第45話 宿命と冒険者 1-3

 * * * * *


 ――き――て――ださい――――――――――。


 声が聞こえた。

 白に染まった世界に漂う青年の元へ一つの声が。

 それは胸をギュウっと締め付け、行っているかも怪しい息が苦しくなるものだった。

 ここは静かで何も無い。

 ただ手があり、足があり、体があり、そして世界を見つめる目が確かにあった。

 なんだ? 君は誰なんだ?

 声を出しても音を伝えるものはない。

 呼びかける者に応える術がなく、それが申し訳なくて余計に胸が苦しくなるばかり。

 何度も、何度も。

 飽きもせずに、諦めもせずに、その声は途切れ途切れに呼びかけてきた。

 ジッとしていられない。

 少しでも近づく術があるならば近づかなければならない。

 理性ではない感情が体を突き動かした。


 「本当に、それを選択するのですか?」


 直ぐ近くからの声、振り返ると一人の少女がそこにいた。

 立っているのか、浮かんでいるのか、漂っているのかは分からない。少女はまっすぐに見つめている。

 「……ああ。」

 問いかけに短く応える。

 大切なことを次々に思い出す。

 「アナタには二つの可能性がありました。どちらを選んでも、その未来はあの声よりも幸福な未来を約束してくれるものです。しかし、両方とも拒みました。」

 「そんな事があった気がするね。」

 「私には理解できません。人とは、知的生命体とは己の幸福を追求するものではないのですか?」

 少女は首をかしげる。

 その顔は見慣れた無表情ながらも、本心から分からないという雰囲気を出していた。

 「確かに、自分の幸福は大切だよ。でも助けられるものを、救いたいと思うものを見捨てることで得られる幸福なんか俺は嬉しくない。それを手に入れても、きっと心の奥はずっと後悔という不幸の中に沈んでしまうんだ。だからたとえ世界の誰もが不幸だと哀れんでも、この心が求める幸福を、たとえどんなに辛く苦しく険しい未来が待っていようと、僕は選ぶんだと思う。」

 「理解できません。」

 「そっか。」

 「ですが、同種の答えを以前に一度得る機会がありました。」

 始めて。

 少女がその顔に浮かべる笑みを始めて見た。

 「彼は『この世界で最も不幸なのは何も大切なものがない奴だ。大切なものを捨ててしまった奴だ。だから大切なものがある奴はそれだけで幸福なんだよ。だから全力で、血反吐を吐いたって、大切なものを守り通さなきゃならねえんだぜ。』と言っていました。きっと、アナタも同じなのでしょうね。」

 少女が指を鳴らす。白き永遠の世界に無限の亀裂が入る。

 バラバラと崩れ始め粒子は風に舞う粉雪のようにハラハラと飛び始めた。

 「――選択を受諾します。どうぞアチラへお行き下さい。」

 指さす先には粒子により一本の道が作られ始めていた。

 「ありがとうございますクリュスさん。……ところで聞いても宜しいですか?」

 「可能な範囲でなら。」

 「いったいクリュスさんは何者なのですか? まさか神様とか?」

 「神の定義によりますが、この星における一般的な認識においての答えは“いいえ”です。……私はクレイト銀河文明第二十九遠征観測隊によりこの星の衛星に設置された文明観測基地の管理システム、その疑似人格の運用する有機端末の一つ。」

 相も変わらず言っている事はさっぱりだ。だが、だからこそ彼女が何も変わらない事実に安心する。

 「どうして僕たちに力を貸してくれるのですか?」

 「現地協力者の要請を受けた為です。」

 「それはログさんですか?」

 「現地協力者に関する情報は当人の希望により秘匿いたします。」

 そうクリュスは言うも、普段の様子を見ていれば確認の必要は無いも同然だった。

 何しろクリュスはいつもログと一緒にいるし、彼の頼み以外を聞いている姿など見たことが無い。

 「あ、そうだ。最後に一つお願いがあるんですけど。」

 一歩、世界の残滓により作られた道で足を踏み出そうとし、青年は頭だけ振り返る。

 「二つの世界の家族たち、友人たちに僕は元気でやっているって伝えて欲しいんですが……可能ですか?」

 「世界跳躍通信は本隊から許可を得る必要がありますが、その内容であれば受領されるでしょう。」

 「ありがとうございます。」

 「まだ確定したわけではありません。」

 「これは、チャンスをくれたことに対するお礼だよ。」

 唐突な別れとなった二つの世界、そこに残してきてしまった者たち。

 彼らに真正面から別れを言えたこと。

 それは感謝してもしきれない。本当なら実現しなかった事なのだから。

 二つの世界でやり残したことはもうない。

 思い残すことや後悔が無いと言えば嘘になるけど、これでいいのだ。

 後は今の世界で、救うべきものの為に精一杯戦うだけ。

 「これを。」

 そう言ってクリュスが差し出したのは一つの真っ白な棒。

 槍と言うには短く、しかし棍棒と言うには些か太さが足りない。剣と言うには鋭さが無く、杖と言うには真っ直ぐ過ぎる不思議な棒だ。

 「これは?」

 「必ずお役に立つでしょう。」

 その言葉の真意は分からないが、彼女が必要だと言うのであればそうなのだろう。

 有難く受け取り、そしてシュウは迷いなく力強い足取りで走り始めた。

 白き道は続いている。向かう先には闇のような穴が広がっている。

 次々に流れていくのは有りえたかもしれない別な世界での未来の光景たち。それらを置き去りにして更にシュウは加速する。

 これで良いのだ。

 まだ自分にはあの世界でやるべきことが残っているのだから。


 ――起きてください。シュウさん!

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