第44話 宿命と冒険者 1-2

 重い瞼が開く。

 涙でぐしゃぐしゃの顔が見えた。

 一つじゃない。二つ、三つ。みんな同じようにグシャグシャで悲しそうな、辛そうな顔をしていた。

 辺りは暗い。きっとまだ洞窟の中なのだろう。

 唯一の光源であるカンテラの火は警戒か節約か、少しいつもより弱くされているようだ。

 どれほどの時間が過ぎている事だろう。

 依頼の方は無事に達成できたのだろうか。確か時間に制限があった気がするのだが。

 『あ、あぁ――。』

 何かあったのか?

 そう言おうと思ったのに声は潰れたヒキガエルのように掠れた呻きにしかならなかった。

 何故だか酷く不自由な体を動かそうとした時、激痛が神経という神経を駆け抜ける。

 どうやら酷い怪我をしているのだという事を感覚的に理解した。

 グシャグシャの顔だった三人の顔が一気に驚愕のものへ変わり凍ったように固まる。暫し刻が過ぎ、続けて打ち寄せる高波のように巨大な歓声が巻き起こっては洞窟の中に響き渡った。

 『はははは、おいおい、嘘だろ?!』

 『奇跡よ! 奇跡が起きたんだわ!』

 『おお神よ。ご慈悲に心より感謝を――!』

 三者三様。口々に喜びの雄叫びを上げているが、傷に響き痛いのでもう少し小さな声でお願いしたい。

 先ほどよりも更に酷く涙をこぼして胸にしがみついている少女。

 笑いながら泣くという器用な事を行っている恐らくは同世代の青年。

 ツルりとした頭で見えない洞窟の天井を見上げながら何やらぶつぶつ祈っている男。

 まったく統一感のない、雑多である事の否めない者たちは、しかし心から喜んでいるという一点に関しては紛れもなく一致しているように見えた。

 『う、ぁああ――。』

 そろそろ説明をして欲しいところだが、やはり口が上手く動かない。

 それに手も足も感覚が無く、それなのに動かそうとすれば痛む有り様であれば、まずは回復をして欲しい。

 長らく物欲しそうな目で見ていたからか、それとも身動き一つせずじっとしていたからか。ようやくコチラの願いに気がついた様子で慌てて「回復だ! 魔法でもクスリでもなんでもいい!」と青年が指示をした。

 しかし、こういった感情が高ぶっている時に慌てて何かを行うと大概ロクな事にならないものである。

 祈っている男は回復魔法の呪文を噛んでは失敗し、少女や青年が飲ませたり振りかけようとする回復薬はビンごと鳩尾に落ちたかと思えば、呼吸が出来ない程勢いよく口の中に注がれたり酷い目にあった。


 「――観測を継続します。」


 声が聞こえ、目を覚ます。

 『どうかした?』

 『ああいや、何でもない。』

 昼食後、まだまだ体が本調子ではないだろうという事で三人と休息の時間を設けていた。

 町の近くを流れる水のきれいな川、その土手は羽毛のように柔らかで生き生きとした草たちにお折られている。俺たちはそこに座って適当な事を話していた。

 『しかし、あんなに驚いた神父様を見たの初めてだぜ。』

 教会での本格的な癒しを受けて、自分がどれほど酷い状態であったかを知り驚いたのは食事の少し前。

 『それは仕方のない事でしょう。何しろ生きているのが不思議な傷を負っておきながら、立って歩いて治療を要求したのですから。』

 『でもアンデットに勘違いするのは、いくらなんでも酷くない?』

 『まあ、それだけ酷かったってことだから。』

 冒険者の迷宮探索には危険が付き物。

 帰ってこない事だって少なくないが、地上へ魔物の群れが出てこないよう戦う存在は必要なのだ。

 三人とは転生したばかりの時に知り合った仲で、色々と何も知らない自分に様々な常識を教えてくれた。

 迷宮の事、世界の事、冒険の事。

 俺は自在に物を出し入れする特別な魔法を神様から与えられたは良いが、残念ながら生まれ変わる前からして運動の類は苦手であったから、戦うより荷物運びというサポートの立ち位置として安定していた。

 しかし戦える人間は少しでも多い方が良い。

 何より年下の少女すら戦っているのに大の男が守られる側に甘んじているというのも情けないと思った。

 だが残念な事に剣の才能も無ければ魔法の才能も無く、稽古をつけて貰ってもせいぜい基礎的な動きがようやく様になって見えるようになった程度。同じ訓練を積んだ新人であれば、きっと一人前の剣士になっているたであろう時間をかけてだ。

 才能の差というのは無慈悲なものである。

 『でも、本当にみんな無事でよかったよ。』

 『それはコッチのセリフだぜ。』

 『全く、その通りですな。』

 『えっと、本当にあの時はごめんなさい調子に乗って……。』

 『いや、アレは俺たち全員のミスだった。』

 申し訳なさそうに頭を下げる少女を、すかさず青年がフォローした。

 もっとも彼が口を開いたのは、本心で少なからずそのように思っているからに他ならない。

 迷宮には時折、恐ろしい力を持った強力な魔物が出現する。

 周囲の魔物を倒してレベルを上げたネームドと呼ばれる個体。

 まだ新しい迷宮だったし、それほど強い魔物もいないと思って全員が不用心に突っ込み過ぎた。そして想定していなかったネームドと出くわしてしまったのだ。

 赤毛のミノタウロスは他の魔物と比べて確かに強かった。しかし慎重に戦えば問題ない強さでもあったのだ。

 油断して少女は酷い怪我を負い、俺は怒りに駆られて突撃してしまった。青年は倒れた少女の方に気を取られていたし、禿頭の男も想定以上の強さと見積もって動きが慎重になり過ぎていた。

 全員がしっかり考えて、冷静に行動していれば惨事は起きずに済んだのは客観的に見て事実だろう。

 『しかし、お前があんな戦い方できるなんて聞いてなかったぞ?』

 重い空気が立ち込め始め、話を変えるように青年は切り出した。

 『できれば、もう少し練習してからお披露目したかったんだけど。』

 『その時、恥ずかしながら私は気を失っていたので、何をやったのか教えてくれるとウレシイナー。』

 『うむ。アレは一言でいうならば神の所業。』

 『分からないよ。』

 『えっと、俺が何か道具を仕舞う時には必ず動かす必要があって、出す時には仕舞った時のその速さのまま出てくるって説明はしたよね?』

 コクリと少女は頷いた。

 つまりはそれを応用して、重力を使いあらかじめ加速させておいたのだと説明を行う。

 目を真ん丸にして驚いた様子だが、少女がキラキラ目を輝かせて想像しているだろうほどに万能ではない。期待を裏切るかもしれないが、一応は集中の必要性などの話もすることにした。

 『なんだ、そうだったのか。てっきりポンポン好きに出せるもんだと思っていたが。』

 『サポートの幅は広がるけど、前に出て戦うには向かないかな。』

 『でも今までより戦闘が楽になりそうだよね。すごい!』

 『だからと言って修練をサボって良い事にはなりませんからな?』

 『うぐぅ。修練、めんどう。……でも、そうだね。今回みたいな迷惑はもうかけたくないし。』

 『お、コイツは珍しい。怠け者で有名なお姫様が修練の参加表明とか、明日は雨が降るぞ?』

 『ちょっと! 馬鹿にしてるでしょ!』

 噛みつきそうな顔で少女は牙を剥き、青年は降参とでも言うように両手を上げて対応する。

 いつものやり取り、いつもの会話。

 楽しそうな笑い声が空へ登り、和やかな空気が風に乗って何処までも広がっていく。

 『本当にありがとう。こんな俺と一緒にいてくれて。』

 頭を下げる。

 ポカンと見つめる三人の視線が手に取るように分かった。

 『急にどうしたんだ?』

 『ほんとほんと、どうかしたの?』

 『らしくありませんね。顔を上げてください。』

 『何となく、言いたかったんだ。』

 何だか気恥ずかしそうに三人は声を揃えて言った。『いちいちその程度気にするな。』と。


 ――いちいちこの程度で頭を下げるな。


 誰かの言葉、厳しく、辛く、でもこっそり考えてくれている誰かの。

 頭が割れるように痛む。

 誰に言われた? 誰が助けてくれた? 誰が――。

 思い出せない。しかし、それはとても大切な事だった気がする。

 思い出さなければいけない気がする。

 『……そうだ、思い出さなきゃいけない。』

 『お、おい。どうしたんだ? いきなり立ち上がって。』

 『ゴメン。でも行かなきゃいけないんだ。』

 『ほんと何言ってるんだよ唐突に、わけが分からねぇぞ。』

立ち上がった青年が肩を掴もうとし、その手を禿頭の男がそれを遮る。

 『どうして邪魔するんだ!』

 『少し。……思い出さなければいけない。そう言いましたが、それはそれほどまでに大切な事なのですか?』

 『うん。』

 『ならば、私たちは祈りを込めて見送りましょうや。』

 『おい! 勝手に話を――。』

 『あの時から、そして今の今までも“そんな気はしていたでしょう?”』

 青年が口をパクパクさせて黙り込む。

 『どういうことかな?』

 『あの怪我で生きているなど到底あり得ない事。それこそ本当に神の奇跡でも起きない限りは。しかし……この世に神はいないのです。遥か昔に一人残らず去ってしまった。だから人々は脅威に今晒されているのです。』

 『聖職者の言葉じゃないな。』

 『おや、お気づきでありませんでしたか。私、実は異端者として破門をされた身なのですよ。』

 『初耳だよ。』

 どちらにしても、と男は言った。

 赤毛から自分たちが逃亡したのは救出より三日も前、激高しているように見えた赤毛がとどめを刺さないとは思えないし、たとえ何らかの理由で見逃されていたのだとしても三日も生きていられる傷ではなかった。

 だからこそ、あれほど驚いたのだ。

 『――そっか、もうお別れなんだね。』

 少女は空を見上げながら、何処か虚しさの感じさせる明るい声でそう言った。

 『元気でね。』

 『おい、お前まで……くそ!』

 『ゴメンみんな。あんなに喜んでくれたのに。』

 『謝るんじゃねえ! そんで、そんな泣きそうな顔もするんじゃねえ! いつも言ってるだろ。お前は俺の恋のライバルなんだから、無様な姿を見せることは許さねえって!』

 『恋のライバル? 初耳なんだけど相手はどなたかにゃ?』

 『これはこれは、まさかお二人がそんな関係であったとは、私もまだまだ修行が足りないようだ。』

 『だああああああ!! もう、いちいち茶化すんじゃねえ!』

 悲しさも寂しさも吹き飛ばすように、四人はいっぱいの声で笑った。

 『とにかく、何処に行っても、どんなヤベェ状況に陥ったとしても! 俺の、俺たちの元パーティとして恥ずかしくない姿でいろ! いつでも格好よく、いつでも元気を与える姿でな!』

 青年はそう言って拳を突き出し、俺はそれに拳を合わせた。

 『無理とかしちゃダメだよ? それと行き先がどんな場所かは分からないけど、楽しい事沢山見つけてね。』

 『我々一同、その人生の旅先に幸多からんことを願っておりますぞ。』

 『ああ、ありがとう。』

 『これはリーダー、いや俺たちからの絶対命令だ。いいか? 約束破るんじゃねえぞ!』

 『おう、任せろ!』

 ――バイバイ。

 踵を返して一歩踏み出す。

 途端に世界は霧のように、靄のように、煙のように、雲のように揺らり揺らいで消えていく。

 しかし決して振り返ることも、掴もうとすることもしない。

 ただただ足をまっすぐ前に伸ばし、胸を張って俺は歩いて行くのだ。


 「――選択を確認しました。」

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