第47話 宿命と冒険者 2-2

 足元に立ち込める砂や土の霧が風に吹かれて舞い上がる。

 息を切らしながら魔物はようやく執拗に絡みついてきていた得体の知れない草の駆除を終えた。

 つまり、この場に邪魔するものはもう何も無い。

 仕留め損ねたあの人間を今度こそ葬り去って、それで終わりだ。

 魔物は残骸の山を踏み潰しながら歩き始める。

 片方は足首の筋を断ち切られてしまっているがために思うようには動かないが、問題は無いだろう。

 目の前に立ちふさがる緑色の壁、恐らくは散々邪魔をしていた草と同じと思われるモノの塊を一閃し、瞬く間に薙ぎ払って見せる。

 急速に色を失い枯れるそれらを踏み潰し、遂に標的の前に――。


 いない?


 血の跡はある。邪魔をした盾の残骸もある。しかし獲物の姿だけは無い。

 引きずったかのような血の跡は途中から瓦礫の中に消えており、そこから先、何処へ行ったかを示す道標はどこにも残されてはいないようだ。

 魔物は顔を上げて臭いの残滓を嗅ぎ取ろうと鼻を使ってみる。

 しかし血と土と焼け焦げと不快な植物液の臭いが、目的の手掛かりを得る邪魔をしていた。

 考えるのは一つの可能性。

 あの邪魔をしていた獣の人間、その姿も今は見当たらない事と関係がありそうだ。

 ツタが勢いを失った時、まさかあの時に逃げたのか? だとしたら、どちらの方向にだ?

 魔物は改めて血の跡を見て、それが伸びている先を確認し――。


 直観、本能による警報、微かに感じ取った殺気。

 気のせいであろうと構わず振るわれた、迷いのない斧の一薙ぎが迫ってきていた敵に命中した。

 それほど近くなれば魔物は直ぐにその正体を見抜く。

 標的だ。あの人間だ。

 そしてその姿を、その光景を見て魔物は驚愕する。

 ――受け止めているだと?

 あの細腕で、小枝のような剣で、この私の一撃を支えるというのか。

 驚き、苛立ち、焦り。

 言い知れぬ、薄ら寒さに似た感情が湧き上がってくるのを魔物は拒む。姿勢を変えて、更に万力の力を込めて斧を全力を持って押し込む。

 しかし人間はビクともしなかった。

 まるで山と押し合いをしているような、そんな無力感を感じさせる重さ。

 オカシイ。先ほどは木の葉のように宙を舞っていたはずだ。なのにどうして今は動かない? どうしてその細腕でこの斧を受けていられる? どうして平然とした顔で立っていられる?

 理解ができない。

 斧が押される。

 腕が、限界の力を込めている腕が押されている。

 魔物は歯軋りをしながら考えを切り替えた。

 無理矢理に力を持って押しつぶすことは、理屈は分からないが不可能なようだ。そう理解した。力比べで、しかも一度勝利した相手に負けるというのは納得いかないが、このまま無益な消耗を続けるのは愚か者の所業だ。

 体のバネを使って素早く斧を返し、逆側からその首めがけて、切り飛ばさんと獲物を振るう。

 「おっと!」

 再び、体を返して人間は必殺の一撃を防いで見せた。

 だが同時に魔物は確信する。

 コイツは殺すことの出来る相手だ。

 防ぐというのは、つまりそうしなければ致命的な傷を負うということの証明だ。

 それに技術も動きのキレも機敏さも、先ほどまで相手をしていた化物に比べれば赤子も同然。

 圧倒的にあるはずの腕力の差を埋めているカラクリは分からないが、技術とスピードをもって防ぎきれないほどに攻撃を繰り出せば十分勝てる相手だ。

 確信。そして格下と結論付けた事により生じた僅かな油断。

 斧がスルリと受け止めていた剣を滑り、そのまま屈んだ姿勢の人間の頭上を通り過ぎていく。

 抜けていく瞬間には気がついていた。しかし渾身の力を込めていたがために斧を直ぐに引き戻すことはできなかった。

 その隙を文字通り突いた一撃が脇腹に深々と刺さる。

 ドロドロに溶けた鉄が血管を通り全身に巡っていくような未知の激痛、そして一気に体力が消えていく感覚。

 耐えきれずに悲鳴を上げながら、暴れるように斧を振るって無理矢理に間合いを取る。

 足元に漂っていた恐怖は全く間に全身を覆う程に上がり確固たる形を作り始めていた。

 それは人間の持つ得体の知れない武器に対して抱いているのだ。

 アレほどの斧の攻撃を二度受けて刃こぼれ一つしていない、まったく魔力を感じない異質な物体。

 何よりも突き刺さったその時に感じた、まるで魂を吸い取られているかのような体の凍えるような、それでいてマグマで焼かれているかのような理解不能の感覚。

 油断してはいけない。

 攻撃を受けてはいけない。

 あの剣は強さも格も関係なく、等しく万物を殺すことの出来る物だ。

 ブルリと体が震える。恐怖は冷たい牙で全身を撫でていく。

 だが、それでも逃げる事だけは出来ない。

 逃げたところで、どちらにしても待っているのは死だ。

 あの時、あの瞬間、あの化物が言った言葉が呪いのように選択の自由を奪った。


 『お前さん、まだ生きていたいか? なら、ある人間を殺して見せろ。もしも、そいつを殺すことが出来たなら俺はお前さんにもう二度と手出しはしないし、この迷宮にも近寄らない。悪くない条件だろ?』


 そして全てが闇に覆われ、頭の中に唐突に浮かび上がったのは一つの人間の姿。

 そいつを殺しさえすれば、あの化物に命を狙われずに済む。

 逆に言えば、目の前にいる標的である人間を逃せば、人間の前から逃げれば今度こそあの化物は自分を確実に殺しに現れるだろう。

 まだ死にたくはない。

 あの化物との戦いでようやく、自分が誇り高き戦士でない事に気がついた。

 ただ弱い存在を踏みつぶすことが好きな、勝利するのが好きなだけの、ただの下劣な魔物の一人なのだと。

 ならば弱き魔物らしく生きるために貪欲に他者を踏みにじっていく事に何の躊躇いもない。

 恨みなどない。だが未来を生きるために、目の前の人間にはその礎となって貰わなければ困る。

 魔物は覚悟を決める。

 得体の知れない恐怖はもう無い。

 ただ一つの決意、生きるという至上命題のために今この瞬間に全霊を尽くすのみ――!!


 空気が変わる。

 ピリピリと痺れるような、目に見えない稲妻が駆け巡ってでもいるかのような痛さを錯覚する。

 魔物の纏う空気が変わった。

 恐怖も、困惑も、疑念も、余裕も、慢心も、ありとあらゆる感情がその目から失われる。

 ただ真っすぐに赤き目が光り、極限まで高まった集中力が時間を無限大に引き延ばす。

 一瞬にして永遠の睨み合いの時間は、しかし二者がまったく同時に破った。


 斧が振るわれ剣はそれを受け止める。

 仕返しと突き出された刃は面で受け止められ火花が散り、その火が消えるより早く牙が空を割く。

 キラリと光は跳ね、踊り、風が縦横無尽に駆け抜け、いくつもの音が、衝撃波がこだまする。

 斜めに振り下ろされた斧は、受け止めんと構えた剣の手前を抜けて大地を吹き飛ばす。

 浮いた体めがけ、その角の生えた頭が突っ込んでいった。

 瞬間、ミシリと軋む音が木霊する。

 腹の中に溜め込んだ空気すべてが吐き出されての喘鳴。

 まだだ、まだ終わらない。

 そのままの勢いで壁へと、その小さな体を潰さんとやみくもに突っ込んでいく。

 だが次の瞬間に頭を走った激痛に邪魔されて足の動きが鈍った。勢いに負けて地面を転がる。

 無意識に触れてみれば角の一本が折られたのか切られたのか、既にその姿を消していた。

 だが、そんな些細な事を気にしている余裕はない。

 直ぐに意識を切り替え巻き上がった煙の向こう、何処に影があるのかを気配から探し出す。

 後ろだ!

 振り向きざまの一撃は、ついにそこにいた影を切り裂いた。

 勝利に心が高鳴り、歓喜が一杯に広がっていく。


 ――ズブリ、と音がした。


 視線を降ろすと白き刃が見えた。

 血肉を裂いてなお一遍も染まることなく突き立つ、清く冷たき刃が。

 煙が晴れていく。影が姿を現す。

 緑色の、既に色を失い始めている枯れた影が――。

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