一章 その④

「殿下、こちらに御出ででしたか」

「──お前か、ドレン。何の用だ」

 ヴェンストは昨夜報告に現れた騎士──ドレンの声に振り向きます。

 昨夜とは違いドレンの表情は穏やかです。夜になると荒れるのは、進展なしの報告を延々と聞かされる羽目になるからでしょう。

 二人は教会の中庭にある庭園に居ました。

 庭師によって欠かさず手入れをされている庭には、数々の季節の花が咲き誇りヴェンストの目をたのしませています。マイト司教に呼び出された翌朝は、ここに来るのが習慣になっていました。穢れた心が洗われる気がして──。

 お昼からは一般の参拝者にも広く公開されており、信者からも人気のスポットになっています。ただ、この朝の時間だけは、特にする事のないヴェンストくらいしか訪れる者はいません。この王都ホイスカムル一と言っても過言ではないこの庭園を独占出来る事が、密かな歓びでした。

 その至福のひと時を邪魔されたのは面白くありませんでしたが、相手がドレンであったためヴェンストは矛を納めたままにしておけました。

「はっ。今朝早く“三番目”と思しき人物を発見したとの報せがあり、参上致しました」

「また見間違いか何かではないのか?」

「恐らくは」

「ハッキリと言ってくれる……。まあ期待せずに聞こう」

 近くにあるベンチに腰を掛けると、ヴェンストは報告を聞く態勢になります。

 ドレンはヴェンストの前に跪き、報告を続けます。

「発見者は男兄弟の二人組です。昨夜七の刻のころ、街の風呂屋の前で手の甲にそれらしき痣のある“少女”を発見。二人が声を掛けると、慌てた様子で甲を隠し走って逃げたと」

「それで、その二人はそのまま黙って見送ったのか?」

「いえ。直ぐに追ったそうですが、上手く撒かれてしまったそうです。一晩探し回ったそうですが見付からず、諦めて教会に報せに来た様です」

「確かに、それだけ聞けばそれらしい様だが……」

 ドレンの報告にもヴェンストの表情は変わりません。

「“少女”である時点で偽物ではないか。まあ、最後の一人も“王子”である事は民には伏せられているから、勘違いも致し方ないがな」

「はっ。左様で」

 ヴェンストの言葉をドレンも肯定します。

 教会のヴェンスト派には、ヴェンストから知らされたマイト司教が部下達に報せていました。

「しかしお前がこうやってわざわざ報告に来たのだ。何かあるのだろう?」

「はっ。報告のあった“少女”の特徴が、私の知るとある娘と良く似ておりまして。少し探りを入れて見たく思っております」

「どういった娘なのだ? 貴重な時間を掛けるべき相手なのか?」

「とても見目麗しい娘で、その界隈では評判になっております。ただ、自分は男だと言っている少し変わった娘なのです」

「確かに変ではあるが、この王都には数十万の民が居る。その程度の変わり者、居たとて然程不思議ではない様に思うが?」

「その少女が本当に少女であれば。少女本人が主張する通り、本当は男子であるのかもしれないと、ふと気付いたのです」

「女装して目をくらましていたと? そのくらいの事は想定済みだろう」

「いえ。彼女はいつも男装をしております」

「うん? 何だ、良く分からなくなって来たぞ」

「男の格好をしていてさえ誰もが女の子だと信じる容姿の男子……という事です」

「そんな男が存在するのか?」

「彼女が真に男子であるならば、そうなります」

「……よし。分かった。お前がそうまで言うなら調べてみるがいい」

「はっ。御許可頂き、有難うございます」

 跪いたまま深く頭を垂れると、ドレンは早速調査に掛かろうとヴェンストの前から辞し庭園を後にしようとします。そこにヴェンストが一つ気になった事を訊ねて来ました。

「どうしてその娘を調べてみようと思った?」

 その言葉に、ドレンはクルリと振り返ります。

「この半年ほど、ここまで探して見つからないのです。もう逆に、有り得ないと思う所こそ探してみようかと思いまして」

「はっはっ! なるほどそう来たか」

 ドレンの返答にヴェンストが笑っていました。最近では珍しい事です。

「では殿下、失礼致します」

「ふん。さっさと行け」

「ハッ!」

 ドレンは足取りも軽く、件の少女の調査に向かって行きました。


 ヴェンストに直接謁見できるドレンは教会騎士団の中でもそれなりの地位にあります。

 ですので、騎士団宿舎ではなく自前の家を教会の近くに所持しています。

 ヴェンストのもとを辞したドレンは、流石に騎士団の制服のままでは市中で目立つので、着替えのため一旦自宅へと戻っていました。

「まあ! ドレン様! 何かお忘れ物でも?」

 二十歳前後の見目麗しい長身の女性が、早くも帰って来たドレンに驚いています。

「いや。これから街へ調査に出るんだ。流石にこの格好ではね」

「直ぐに御着替えを用意しますね」

「ああ、いや、別に構わな……行ってしまった」

 彼女の名前はセレーネ・キエロ。燃える様な真っ赤な髪と瞳が特徴的です。次に目が行くのはやはり男の性か、その豊満な胸でしょう。スラリと伸びた手足に、出る所は出ている艶めかしい女性的なボディラインは正に一つの芸術作品の様です。

 武芸を嗜むドレンはその美しい佇まいの中に、芯の通った強さを感じていました。セレーネの所作には全くと言って良い程ブレがありません。常に素早く的確に、そして滑らかで自然でした。気を抜いていると、セレーネが動いた事に気付かない事もある程です。それは尋常ではない訓練の成果でしかありえない事を、ドレンは知っていました。

 そんな彼女はドレンの妻……では勿論なく、恋人……という訳でもありません。

 では雇っているメイドかと言うとさにあらず。

 そも、ドレンは敬虔な星霊教の信徒で、長らく独り者をやっていました。この家もずっと一人住まいで特に不自由はしていませんでした。

 では彼女──セレーネがどうしてこの家に居るかと言いますと、一月程前の事でした。

 その日も“三番目”探しが空振りに終わり、その事をヴェンストに報告した帰りの事でした。

 夜道で暴漢共に囲まれている女性が居ました。それがセレーネでした。

 普段のドレンなら軽くあしらう所ですが、少々虫の居所も悪かった事もあり、それなりに痛めつけた上で脅し付け、二度と彼女に近付かない事を誓わせ──別にその言葉を信じた訳ではありませんが──てから解放してやりました。

 その日からセレーネはドレンの家に「救って頂いた感謝の印です」と言って住み込みで奉公してくれていました。

 騎士のそれとは異なりますが、恩に対し奉公でむくいるというのは騎士のそれとも重なる所もあって断りづらい一方で、少し家が華やいだ様に感じ嬉しく思う所もありました。

 それほど待つ事もなく、トタトタと駆けて来る足音が聞こえてきました。

「ドレン様。此方で如何でしょう」

「問題ない。ありがとう」

 騎士団の制服でなければ何でも良かったので、特に文句を付ける事なくセレーネが持って来た服に着替えます。

「では改めて行って来る」

「はい。行ってらっしゃいませ」

 王城のメイドもかくやという気品ある振る舞いでセレーネはドレンを見送りました。

 ドレンが十分に家から離れたのを感じ取ってから、セレーネは顔を上げます。その表情は先程までのそれとはまるで違っていました。

「では、今日のお勤めを果たしましょうか」

 気付けばセレーネの姿はそこにはありませんでした。


 ◇


「ん~~…………っ!」

「お疲れの様ですね」

 定例の朝の会議を終えたザウルが玉座で伸びをしていると、不意に声が掛けられました。自分以外誰も居ない事は確認していただけに、危うく剣を抜くところでした。

「お主か。驚かせてくれるな」

「ああ。これは失礼を致しました」

 悪びれる様子もなく謝罪を口にするこの男が、ザウルが雇った僧侶──プロペートでした。

 三十半ばで中々の高身長。一見するとひょろりと背の高い優男と言った風体です。トレードマークと言えば肩まである白髪と眼鏡でしょう。僧侶というよりは研究者と言った方がしっくりくる印象です。

 着ている物も星霊教の司祭たちが着ている様な格式ばった物とは違い、旅の僧侶らしい動き易さに重点を置いた僧衣を纏っています。

「ザウル殿下の姿が見えたので御挨拶にと」

 いけしゃあしゃあとそんな事を言ってのけます。

 玉座の位置は外から死角になっています。

「左様か。布教の方は順調か?」

 そんな事は何でもない事だとでも言う様に、ザウルはその事に言及しません。

「ええ。それはもう。有難い事に」

「ならばよい」

 用はそれだけかとザウルはプロペートに視線で問います。

「兵士さん達への布教も大方済みましたので、少々手持ち無沙汰でして。契約の期間もまだある事ですし、良ければ教会の腐れ坊主共に神罰を降して来てさしあげますよ」

 ニコニコと人の良い笑顔を浮かべながら、とんでもない事を言っています。

「それには及ばん。教会と戦になれば勝つのは我らの方だからな。これまで通り、兵士達に教えを説いてやってくれ」

「承知しました。……ですが、必要な時はいつでも声をお掛け下さい。報酬に見合っただけの働きはさせて頂きましょう」

 プロペートが杖を床に一突きすると、足元に魔法陣が浮かび上がり、次の瞬間にはその姿はザウルの前から消えていました。

 ここに現れたのも今のと同じ転移魔法だったのでしょう。

 今度こそ本当に誰も居なくなった部屋で、独り深いため息を吐きました。

「この部屋には魔法を遮断する強力な結界が施してあるのだがなぁ……ふう……」

 魔法研究室の室長を呼び出し、結界の更なる強化を命じておきました。


 執務室へと移動したザウルは、早速今日の政務に取り掛かります。

 継承戦争に関わるアレコレの懸念が山積みですが、ヴェンストと違い実質的に王の位置に居るザウルは多忙です。いまだ慣れたとは言えない政務に四苦八苦の毎日です。それでも爺などは「殿下は良くやっておられます。むしろ出来過ぎですな。はっはっは」と褒めていましたが。

 ですので、大した覚悟も、王になった後の展望もないヴェンストの事などに構っている暇など無いのが実情です。姿形も分からない“三番目”の捜索など無駄もいいところだと、端から探させてもいません。死にたくなければその内勝手に出て来るだろうと考えていました。どうせ隠れていた所で待っているのは確実な死ですので。

 何なら馬鹿みたいに生き残る事だけに必死になっているヴェンストが、星霊教の信者を使って見付けるかもしれんしなと、大した期待もしていませんが可能性としては頭の隅で計算していました。

 集中して書類の山と格闘していると、気付けば昼を報せる鐘が鳴り響いていました。

「もうそんな時間か……」

 ザウルは執務室の窓から外を眺めます。

「うむ。昼は外で食べるのも悪くはないな」

 昨夜、スホルステンにこってり絞られたと言うのにまるで反省していません。

「まあ余り爺を怒らせてポックリ逝かれてもかなわん。プロペート殿でも誘うとしよう」

 反省の方向性が違った様です。

 こっそり執務室を抜け出したザウルは、王城の食堂へ向かっている途中のプロペートを捕まえて街へと繰り出して行きました。

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