第39話 奴隷少女と宿命 4-4

 無数にツルのようなものが伸びた。

 緑色をしていたが半透明で、キラキラと光沢を持っていた柔らかなもの。一本一本の太さはマチマチで小指ほどのものもあれば身を隠していた木を超えるほどのものもある。

 それらは次々と業火の進路を塞ぐように立ちふさがった。一つが焼けても、二つが燃えても、次から次へとツルは現れて壁を作り出す。恐るべきはその速さ。業火が爪の先ほど進む間に、その百倍近くの厚さの壁が作り上げられて行っていた。

 焼いても焼いても現れる謎のツルはいつの間にか火の玉をスッカリ覆いつくし、やがて隙間から煙を吐きながらその動きを完全に止める。轟々と燃え滾る音は微塵も聞こえなくなっていた。

 「大丈夫ですか!」

 サレナは唖然とした顔で目の前に聳える緑色の異形の壁を見ているシュウへ駆け寄り膝をつく。

 「え、サレナ? これはいったい……。」

 「御伽噺です。」

 「え?」

 「とある七色の森に暮らすエルフたちが竜の火を退けた伝説があります。御伽噺だと私は思っていましたが、ログさんは実際にあった事だと言っていました。ヒントもくださいました。だから試したんです。自信はありませんでしたし、本当に可能なのかも分かりませんでしたが、それでも何とかしなきゃって思って、そうしたら成功したんです!」

 「えっと?」

 興奮しすぎた言葉は今のシュウには到底理解できない内容だろう。

 だが今は森を守りし火を喰らう植物の伝説を現実にしたこと、そして何より救いたい者が無事である事。

 この二つによる感情の高ぶりは中々抑えられそうになかった。

 分厚い緑色の壁の向こうから苛立たし気な声と共にいくつもの爆発音が聞こえてくるが、その熱も衝撃も微塵も反対側へと伝わってくる様子はない。

 「無事でよかったです……。」

 力一杯にサレナはシュウを抱きしめる。

 つい先ほどまで受けていた炎の影響で熱くなっている服と肌がサレナの心をジリジリと焼く。

 もう少し早く決断できていれば、こんなに怪我をさせずに済んだのかもしれない。

 その事実が、迷っていた自分の身勝手さが辛かった。

 「サレナも、無事でよかったよ。」

 ポンポンとシュウはサレナの頭を撫でた。

 声は怒っていない。勝手に何も言わずに出て行って、そのせいで迷惑をかけたのに怒っていない。

 込み上げてくる涙をサレナは堪え、体をゆっくりと僅かに名残惜しそうにしながら離した。

 まだやらなければいけない事が残っているから。

 「シュウさん、一つお願いがあります。成功するか分かりませんけれど――」

 奥底に森色の光を宿した瞳に決意を足して、サレナは凛とした声で作戦を話した。


 「なんですか? 何ですか何ですか何ですか何ですか何ですか?? この気持ちの悪いものは! この気味の悪いものは! この気色の悪い、この醜悪で悍ましいものは!! なぜ燃えないのです? 何故灰にならないのです? 火は全てに平等なのですよ? 等しく万物を天へ帰す唯一つの架け橋なのですよ? それを拒むものなど、あってはならない! ええ存在してはいけないのです! この世の法則に反する異端なる存在。到底許せません。えぇえぇ、許せません許せません許せません許せません許せません!!」

 何が起きたのか、何が現れたのか。

 何も分からないながらも崇高な使命を邪魔されたという事だけは確信を持って言えた。

 目の前の木偶の坊、その塊はこの世の素晴らしき法則を捻じ曲げている。美しき理論を穢している。

 それは許されざる大罪だ。

 万物を創造せし神々の意志に反する愚行だ。

 焼かなければならない、燃やさなければならない、消さなければならない、使命を全うしなければならない。

 その為に与えられた力なのだ。

 その為に救われた命なのだ。

 それを妨害する、自分を否定する存在。

 それが目の前に立ちふさがる緑色の悍ましい物体だ。

 燃やさなければ、燃やせ燃やせも痩せ燃やせ!!

 赤き火で、青き火で、黄色き火で、紫の火で、橙の火で、藍色の火で――。

 「ふ、ふふふふふふふふふふふふ。」

 焦りも過ぎれば笑いになる。

 滑稽な姿はやがて観衆の喜劇となる。

 塵も積もれば何とやら、無駄にしか見えない行動も続ければやがて意味を生み出す。

 火と言うよりは衝撃によってだが、緑色の物体は少しずつ着実に削れていた。

 動揺などする必要はないのだ。

 淡々と燃やし続ければ全ては解決することなのだから、少し時間がかかる程度の問題で行かない。

 ティッキーはヒヒと喉を引きつらせて笑う。

 もう後ろに隠れる雑魚になど興味はない。

 今この瞬間に逃げ出していたとしても、どうでもいい。

 重要なのは目の前の神々の敵を排除する事ただ一つのみであり、魔物もネズミも些末な問題でしかないのだ。

 「あと一歩、あと一歩ですよ!!」

 押し寄せる興奮に声が上ずる。

 削り続けられ焼けて変色した緑色の壁には次第に向こう側の見える隙間が見えてくる。

 それはつまり壁としての役割を失うという意味であり、存在意義を奪われるという事であり、つまりは神に仇なす物体の敗北という事に他ならない。

 「さあ! 燃えなさい、削れなさい、潰れなさい、灰になりなさい! この世から消えて無くなってしまいなさい罪深きものよ! 万物の支配者たる火に、火の法則に逆らう存在など永劫許されないのです!」

 さあ!

 ギシリギシリ、軋む音が中庭に響く。

 あと一歩。判断と共にティッキーは渾身の火の塊を頭上に作り出し、それを放り投げた。

 バキ、バキバキバキバキバキバキ――。

 枝の折れる音? 木の折れる音? それとも悍ましき怪物が倒れる音?

 いいや、それは今、この足場を支えている柱が、梁が折れる音だ。

 「へ? なんで?」

 ティッキーは唐突な浮遊感の中に放り出された。

 理解が追い付かない。

 目の前の怪物は確かにゆっくりと、確かに音を立てながら倒れて行っているというのに、何故自分の足場が崩れるというのか。

 これはオカシイ。わけが分からない。道理が通らない。

 チラリと視界の端に移る姿があった。

 一つは火傷の痕が一目で分かるネズミ。アレの魔法は知っている。故にこんなことが出来るはずがない。

 もう一つ。

 ティッキーは目を見開いた。

 どうして? 何故? “おちびちゃん”がこんなところにいる? 吐き気のする緑の光を瞳に宿している?

 押し寄せる疑問。それに答えるように崩れた足場より、梁も柱もへし折った犯人、あの怪物が姿を現した。

 「は? そんな……。」

 間抜けな声を上げる。

 それはつい先ほどまで自分が燃やしていた、有ってはならない世界の法則を乱すもの。

 緑色で半透明で気持ちの悪くなる艶を持つ、ウネウネと動き回る気味の悪いツルのようなツタのような物体。

 それらが意思を持っているかのように縦横無尽に動き回り建物を支える全てを滅茶苦茶に壊している。

 ああ、そうか。そういう事か……。

 「貴様が、貴様が異端者かあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 叫び、咆哮、金切り声、絶叫、叫喚、怒号――。

 激情に身を任せ、感情の全てを怒りの燃料とし、万物を燃やさんと一つ滅びの輝きを作りだす。

 経験のない熱、無茶苦茶な炎は己の身すらも焼き尽くさんとするが関係ない。

 空に浮かぶべき太陽を、その欠片を作り出すためにティッキーは全ての魔力をただ一つに注ぎ込む。

 「今です!」

 遠くから発せられた声。

 同時にそれまで自分を照らしていた日の光が失われ影が差す。

 背中が、腹が、足が、無慈悲で無常な暴力を受け、感じた事のない激痛が全身から脳へと駆け巡る。

 腕の一本が折れた。

 支えを失った光が膨張を始める。

 その光の届く全てを、跡形もなく天へ上昇させるべく熱の波動が急速に広がり始める。

 「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああ――――?!」

 悲鳴は直ぐに消えた。

 押し寄せる土砂の山に押しつぶされ、次の瞬間に起きた爆発の衝撃にかき消され、跡形もなく消えた。

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