一章 その①

 すっかりと陽が沈み、魔光灯がいとうが街を明るく照らしています。

 仕事上がりで帰宅を急ぐ時間帯は過ぎ、家々には団らんの明かりが灯っています。

 賑やかな声が聞こえて来るのは道沿いに軒を連ねる酒場や食堂でしょう。正に今が稼ぎ時と、多くのお客さんで溢れています。外にまで漏れ聞こえて来る話題は大体同じ物です。

 そんな喧騒と明かりを避ける様にして、路地に隠れ潜んでいる人物がいました。

「はあ……はあ……はあ……しつこい奴らだ……まったく……はぁはぁ……」

 出来るだけ静かに息を整えながら、そっと大通りの様子を窺います。

 人通りが少なくなった大通りを二人の男が息を切らしながら走っています。

 焦っているのか慌てているのか余り周りが見えていない様で、少ない通行人とさえぶつかりそうになっては怒鳴られています。

「くそっ! 何処に行った!?」

「なんて逃げ足の速い女だっ!」

 隠れている人物にとっては大変不本意な悪態をきながら、二人の男は周りをキョロキョロ見回しながら走り去っていきました。

 二人の声が聞こえなくなるまでしっかりと待ち、更に念を入れて食事中の客が大通りに溢れるまで息を潜め続けます。

 結局、路地の物陰に一時間近くも隠れ潜む事になりましたが、背に腹は代えられません。

 上機嫌に家路へと着く酔客達に紛れる事で、追って来た男達に見付かる事無く無事に家へと戻る事が出来ました。

 家は二階建ての一軒家。前は二階を住居、一階を店舗として使っていました。花屋を営んでいた様ですが、母親は出産を機に稼ぎの良い夜の店でも働く様になりました。父親はいませんでした。生きているのか死んでいるのかも不明でした。そんな母親も客からうつされた病で昨年コロリと逝き、今は残されたこの家に一人で暮らしています。

 水回りが集められた一階を抜け、居住スペースとなっている二階へ上がります。

 二階の作りはシンプルで、部屋は階段を上がった一部屋だけ。そこに小さなテーブルと椅子、ベッドとクローゼットがあるだけです。テーブルの上には使い古されたランタン──魔光器ライトは高くて買えなかった──が一つ置かれています。

 一階から持って来た灯りからランタンに火を移すと暗かった部屋がぼんやりと明るくなり、やっと人心地ついた気持ちになります。

 男達から取り敢えず今は逃げられましたが、顔はハッキリと見られてしまいました。

 今後の事を考えると不安で圧し潰されそうになってしまいますが、さりとて家に引き籠っていては生活がままなりません。何もせずに食べて行けるような裕福な暮らしではありません。

 折角の風呂屋も先程の男達のせいで台無しです。

「……っつーか、誰が女だってんだ……」

 部屋に戻り心に余裕が出来たのでしょう、先程の事を思い出して怒りが募りここには居ない男達に文句を付けます。

 テーブルに置かれたランタンに照らされた姿は、男達が言う様に女性──年のころ十代半ばくらいの美少女にしか見えません。百歩譲って、『男の振りをしている積りだけど全然出来ていない美少女』でしょう。

「はぁ……疲れた…………」

 ポスン。

 と余り上等ではないベッドにゆっくり体を投げ出します。

「くそっ……何だってオレがこんな目にあわなきゃいけねーんだ……よ……」

 ここ一年程、外ではずっと嵌めている手袋を外し手の甲に目を遣ります。

 右の手の甲には“11”を示す数字がくっきりと刻まれていました。

「全部ぜんぶ……こいつのせいだ。何でこんなもんが俺に……っ」

 忌々いまいまし気にその痣を見ますが、何をした所で消えも薄れもしない事はこの一年近くでよくよく把握しています。

 この痣は忘れもしていません。今から十一ヵ月前、突然手の甲に現れました。

 そしてその数日後、国王が崩御された事が広く国民に告げられたのです。正式に発表されたその日時は丁度、痣の出現と時を同じくしていました。

 この痣が意味する所を、この国の民で知らない者はいません。

 それはこの国が始まって以来連綿と続いている、王位継承権を持つ事の証であり、王位を巡る争いへの片道切符でもあります。そしてこの片道切符は、渡される事を拒否する事は出来ず、渡された時点で強制参加という理不尽な物でもありました。

 そしてこの王位継承者達の争いを、人々は『継承戦争』と呼んでいました。

 国民の間では誰が勝ち残るかで大いに賭けが盛り上がっていましたが、その当事者の一人となってしまった少女? にはそんな街の様子すら忌々しい物に映ってしまいます。

 当然、その存在を誰にも知られていない少女? が賭けの対象に上がる事など無く、しかしそれは「お前は死ぬんだ」と言われている様にも聞こえ、少女? の心を蝕んでいました。

 逃れる事の出来ない死の影に心は千々に乱れ、いっそもう死んでしまった方が楽になれるのでは? 母さんにも会えるかもしれないし……なんて思考が頭をよぎるのも珍しくなくなってしまっています。

 ただその度に、

「ステン……母さんは幸せだったわ……。あなたを産めた事。一緒に暮らせた事。とっても素敵な時間だったわ。だから、ああ……ステン。泣かないで。最期に見るあなたの顔は笑顔が良いわ。ねえ。ステン。母さんの最後のお願い……聞いてくれる? 母さんにもね、一つだけ心残りがあるの。ねえ。ステン。ステンの子供が見られない事だけが、とっても残念なの。きっとステンに似た可愛い子が生まれると思うわ。ねえ。ステン。そしたらね、母さんに紹介してね。きっとよ? ちゃんとお墓の中からだって会いに行くからね。ねえ。ステン……」

 母との最期の思い出が、死へと向かいそうになる気持ちを押し留めてくれていました。

「ふふ……。子供どころか、まだ恋人だっていないってーの……」

 甘美な死の誘惑を振り切ると、それを見越したかのように睡魔が襲ってきました。

「ふあぁぁ……。明日も仕事だしな……。ねよ」

 フッ、とランタンの灯りを消して、ステンは眠りに就きました。


 ◇


 街の外れにある小高い丘の上に広大な星霊教の教会が一つ。大きな堀と高い塀に囲まれたその教会は、ちょっとしたお城の様です。王城をも見下ろす様に建てられたその教会は、教会の権威の現れそのものであり、教会と王との力関係をも現している様でもありました。そんな教会の一室に、眉目秀麗な十代後半と思しき青年がその美しい容貌を醜く歪ませながら、イライラと落ち着かない様子で部屋の中をウロウロしていました。

 その一室だけでステンの家の倍もあろうかという広い部屋には、軽く五人程は寝られそうな大きなベッドと、豪奢なテーブルに椅子、一見して高価たかそうな調度品の数々、くるぶしまで埋まりそうな毛足の長い絨毯。本当にここは教会かと目を疑う様な部屋ですが、部屋の主たる青年がそれらに気を遣っている様子はありません。この程度の物は揃っていて当然と言わんばかりです。

 最高級の絨毯は、荒々しく歩き回る主人の足を優しく受け止め、靴音を響かせ主人を苛立たせる様な事はありません。そんな一定の静けさを保つ部屋には、扉をノックする音は良く響きました。

「入れ!」

「ハッ! 失礼致します!」

 ドアを開けて入って来たのは教会所属の騎士です。

「本日の捜索でも“三番目”を見付ける事は出来ませんでした」

 騎士は今日の捜索区域の報告を淡々と行っています。青年の耳には殆ど入っていない様でしたが、最近はいつもこうなので騎士は努めて気にしない様にしていました。

「クソッ! クソッ! クソッ!! 一体いつになったら見付かるんだ! この無能共がっ! もう半年近くも探して、まだその陰すら掴めていないなんてな! もう時間がないんだぞ! 分かっているのか!?」

「申し開きも御座いません。全力を挙げて捜索しておりますゆえ、今暫し御待ち下さいますよう……」

「その台詞ももう聞き飽きたわ!」

「誠に申し訳御座いません」

「チッ!」

 浴びせられる罵詈雑言にも慣れたもので、騎士は出来るだけ神妙な顔を作って淡々と謝罪の意を述べていました。

 青年の境遇を思えば、少々当たり散らす程度の事を受け入れるのはやぶさかではないと、この騎士は考えていました。青年の怒りが収まるまでじっと待ちます。少し落ち着いた頃を見計らい声を掛けます。

「ヴェンスト様。マイト様より伝言を預かっております」

 青年──ヴェンストは、騎士が告げたマイトという名に反応します。


 零の刻。山吹の庭にて待つ。


「承知しましたとお伝えしろ」

「ハッ。では、失礼致します」

 そう告げると、騎士は部屋を後にします。

 騎士に罪はありませんが、ヴェンストは閉められたドアを嫌悪に塗れた目で睨み付けます。

 マイト──マイト・ケティング司教はこの教会の長であり、この国を含む周辺地域一体の星霊教徒達を束ねる星霊教の重鎮です。直属の教会騎士団を有し、その軍事力は一国にも並ぶほどと称されています。いまこの教会に詰めている教会騎士団は、マイト司教直属の全団員の半数ほどになります。先の騎士もその内の一人でした。

 ヴェンストはそのマイト司教の、良く言えば庇護下、悪く言えば支配下にありました。

 自身を気品や崇高を意味する山吹の花に、自らなぞらえるその精神に反吐が出る思いでしたが、そんな態度は誰にも気取られる訳にはいきません。この教会に居る全ての者は、自身の味方であり、敵でもあるからです。先程の騎士だけがこの教会で唯一信の置ける人間でした。

 先の伝言はつまり、「零時に自分の部屋に来い」という逢瀬の誘いでした。

 マイト司教には男色の気があるのです。

 ヴェンストにはそっちの気は欠片もありませんが、マイトを利用するため誘いを断った事はありません。例え誘いを断ったとしても、マイト司教の不興を買う可能性はありますが、それで教会から追い出されるという事にはなりません。そもそもマイト司教がヴェンストを匿っているのはそんな事の為では無いからです。

 欲に塗れた愚物。

 それがヴェンストのマイト司教に対する評価です。

 そんなマイト司教の前に、継承戦争という名の一生に一度とも言えるビッグイベントが起こりました。何とかこれに一枚噛めないものかと考えていた所に、第三王位継承権者たるヴェンストが庇護を求めて教会へと駆け込んで来たのです。正に絶好の機会でした。

 ヴェンストの後ろ盾となり王の座に就ける事が出来れば、教会の、ひいてはマイトの権勢は留まる事を知らないでしょう。こんな美味しい獲物を逃す筈が有りません。

 一方のヴェンストも、この国で第一王位継承権者たる兄ザウルに対抗出来得る勢力を保有しているのは、このマイト司教以外に存在しません。

 二人の利害は一致していました。

 互いに利用し合う立場ではありますが、より優位にあるのはマイト司教の方です。

 ヴェンストはマイト司教の誘いに乗る事で、この醜聞をマイト司教の弱みとし、後々排除する腹積もりでいました。

 当然ヴェンストにもダメージはありますが、王族の醜聞など市民の娯楽程度の事です。致命的な物にはなり得ません。しかし星霊教は三欲──食、性、睡眠──に溺れる事を禁じています。それは男色を禁ずるという事ではありませんが、そこはそれ。星霊教程に大きな組織ともなれば当然一枚岩ではありません。マイト司教の事を快く思わない勢力など幾らでもいるのです。そこにこの情報を流せば、勝手にマイト司教を排除してくれるだろうという算段です。そしてそれはその通りで、巧く事を運べばヴェンストの思惑通りになるでしょう。勿論マイト司教もそんな事は百も承知です。三桁を超す数を揉み消して来たマイト司教は、ヴェンストとの関係も巧く隠しおおせる自信を持っていました。

 マイトと寝所を共にするとなると、それなりの準備が必要です。

 しっかりと身なりを整えても、指定の時刻にはまだ余裕がありました。

 ヴェンストは窓から見える王城を見下ろし、見える筈もない兄の姿に憎悪の篭った視線を向けています。

「生き残るのは私だ。絶対に、こんな所で死んでたまるものか……っ!」

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