな調子なのでした。

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