第38話 奴隷少女と宿命 4-3
崩れかけ、というのは些か語弊のある表現だろう。
その場に到着したサレナが思わず「うわぁ。」と声を漏らしてしまう程度には酷い有様だった。
床は抜け、壁は崩れ、天井からは今にも落ちてきそうな残骸が奇跡的に突起に引っ掛かっている。そしてそんな光景がずっと先まで延々と続いているのだ。
もしももう一度、たとえ些細でも揺れが起きたならば、あっという間にこの場の全ては崩れ果てるだろう。
サレナはピョンピョンと器用に崩れかけの狭い足場を跳ぶようにして先へと進んでいく。
「よっと。」
さも当然のように普通に飛んでは届かない場所へ壁を蹴って三角跳びを行い着地する。
流石にこれでは追っ手が来たとしても捕まえることは困難極まるだろう。
最早逃げ切るのは時間の問題、そう思わせる姿を隙間から覗いてくる太陽に見せつけていた最中だった。
「っと、うわわわわわ?!」
ちょうど塔のようになって奇跡的なバランスにより形を保っていた石壁だったものの頂点に片足を付けたところで、唐突に強い振動。衝撃波に近いものが周辺一帯を駆け抜けてガラガラとそれまで残っていた数々の物が一斉に崩れ始めた。
当然ながらサレナもそれに巻き込まれる。
ギャピ、と体を打ち付けたのは中庭の草が茂る地面。本能的に足場を蹴って飛び出した結果、運よく飛ばされた先に生えていた木が上手い具合に勢いを軽減してくれたおかげで怪我無く多少痛い程度で済んだようだ。
体を起こすと同時に再び衝撃が駆け抜け、遠くに見える壁の一つが赤い炎に押し出されるように吹き飛んだ。
「ヒヒヒヒヒヒヒ。生きていますかぁ? 生きていますよねぇ。えぇえぇ小賢しいその魔法、ちゃんと見ましたよ、私。その盾邪魔ですねぇ。今度は二枚重ねでしたか? 見事見事な判断でありまして拍手を送らねばなりませんねぇ。まさか咄嗟に私の炎を一枚では耐えられないと見抜くとは、ちゃんと細工は分かりにくく行ったつもりなんですがねぇ。」
煙の奥から姿を現し、二階の抜けた穴から見下ろす影が一つ。
姿を見なくても何者なのかサレナには即座に分かった。その声を間違う筈などなかった。
反射的に木の後ろへ姿を隠し、体を限界まで小さくする。
鼓動は早く、息は苦しく、体は恐怖に震え、頭の中は真っ白に。
脳裏にこびり付いた恐怖が次々と呼び起こされて気が狂いそうになり、体の底から押し寄せる叫びの声を無理矢理に何とか押しとどめる。
俯いて目を力一杯に閉じ、災禍がこの場から去っていくのを嵐に怯える穴倉のネズミのように震えて待った。
「お前こそ、その炎はなんだ?」
あるはずの無い声が聞こえた。
「赤とか青とかはいくらでも見たことはあるが、緑とか紫とかコロコロ色をかえる変なのまで。その珍妙な化粧と言い、何処かで演劇でもしているのか?」
「演劇! 素晴らしい私演劇は大好きでして。ええそうです。実は私の夢は演劇のように、この美しき火によって世界中の皆様に感動して頂くことにあるのですよ。実際に、ええ、私の火を見て、火を受けて、火を浴びて、極上の、狂乱狂喜の叫びを上げながら天上の喜びをその体中で表現してくださる方がとても多い、これは感激の至りでして。ああ、嬉しい! 嬉しい! 嬉しくて嬉しくて、うれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくてうれしくて、思わず私、燃えてしまいそうです!」
ヒヒヒ、と再び喉を引きつらせたような笑い声を道化師はあげる。
いるはずのない青年は道化師の言葉を吐き捨てるように「クソ野郎。」と呟いた。
サレナは目を開ける。
気の影に隠れたままに、存在するはずの無い者の姿をその瞳に映しだした。
そこにはシュウがいた。
ところどころ火傷の痕と思われる傷はあるものの、その顔は、その姿は見間違えようがない。
あの日、あの場所で自分を地獄から引っ張り上げてくれた一人の人間。
一人ぼっちの孤独から解放してくれた救い主の姿が確かにそこにあった。
頭の中がグチャグチャで訳が分からなくなる中、当然のことながら急転する事態は待ってなどくれない。
三度起きた衝撃は荒れ狂う熱を含み全てを焼かんと二人のいる広場全体へと広がって行った。
サレナは木に守られ、シュウは幾重も重ねた盾によってその一撃を防ぐ。しかし赤くなりドロドロに溶けかけた鉄の塊では二度目を防ぐことは不可能だろう。
やられたまま、というわけでは当然ない。
虚空より現れる剣たちが狂った道化師を貫かんと殺到した。しかし刃がその体へ届かんとする瞬間、一瞬にして炎が巻き上がり全てを瞬く間に蒸発させてしまう。
何度も、何度も、同じような光景が繰り返された。
傍から見てシュウが追い込まれて行っているのは明白だ。
無限に盾を呼び出せるとしても、無限に剣を撃ちこめたとしても、繰り返しては火傷の傷が増えていく一方で相手は無傷という戦い。見て分かる消耗具合も一目瞭然で、シュウが肩で息をしているのに対しティッキーは依然として笑顔を微塵も崩していなかった。
このまま続けば近いうちにシュウは敗れるだろう。
そしてそれが何を意味するのか。
――ある考えが頭をよぎった。
まだティッキー、狂った道化師はサレナの存在に気がついていない。
であれば、シュウが負ければ彼はこの場に用はないはずだ。先ほど聞いた話を考えると他の魔物の襲撃を受けている場所に向かっていく可能性は非常に高いように思われる。
つまりこのままジッと隠れてやりすごせば、シュウを見捨てれば自分は十中八九助かるだろう。
そう、魔物の襲撃を受けて檻の中から逃げたあの時のように。
見えない、聞こえない、知らないふりをしていればそれだけで天界は自分に都合の良い方向へと進むのだ。
何度目か分からない爆炎が、熱が中庭へ波のように広がる。
「それにしても、しぶといですねぇ。私、こう見えましても忙しい身。ええ本当にそれはもう馬車馬がお貴族に見えますような忙しい私でして。そろそろコンガリ焼き上がって頂きたいところなのですが。ああ、ご安心ください。こんがりと焼きましてはちゃんと有効活用の方をさせて頂きますよ。今は悍ましいケダモノどもを誘き出す餌が欲しいなと考えていましたので。ええ。」
「バカを言うなよ。そう簡単にこんな場所でくたばって堪るか。俺はアイツを助けるためにここに来たんだ。助ける方法が見つかったから来たんだ。たとえ後でどうなったとしても、どんな罰を受けることになったとしても、今ここで大人しくやられるなんて無理な話だよ。」
「うーむ、それは残念。とても、ええとても残念。この中庭、実はご主人様が非常にお気に入りでいらっしゃるのですよ。それはそれは素晴らしい中庭でして。そう、私もそれはそれは大変心苦しく思うのですが、これはもう仕方がありませんよね? 忍び込んだネズミの一匹に対して、手向け花としては些か豪華に過ぎるのですが、素晴らしき業火を持ってして、この素晴らしき庭と共にきれいさっぱり天へ昇って頂く事としましょう。」
パチパチパチ。
手が叩かれ、それに呼応でもするようにして火種が次々に生まれてくる。
十を超え、百を超え、千に匹敵する夥しい数の灼熱は踊るようにしてピンと立てられたティッキーの指先へと殺到し、出来上がる巨大な火の塊はひたすらに膨張を続けていく。
「――お別れですね。」
太陽の如き輝きを放つ塊にスッカリかくれたティッキーが静かに言った。
それはまっすぐに、興奮した獰猛な獣のように、轟々と唸りながらシュウの方へと突き進んでいく。
幾重にも重ねた盾はまだ触れてすらいない炎によってあっという間に次々と蒸発していき、最後の一枚が真っ赤に光を放ちながらドロドロに溶けていく様子が見えた。
ゆっくり、とてもゆっくり。
時計の針が数十倍の時間をかけて進むような速さでサレナは見ていた。
体が動いた。
何も考えていなかった。
それは衝動的なもので作戦があったわけではない。
しかし、それでも彼女は飛び出した。
その先に何が待っていようと関係ない。
それにこれは二度目だ。
自分だけが助かれば良いなんて考えは、もう既に捨てたのだと思い出した。
その足の一歩一歩には何の迷いも無かった。
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