第46話 口を塞ぎ、言葉を止める
建物を繋ぐ通路から外に出ると、帝都の夜の訪れを告げる、鐘の音がした。
薄暗い庭園は、所々に設置された松明で辺りが照らされている。
「今日は、一緒に来てくれてありがとう。知らない人ばかりで疲れただろう?」
新鮮な空気を存分に吸い込んだところで、レオンが気遣うように声をかけてくれた。
ため息にならないように、今度はゆっくりと吐き出してから答える。
「刺繍を褒めてもらえたので、連れてきてもらって良かったと思っています」
「楽しんでもらえたのなら、俺も嬉しいけど」
レオンは目を細め、慈しむように私を見ている。
いつかと同じような熱を込めた視線から、目を逸らせずに戸惑う。
「俺が初めて貴女と会ったのは」
その貴女にと言うのは、エルナトのことを指すのだ。
「俺が7歳の時で、両親が亡くなった直後は、大聖堂に遺体が安置されていたんだ。ディール侯爵家の迎えを一人で待ってて、その時に俺は、エルナト様に会った」
「私も7歳になったばかりの頃と言うことですね」
「はい。俺が声をかけてもらったのは中庭で、その時のことを、今でも鮮明に思い出せる」
やっぱり私は覚えていないので、申し訳なく思っていた。
でもレオンは気にした様子はない。
「私は、代わりとして連れて来られて、だから、代わりがいればそれでいいのだと、ずっと思っていました」
そこでレオンは、慌てた様子を見せた。
「それはたまたまで、でも、それが俺にとって幸運な事でもあって、それに、人を思いやり、労る事を俺に教えたのは貴女の方だ。どんな時でも食べる事を忘れないようにって、それも俺に貴女が言った」
今度は決意を秘めたような視線を向け、私の正面に立つ。
「シャーロット。俺は、貴女のことを片時も忘れた事はない。俺は、貴女のことをっ」
今にもそれを言いそうだったレオンの口を、咄嗟に手で塞いだ。
その行動がレオンを傷付けたことはわかっていたけど、どうしてもそれを聞くことはできなかった。
もはや、自惚じゃない。
事実、悲しげにレオンは私のことを見ている。
拒絶されたと思っているはずだ。
「レオンが、嫌だからじゃない。ただ、この体は、イリーナのものだから。だから、私は、何かの感情を抱いていたとしても、自分の心のままに従うことはできない。だから、その続きを聞くことができない」
私の言葉を聞いて、レオンの肩から力が抜けたから、手を離した。
「レオンは、イリーナのこの姿だから、興味を持ってくれているだけですよ」
「違う。俺は、エルナト様の事を忘れたことはない。だからきっと、シャーロットがシャーロットなら、どんな姿でも、俺は……」
「レインさんの姿でも?」
「それは、悩む、な……」
「正直ですね」
そこは真面目なレオンらしくて可笑しかった。
「シャーロットは、焦げ茶色の髪に、少しだけ明るい茶色の瞳で、平民にはよくいる容姿でした」
それが、王太子は気に入らなかった。
「よく、覚えているよ。優しげで可愛い女の子だって思っていたし、今でも……モフーを撫でるだけなのに、周りをキョロキョロ見渡して、誰もいないのを確認してから撫でて、その仕草が可愛くてたまらない。俺にはエルナト様の本来の姿に重なって見えるから、余計に尊い姿だった」
「とっ……誰もいないのを、確認しているのに、どうしてレオンが……」
「護衛だから……気配をさせないように、様子は見てて……」
恥ずかしくて、顔を覆いたくなる。
完全に見られていないと、油断していた。
レオンの前では、モフーに興味がないフリをしていたのに。
「だから、モフーのことは遠慮せずに可愛がってあげればいいと思う」
「別に、遠慮は……」
「他者を優しく慈しんであげたい。誰かの幸せを願いたい。それは、貴女の本質だ。シャーロットにとっては、受け入れ難いこともあると思う。何もかもを忘れてだなんて、とんでもない話だ。シャーロットの気持ちを否定しないと、あの時言ったことを覚えている。でも、無理矢理自分の感情を誤魔化す必要もないと思う。矛盾しているだなんて思わなくていいんだ。何度でも言う。もう、シャーロットには何の義務も責務も無い。自分が大切だと思う存在だけを想えばいい。それは、誰もが当たり前にしていることだ。あと、これだけは伝えたい。俺は、どんな姿でも、どんな関係でも、貴女がすぐそばにいてくれるだけで幸せで、何よりもシャーロット自身の幸せを願っている」
どうして言わなくても、私の葛藤をレオンは分かってくれているのか。
それだけ私の事を意識して見ていてくれたからだ。
だからこそ抱く苦悩。
何の問題もなく、レオンの気持ちに応えることができれば良かったのに。
私だってこれから先、レオンにはずっと一緒にいてもらいたいと思っている。
でもそれが、どんな関係でなのか。
この体は、イリーナのものだ。
そのことだけは、ずっと忘れられなかった。
「体が冷えるから、そろそろ中に戻ろうか」
レオンが手を差し出してくれるから、自分のものではない手を重ねる。
優しく微笑んでくれる顔を見上げながら、まだまだ賑やかな会場へと、二人で戻っていた。
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