第6話 戦士②

 トゥーベルの屋敷で一夜を明かしたオヨメ。

 が顔を出すかどうかという時間帯に起床します。窓の外は当然薄暗く、十分じゅうぶんに空に熱を逃がした空気がひんやりとオヨメの肌に刺さります。

 朝の眠気を引き摺る事も、ベッドの暖気に誘われる事もなく、目覚めると直ぐに寝間着から着替えてしまいます。着替えが終わるとそっと静かに部屋を抜け出し、向かった先は調理場でした。

 ゴソゴソと勝手に調理場を漁り、保存されている食材、調味料等、調理器具諸々を確認します。いずれ自分がここを取仕切る事を妄想しながら、取り敢えず今日の朝食の仕込みに取り掛かります。

 それはもう凄まじい手際と速度で仕込みを済ませて行きます。伊達に十五年も花嫁修業を積んではいません。まるでオヨメが何人もいる様に見えます。それもそのはず。余りの動きの速さに残像が残っていました。

 その様子をコッソリと、本来朝食の準備をする予定だったメイドが、柱の影から「ひえええ」と怪物でも見るかのような目で眺めていました。

 料理の仕込みが終わると、やっと陽が射して来たばかりのまだまだ冷える外へと、洗濯物を持って出て行きます。井戸で水を汲み、洗濯物を洗う桶に水を張ります。洗濯物を桶に沈めしっかり水気を吸わせると、何故かそのまま直ぐに取り出しました。

 先程のメイドさん。オヨメの行動が気になる様で、まだコッソリとオヨメの様子を窺っています。そのメイドさん。ただ濡らしただけの洗濯物を、さてどうすのでしょう? そのまま干してしまう気かしら? と本当は何かここから凄い事が起こる筈だと期待を篭めた眼差しでオヨメを見つめています。料理の時は恐怖を感じていたというのに……恐い物見たさという奴でしょうか。

 オヨメは「ふぅぅぅ」と一呼吸入れ、気合を篭めます。

「ハッ!」

 と気合一閃。濡れた服に掌底を叩き込みました。

 すると、服はその位置のまま、全ての汚れと水気だけが吹き飛ばされて行きました。それを当然の事の様にして全ての服に行っていきます。

 オヨメの数多あまたある家事スキルの内の一つ。洗濯イレイズインプリティです。あらゆる不浄を叩き出す事が出来ます。

 修行が足りない頃は、やる度に驚きの白さになっていましたが、今はもうそんな事はありません。

 汚れも水分も何もかもを消し飛ばされ、新品の時よりも綺麗になった服はもう完全に乾いているのですが、オヨメの中でここまでするのが洗濯という行為なのでしょう。物干し用の紐に一つ一つ丁寧に留めて行きます。

 洗濯が終わる頃には陽も程よく昇って来て、朝ですよと主張しています。

 オヨメは調理場に戻り、朝食の仕上げに掛かります。完璧なタイミングで提供出来る様に、準備は万端。後は愛しの旦那様がお目覚めになるのを待つばかりという心境です。

 オヨメが全ての準備を整え万全の態勢で待ち構える事、凡そ一時間。「ふぁ~あ……」と大層眠そうな大欠伸をしながら愛しの旦那様、屋敷の主人トゥーベルが二階の寝室から降りて来ました。何故か随分寝不足の様です。どうしたのでしょうか。


 昨晩。トゥーベルは寝室に戻ると苛立ちも露わに、周囲の調度品に当たり散らしていました。

「くそっ! あの化物女! 一体どうなってやがる……っ! 屋敷にあったあらゆる薬物を食わせたのに全く効かねぇってどういう事だ! 最後の茶になんか竜も一滴で昏倒する薬を一瓶丸々使ったってのに!」

 口調が変わるほど苛立っていらっしゃいました。

「おい! 爺! あの薬偽物掴まされたんじゃねぇだろうな!」

「『いつもの』ルートから入手したもので御座いますので、間違いはないかと」

「……っ! ああっ! くそ! クソッ! クソッッ!!」

 爺はトゥーベルが落ち着くまでじっとその場に控えています。

「はぁ……はぁ……。少し、……落ち着いた。薬物では駄目だな。とは言え、それ以外でどうやってあの化物を拘束する事が出来る……?」

「裏の魔法使い達を使って見ては?」

「あんな連中は魔法少女になれなかった半端者クズの集まりだ。虚仮こけ脅しにはいいが、ああいう真性ガチの化物を相手させるには全く力不足だ」

「でしょうなぁ」

 爺はトゥーベルの言葉をあっさりと肯定します。

「今の所ではこれと言って良い案はないか……。暫くウチに留め置いて、何か弱点がないか探りを入れるとしよう。奴とて本をただせば人間。弱みの一つや二つあるはずだ」

「ではその様に」

「やり様は爺に任せる」

「承知致しました」

 そう言って爺が寝室から離れるのを見送ると、トゥーベルはもう疲れ果てたとばかりにベッドへと倒れ込みます。程なくして寝室からは寝息が一つ、聞こえるだけになりました。

 そんなトゥーベルの寝室の戸が、全くの無音で開いて行きます。

 心霊現象などではありません。勿論魔法で音が消されている訳でも、作りと手入れが完璧過ぎて音なんか立てない戸、という訳でもありません。

 開いた隙間から顔を覗かせたのは、言うまでもなくオヨメでした。

 これもオヨメの花嫁修業で得たスキルの一つ。夜這いグレイテストサイレンスです。

 空気の振動──つまりは音──を物理的に破壊する荒業です。原理や方法はオヨメにしか分かっていませんが、魔力の様な魔力で無いエネルギーを使ってやれば出来るそうです。

 そのまま文字通り音も立てずに、ベッドで眠りこけるトゥーベルの傍へと近付いて行きます。

 トゥーベルの寝顔を覗き込んだオヨメは、

「ぐふふへへへ……」

 と、どう贔屓目に見てもドン引きな笑みを浮かべています。

 最早冷静さの欠片もなくなったオヨメは、音を消すのも忘れて乱雑に服を脱ぎ散らかしていきます。全裸になったオヨメはいよいよ、眠るトゥーベルの服にも手を掛けます。そっと上着を剥ぎ取り、ズボンを脱がせ、下着に手を掛けた所で……流石にトゥーベルも異変を感じて目を覚ましました。

「な……なっ……何をしているぅっ!?」

 トゥーベルが目覚めて直ぐに警戒したのは、実は薬を盛ったのがバレていて夜な夜な暗殺しに来たのでは? という事でした。しかし直ぐに目の前の全裸のオヨメと自信の恰好に気付き、違う意味での襲撃を受けている事に気付きます。

「分かっていらっしゃるく・せ・に♡ 私だって初心うぶなねんねじゃありませんわ。助けて頂いた御恩は……ね。きちんとこの、体でお返しさせて頂きますわ」

 起きたのならそれはそれで好都合とばかりに、オヨメは躊躇う事無く押し倒そうとします。

「待て待て待て! 待って下さい! 私はその様な積りで貴女を助けた訳ではありません!」

 ある意味嘘は吐いてはいません。

「私はその様な積りで貴方に助けられた積りですわ」

 がっちりとオヨメに両腕を掴まれ、両足で胴を挟まれたトゥーベルには為す術はありません。元々のパワーの差は歴然なうえ、戦闘技術も態勢的にも、トゥーベルに勝機はありません。

 トゥーベルには女を抱く趣味はあっても、襲われて悦ぶ趣味はありません。何とかこの窮地を脱しようと智慧を巡らせました。

「貴女との今後を真剣に考えているのです! 勢いだけでこの様な事をするのは嫌なのです」

 何とか誠実そうな言葉で思い留まって貰う作戦です。

 流石にこんな事では無理か!? もっと何かないか? 何でもいい! 閃け俺!

 と焦る思考をグルグルと巡らせるトゥーベルでしたが、その必要は無さそうでした。

「ああ……トゥーベル……様……。私の事をそんなに大事に思って下さるなんて……。もう私の心も体も、全てトゥーベル様にお奉げ致します。全てトゥーベル様の良い様に御計らい下さいませ」

 頬を朱く染め、腰が砕けた様にしてくたりとオヨメは崩れ落ちました。

 あまりにもチョロ過ぎます。余程男性からの甘い言葉に飢えていたのでしょう。

 余りの態度の急変に、当のトゥーベルさんも展開に付いて行けていません。

「あ……ああ……うん。分かってくれればそれでいいんだ。貴女の気持ちも……うん。ちゃんと受け止めて見せるから、今日の所は部屋に戻って、時間を掛けてお互いの事を知って行こう。分かるね?」

 それでも何とか言葉を捻り出しました。

「はい。トゥーベル様。これから、幾久しく宜しくお願い致します。誠心誠意お仕えいたしますわ」

 オヨメはトゥーベルを解放して横に退き、そのままの恰好でベッドの上で三つ指ついて頭を垂れます。大陸の西では見慣れない風習でしたが、大陸の東の方ではそういった風習がある事はトゥーベルも知っていました。

「それでは今日は失礼いたします。どうぞごゆるりとお休み下さいませ」

 顔を上げたオヨメは脱いだ時とは打って変わって、楚々とした態度で丁寧に脱ぎ捨てた衣服を拾い集め、特に着る事はなくそのまま手に持って宛がわれた部屋へと戻って行きました。

 ごゆるりと休んでいたのを邪魔したのは誰だ! って言いたい気持ちをグッと堪えてトゥーベルはオヨメを見送りました。オヨメが部屋を出た後も、戸に耳を当てて本当に立ち去ったかどうか暫く気配を窺ってさえ居ました。

 どうやら本当に大丈夫そうだと思えた所でベッドに戻りましたが、ベッドに横になると先程の襲撃が思い出されてうなされ、全く寝付けません。

 そのまままんじりともせず一夜が明けてしまったのでした。


 外が明るくなったので、いつまでも横になっている訳にも行かず、ぐったりとした様子で部屋を出たトゥーベルの嗅覚が、嗅ぎなれない匂いに反応しました。

(何やらいつもとは違った、凄く美味そうな匂いがするな)

 匂いに誘われ、いつもは見向きもしない調理場を覗いてみるとそこでは──

 シュババババババババババ!

 タタタタタタタタタタタタ!

 一人のオヨメが鍋で食材を煮込み、

 一人のオヨメがフライパンで食材を炒め、

 一人のオヨメが窯でパンを焼き、

 一人のオヨメが……以下略。

 都合十人くらいのオヨメが調理場で料理を作っていました。勿論中身は一人です。ですがトゥーベルの目にはオヨメが沢山居る様にしか見えませんでした。もはや悪夢でした。

 その光景に目眩めまいを覚えたのでしょうか、トゥーベルがくらりと倒れそうになると、更に一人増えたオヨメが素早くトゥーベルを支えました。

「大丈夫ですか? トゥーベル様。もう直ぐ朝食の準備が出来ますので、テーブルで御待ち下さいませ。料理にはちょっと自信がありますので、楽しみにして居て下さいね」

 そう言っている間も、他のオヨメ達は調理を続けています。何がどうなっているのやらトゥーベルにはサッパリ分かりません。トゥーベルはオヨメについて考えるのを止めました。

「ああそうか。有難う。大丈夫だ。ちょっと寝不足でね。君の手料理、楽しみにしているよ」

「はい!」

 実に素直に嬉しそうに笑うオヨメを見て、トゥーベルは少し戸惑いを覚えました。

 トゥーベルは「いやいや。ないない」と自嘲すると、だるい体を引き摺ってリビングへ向かいます。テーブルに付いて少し待っていると、先程のオヨメの言葉通り、直ぐに料理が運ばれて来ました。

 焼きたてのパンに、具のないスープ。彩鮮やかなサラダと果実のジャム。綺麗に焼かれたオムレツはきっと中はフワフワでしょう。

 予想外に奇抜な物のないありふれた朝食のメニューに、何故か逆に驚きを感じてしまいます。

「冷めないうちにどうぞ召し上がって下さい」

 オヨメに勧められるままに、先ずはパンを一口。「うっ……」

 続いてスープを。「まっ……」

 憑りつかれた様に今度はオムレツに手を出します。

「美味過ぎる……ああ……何なんだこれは……私は一体どうしたというのだ……」

 余りの料理の美味さに涙しました。

 至高? 究極? いや、これは天上の味であるとトゥーベルは結論付けます。

 これまでの人生で一度も味わった事のない程の、美味。これに並ぶ料理はどれだけの金を積んでも食する事は出来ないと、確信を持って言えました。

 そして気付けば纏わりつく様な体の怠さと眠気が、綺麗さっぱり消えていました。

 トゥーベルは人が変わったかの様に、ガツガツと用意された食事を平らげて行きました。用意された食事が無くなる頃には、丁度腹は八分から九分と言った所でしょうか。そこまで計算されていたとしか思えませんでした。

 そんなトゥーベルを聖母の様な微笑み──今のトゥーベルにはそう見えました──でオヨメは見つめていました。男を落とすには先ず胃袋から。という花嫁修業入門編が功を奏している様子を見て、悦に浸っているだけなのは秘密です。

 いけないいけない。とオヨメは直ぐに気を取り直します。自慢の手料理を振舞って喜んでもらう。ここまでは今までも幾度か達成した事はあるのです。ですがその後、何故か振られてしまうのがいつものパターンです。ここからが本番。細心の注意を払い、何としてでもお嫁さんにしていただく! とオヨメは改めて決意を固めます。

「喜んで頂けて何よりです。お昼も御屋敷に居られるのでしたらご用意致したく思いますが」

「ああ。今日は特に予定もない。是非お願いしよう」

「はい! 期待していてくださいね」

 言われなくても、期待どころか昼が待ち遠しくて仕方がないくらいです。

 食事を終えたトゥーベルがリビングを出て自室に戻ろうとすると、突然玄関の扉がバーン! と勢いよく開かれます。

「愛と! 平和の! 魔法少女ピンキーマリー♡ 女の子を攫っちゃう様な悪い人はぜぇ~ったい見逃さないゾ! 観念しなさいっ!」

 ビシッとポーズを決めたまじょっこがそこに居ました。

「何か勘違いをされているのでは? 確かに昨日麗しい女性を一人、悪漢共から保護致しましたが、それを悪意を持ってかどわかしたかの様に仰られるのは心外です」

「ノンノンノン。タネは上がっているのだよ。キミの裏の仕事を任されている組織──その親玉から直接聞き出したからね」

 チッチッチ、とまじょっこは指を振ります。

「只の苦しい言い逃れ──」「そう言うと思って……ホイ。カルちゃん」「ほい来たカル」

 ポンッ☆と姿を現したカルちゃんが虚空から一枚の紙を取り出します。

 そこにはトゥーベルから組織への資金の流れが記されていました。

「ぐっ──」「トゥーベル様。お客様ですか?」

 確かな証拠を突き付けられ絶体絶命なこの状況に、オヨメがヒョコっと顔を出しました。

「あら。まじょっこちゃんじゃないですか! トゥーベル様に何か御用ですか?」

「げげっ。オヨメ!」

 明らかに動揺するまじょっこを余所に、「お久しぶりー」と親し気にオヨメはまじょっこをハグし、かいぐりかいぐりと頭を撫でまわします。

「お……、お知り合いですか?」

「はい。トゥーベル様。縁あって何度も旅の途中でご一緒した事があるんです」

 オヨメがトゥーベルに向き直った隙にまじょっこはオヨメを振り払って距離を取ると、カルちゃんと何やらコソコソと内緒話をしています。

「オヨメ! ここで『お世話』になってるのね!」

 離れた場所から大声で尋ねます。

「はい! 昨日から!」

 まじょっこはそれだけ聞くと、うんと一つ頷き「じゃ、そう言う事で!」と言って去って行きました。まるで尻尾を巻いて逃げて行く様でした。

「あら……? 結局何の御用だったのでしょう?」

 助かった。という思いから、トゥーベルは無意識にオヨメを抱締めます。突然の抱擁にオヨメはまじょっこの事など吹き飛び、ただただトゥーベルの抱擁に酔いしれていました。

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