第46話 宿命と冒険者 2-1

 大地が揺れた。

 ガラガラと組み上げ得られていた石の壁はあっけなく崩れて灰色の煙があたりに舞う。

 煙は衝撃によって起こされた風に乗って急速に広がっては、触れるもの全てを汚していっていた。

 指が動く。ゆっくりと目は開き、硬くゴツゴツとした感触を体全体で感じる。

 「う、ぐぅ!」

 歯を食いしばり意識と共に怒涛と押し寄せる痛みを、上げそうになる悲鳴を飲み込んだ。

 いったい何が起きているのか状況を整理しようと、鉛でも詰まったように重い頭に鞭を打って血を流し込む。

 空は、まだ太陽は高い場所にあるようだが砂埃が酷く薄っすらとしか見えない。

 今いるのは次の瞬間にも崩壊してきそうな壁と、その礎が剥き出しとなった平らな地面。目の前にはいくつもの緑色の棒のようなものが並んだ壁が空高くまで伸びている。周囲に幾つも作られたレンガやら石やら砂やら埃やら、それらで作られた山々は二本の足で登るのに苦労を強いた。直ぐ近くから巻き起こる衝撃波と轟音は今なお続いている。激闘が終わっていないのは確実だろう。

 落ち着いて現状を一つ一つ把握しつつ、同時に鮮明になり始めた頭が途切れていた記憶を組み上げていった。

 赤い炎、緑色のツルたち、崩れる建物、現れた巨大な影――。

 「そうだ、確か!」

 突如として現れた謎の魔物、牛骨の頭を持った巨人。

 あの炎の道化師を一瞬で屠りし強大な力を持った魔物が襲い掛かって来たのだ。

 咄嗟の事で反応が遅れた。いや、魔物の動きがあまりにも早すぎたのだ。なんとか間に合った壊れかけの盾も大して意味をなさず、一緒に呆気なく飛ばされて、サレナを庇って壁に激突し、そして意識を失った――。

 「サレナ!」

 シュウは不安定な山の一番上に立ち、少し体勢を崩しながらも急いで周囲を見回した。

 視界は依然として悪いまま、これではまともに状況を、小さな姿を探し出すことは難しいだろう。

 「サレナ、どこだ!」

 「シュウさん!」

 煙の向こう、微かに浮かびあがった影が反応を示した。

 同時に切り裂くような光と衝撃がまた大地を揺らし、影は大きく跳躍するようにしてその場から離れる。

 再び呼びかけようとしたところで、思い出したかのように胸のあたりを激痛が駆け抜けた。どうやら何本かアバラが折れてしまっているらしい。それに左腕も感覚がまるでなく、ちゃんと付いているか心配になるような状態だった。

 思ったよりも怪我の具合が酷い。

 改めて自らの状態の悪さを確認していたところで一人の少女が煙の向こうから姿を現した。

 「シュウさん!」

 「サレナぶじだ、あだだだだだだだだだだだだだだだだ?!」

 「あ、ごめんなさい!」

 勢いよく突っ込んできた体を支えようと腕を広げたのは良いが、流石に骨の折れた胸で受け止めるのは無理があったようだ。

 痛みを訴える声を聞いて慌てて体を離したサレナに、大丈夫であると手で伝える。

 「それで、あの魔物は?」

 「それは……。」

 立ち込めていた煙が風によってようやく晴れ始めた。

 サレナの視線を追って影の正体を見た。怪物は依然として、その圧倒的な威圧感を放ちながら立っている。

 その手に持つ巨大な斧の一振りが、目の前に立ちふさがる邪魔なツルを容易く切り飛ばし、勢いのままに壁を粉砕して大穴を開ける。シュウにはその一連の動きが殆ど見えなかった。それほどまでに動きは早く、鋭く、一瞬にして破滅を齎す。その光景だけで心底から抑えきれない震えが上がってくる。

 これがきっと恐怖なのだろう。

 サレナが手を握ってくる。それに励まされ震えは止まった。

 改めてよくよく目を凝らして魔物の姿を見ていく。

 腕は一本しかない。足は片方の動きがぎこちない。腹には深い刺し傷があり、体中に切り傷、抉り傷、打撲、火傷、無数の傷が赤々とした血を溢れさせていた。

 「あれはサレナがやったのか?」

 「いえ、最初から受けていた傷です。おそらく、ここへ来る前に行った戦闘によるものでしょう。」

 ――魔物が出た。

 そう言って騒いでいたあの者たちの努力の結晶なのだろうか。

 しかし、それほどの傷を受けていてもなお脅威の大きさは、その内から溢れ出る強者としての存在感は微塵も萎んではいないかのように思えた。

 それどころか追い込まれた獣のように何をしてくるか分からない怖さを感じる。

 「サレナ。」

 考えに考え、今の状況における最善は何か。シュウは次にとるべき手段を決意する。

 「君は今すぐここから逃げてくれ。」

 「……何を言っているんですか?」

 サレナが固まる。小さく、零れたように尋ねた。

 信じられない言葉を聞いたのだ。信じたくない提案をされたのだ。故に当然だった。

 しかしシュウが今この場所にいる最大の目的はサレナを救い出す事にある。

 万に一つ、勝ち目があるかすら不明瞭な戦いに巻き込んで、もし失ってしまったら元も子もないだろう。

 ならば自分が注意を引き、命を賭して時間を稼ぐのが最良にして最適な選択なことは明白だ。

 シュウは立ち上がる。

 左手は動かない。

 残念なことに左手を使って“出口”の開閉は行う。つまり神から与えられた魔法は使えない。

 不利なんてレベルではない。絶望と呼ぶにふさわしい状態だろう。しかし勝つことが目的でないのであれば、やりようと言うのはいくらでもある。

 「シュウさん!!」

 向かおうとした刹那、怒鳴り声に呼ばれ振り返った。

 「どうしたの? はやく逃げ――。」

 

 パン――。


 鋭く、強く、そして何とも気持ちの良い音が頭の中に響いた。

 痛む頬を押さえてシュウは驚いた顔のままにサレナを見つめる。

 「どうして一人で戦おうとしているのですか!」

 「それは、アイツは凄く強い魔物だから、二人で戦ってもやられるだけだと思うから、それならいっそのことサレナを逃がした方がって。」

 「逃げるなら二人で、です! 戦うのなら二人で、です! 一人で何でも決めないでください! 一人で何でも抱え込まないでください!」

 サレナはシュウの痛む胸を何度もたたく。次々に湧き上がってくる感情を吐き出して。

 「私は確かに弱いです。何もできないかもしれません。足手まといなのかもしれません。でも! それでも、一人で助かりたくなんかないです……私は、私は皆さんと一緒にいたいんです! ログさんとクリュスさんと、そしてシュウさんと一緒にいたいんです! だから誰も欠けちゃダメなんです!」

 それは余りに自分勝手で合理性に欠けた考えだ。

 それは余りに我が儘で愚かな願望だ。

 それは余りに強く、心を揺さぶる言葉だ。

 「ゴメン。」

 「謝らないでください! 謝るくらいなら――」

 「いや、まったく君の言う通りだよ。僕の方が間違っていた。」

 意表を突かれてサレナがポカンとした。

 また同じことを繰り返すところだったな。それではダメなのだ。まったく前と変わらない。

 何度も何度も別れの一言すら告げることも出来ない後悔を、後悔する者たちを後に残してはいけないのだ。


 『頑張ってね。』

 ――まだ俺は頑張り切っていない。

 『自慢の息子だ。』

 ――まだ自慢できる姿を見せていない。

 『楽しい事、沢山見つけてね。』

 ――まだ楽しい事を沢山見つけてはいない。

 『幸多からんことを願っておりますぞ。』

 ――まだ多くの幸せを見つけていない。

 『俺たちからの絶対命令だ。破るんじゃねえぞ!』


 ――まだ、彼らとの約束を果たしていない!


 パン、と自分で自分の頬を叩く。

 両手で行いたかったが、今回は右手の一発だけで我慢するとしよう。

 「随分と弱気になっていたみたいだ。」

 「……本当です。しっかりしてください。」

 「ゴメン。でももう大丈夫だよ。」

 サレナは涙を袖でゴシゴシと拭い、そして笑顔を作って見せた。

 「それとコレ、落ちてましたけど。」

 「これは――。」

 それは白い剣。

 細身で鍔も無い一直線。薄っすらと光を放つ不思議な、しかし何処となく見覚えのある一振りの刃。

 『必ずお役に立つでしょう。』

 何処かの不思議な少女の言葉を思い出す。

 シュウは右腕をグルグルと回して十分に動くことを確認し、それから剣を受け取った。

 羽のように軽く、ひどく手に馴染む。まるで専用に作って貰った一点物のような感触だ。

 「何を笑っているのですか?」

 「いや、何でもない。」

 いつもいつも無表情で何を考えているか分からないが、どうやらかなりの几帳面らしい。

 《これは試作品です。使った感想を後ほどレポートに纏めておいてください。提出期限は一月後です。》

 そんな言葉が手に取った瞬間に頭の中に流れてきた。

 「これは、負けるわけにはいかないな。」

 強く頷くサレナは、きっと別な意味で言葉を受け取ったに違いない。

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